コナサン、ミンバンワ!
拙実家の雑用にて3日程留守をしておりました。昨夜拙生地の東三河よりお陰様で無事戻り、拙記事を綴っております。今夏の特集日記は、又もや拙趣味の鉄道交通絡みとなってしまい些か恐縮なのですが、懲りずにお付き合い下さればと思います。苦笑
さて前回の予告通り、今夜と次回は今年6月末と7月初にも取り上げた当地の大私鉄、名古屋鉄道の千両役者と謳われた名物電車「パノラマカー」に関する思い出を綴って参りたく思います。片や「白の風」が東海道新幹線、もう片や「赤の風」は何を隠そう、パノラマカーの事であります。
1961=昭和36年夏の初登場以来瞬く間に名古屋鉄道の主戦の座に駆け上り、以後15年間に亘って勢力拡大を続けて、豊橋~名古屋と岐阜を結ぶ名古屋本線は元より後に名古屋都心と中部国際空港の連絡線へと飛躍する常滑(とこなめ)線や中部の有名観光地を沿線に持つ犬山線、三河湾への主要ルートである西尾線や豊川稲荷の参拝で正月は特に賑わう豊川線などの王者として、実に半世紀近くの長きに亘り君臨して参りました。
パノラマカー独創の展望座席。運転台の高層化により実現したこの眺めは、真紅の外装と共に地元のユーザー各位は元より遠方よりの観光客各位にも大いに人気を博し、混雑時は座席確保も一苦労だった様です。後年、混雑を避けたい旅客の要望を入れて全座席指定便も設定される様になります。今の「ミュー特別席」の前身に当ります。
それとこの車両の存在感を高め、独特の地位に押し上げたもう1つが世界的にも珍しい音楽警笛、所謂ミュージック・ホーンだったのではないかとは良く指摘される所。賛否はあれどあの「ミ・ド・ラ」の音階にて始まる警音の調べは誠にユーモラスで、愛好者も多い様です。
既に触れましたが、パノラマカーこと7000型電車は高い走行性能実現の為、全車両が電気モーター動力を持つ全電動車、所謂オールM編成にて構成されます。更に名古屋鉄道の車両では初めて衝撃吸収に優れた空気バネ=エアサンペンションを全面採用し、安全性を重視して前灯は4個とされ、内窓下の2個は色フィルターを使う事によって尾灯と兼用するスタイルです。
これらの技術は勿論、東海道新幹線にても採用されましたが空気バネ以外の2点は、実は新幹線よりも早く実用化されていた訳ですね。
思えばパノラマカーは新幹線にとり、ある意味「偉大な先輩」でもあったのではないでしょうか。
正面に目を向ければこちらも紛れもない流線型。速度レベルの違いから展望席こそ叶いませんでしたが新幹線もその誕生の過程において、パノラマカーより学ぶ事もきっとあったのでは、と私は想像しています。
この車両の展望席・・・過日も申しましたが私にとっても幼少時よりの多くの思い出の載った大切な場所でありますね。勿論空席があれぱの話ですが、折々良く乗って流れる眺望に興じたものです。
車体の更新改造などによる除籍は昭和の末頃よりありましたが、本格引退の方針が明らかになったのは1998=平成10年の事。今から丁度10年前の事で、当初は「嘘だろう」と俄かには受け入れ難い話だったのを覚えています。何しろ高年式車の増備が終わってからまだ20余年。十分に余命を残しながらの表明だった事も一つにはありますね。ただ問題は、車内サービス優先の結果としての輸送力の心もとなさでした。
これも過日記した様に、パノラマカーの基本編成は先頭2、中間4の計6両ですが、この編成でもラッシュ時に向いた通勤車両の4両分程度で、かつ乗降扉が片側2カ所のみの為乗降に時間を要し、定時運転の面でも不安を残す事となりました。
又走行性に優れた全電動車式の足周りも結果的に多くの電力を要して最近の省エネルギーの流れにそぐわない形となり、これらの事共に加えて特に初期の低年式車両では車体の断熱に健康被害を及ぼすアスベストの使用が指摘され、結果「引退やむなし」の結論に至った様です。
引退廃車は今世紀に入ってから特に加速した様で、計200両を超える大勢力を誇ったパノラマカーも昨年春には約1/4まで減少、遂に今夏には主戦の座を降り、一部の普通列車を中心に、予備役としての任務を残すのみとなっています。
「最後の1年」と言われる今、これまでの栄光の軌跡を讃え、一礼を申すと共に残り数隊となったパノラマカーの「有終の美」を今、心より祈っている所であります。*(新幹線)*
(ご案内)下記アドレスのクリックにて、名古屋鉄道パノラマカー独創の音楽警音をお聞き頂く事ができます。
http://jp.youtube.com/watch?v=MzaSt3-3KcM
拙実家の雑用にて3日程留守をしておりました。昨夜拙生地の東三河よりお陰様で無事戻り、拙記事を綴っております。今夏の特集日記は、又もや拙趣味の鉄道交通絡みとなってしまい些か恐縮なのですが、懲りずにお付き合い下さればと思います。苦笑
さて前回の予告通り、今夜と次回は今年6月末と7月初にも取り上げた当地の大私鉄、名古屋鉄道の千両役者と謳われた名物電車「パノラマカー」に関する思い出を綴って参りたく思います。片や「白の風」が東海道新幹線、もう片や「赤の風」は何を隠そう、パノラマカーの事であります。
1961=昭和36年夏の初登場以来瞬く間に名古屋鉄道の主戦の座に駆け上り、以後15年間に亘って勢力拡大を続けて、豊橋~名古屋と岐阜を結ぶ名古屋本線は元より後に名古屋都心と中部国際空港の連絡線へと飛躍する常滑(とこなめ)線や中部の有名観光地を沿線に持つ犬山線、三河湾への主要ルートである西尾線や豊川稲荷の参拝で正月は特に賑わう豊川線などの王者として、実に半世紀近くの長きに亘り君臨して参りました。
パノラマカー独創の展望座席。運転台の高層化により実現したこの眺めは、真紅の外装と共に地元のユーザー各位は元より遠方よりの観光客各位にも大いに人気を博し、混雑時は座席確保も一苦労だった様です。後年、混雑を避けたい旅客の要望を入れて全座席指定便も設定される様になります。今の「ミュー特別席」の前身に当ります。
それとこの車両の存在感を高め、独特の地位に押し上げたもう1つが世界的にも珍しい音楽警笛、所謂ミュージック・ホーンだったのではないかとは良く指摘される所。賛否はあれどあの「ミ・ド・ラ」の音階にて始まる警音の調べは誠にユーモラスで、愛好者も多い様です。
既に触れましたが、パノラマカーこと7000型電車は高い走行性能実現の為、全車両が電気モーター動力を持つ全電動車、所謂オールM編成にて構成されます。更に名古屋鉄道の車両では初めて衝撃吸収に優れた空気バネ=エアサンペンションを全面採用し、安全性を重視して前灯は4個とされ、内窓下の2個は色フィルターを使う事によって尾灯と兼用するスタイルです。
これらの技術は勿論、東海道新幹線にても採用されましたが空気バネ以外の2点は、実は新幹線よりも早く実用化されていた訳ですね。
思えばパノラマカーは新幹線にとり、ある意味「偉大な先輩」でもあったのではないでしょうか。
正面に目を向ければこちらも紛れもない流線型。速度レベルの違いから展望席こそ叶いませんでしたが新幹線もその誕生の過程において、パノラマカーより学ぶ事もきっとあったのでは、と私は想像しています。
この車両の展望席・・・過日も申しましたが私にとっても幼少時よりの多くの思い出の載った大切な場所でありますね。勿論空席があれぱの話ですが、折々良く乗って流れる眺望に興じたものです。
車体の更新改造などによる除籍は昭和の末頃よりありましたが、本格引退の方針が明らかになったのは1998=平成10年の事。今から丁度10年前の事で、当初は「嘘だろう」と俄かには受け入れ難い話だったのを覚えています。何しろ高年式車の増備が終わってからまだ20余年。十分に余命を残しながらの表明だった事も一つにはありますね。ただ問題は、車内サービス優先の結果としての輸送力の心もとなさでした。
これも過日記した様に、パノラマカーの基本編成は先頭2、中間4の計6両ですが、この編成でもラッシュ時に向いた通勤車両の4両分程度で、かつ乗降扉が片側2カ所のみの為乗降に時間を要し、定時運転の面でも不安を残す事となりました。
又走行性に優れた全電動車式の足周りも結果的に多くの電力を要して最近の省エネルギーの流れにそぐわない形となり、これらの事共に加えて特に初期の低年式車両では車体の断熱に健康被害を及ぼすアスベストの使用が指摘され、結果「引退やむなし」の結論に至った様です。
引退廃車は今世紀に入ってから特に加速した様で、計200両を超える大勢力を誇ったパノラマカーも昨年春には約1/4まで減少、遂に今夏には主戦の座を降り、一部の普通列車を中心に、予備役としての任務を残すのみとなっています。
「最後の1年」と言われる今、これまでの栄光の軌跡を讃え、一礼を申すと共に残り数隊となったパノラマカーの「有終の美」を今、心より祈っている所であります。*(新幹線)*
(ご案内)下記アドレスのクリックにて、名古屋鉄道パノラマカー独創の音楽警音をお聞き頂く事ができます。
http://jp.youtube.com/watch?v=MzaSt3-3KcM