Blog~続・トイレの雑記帳

鉄道画像メインの「ゆる鉄写真ブログ」のつもりでしたが、
政治社会の事共について記したくなり、現在に至ります。

殺らねば殺られる(やらねばやられる)

2011-05-08 01:33:18 | 国際・政治

コナサン、ミンバンワ!東日本大震災、そして焼き肉チェーン店の食中毒死亡事件など、大変な状況下の我国だが、海外でも大事件が生じた。2001=平成13年9月の米合衆国NY他にての、同時多発軍事行動を主導した疑いが持たれていた国際イスラム教急進組織「アル・カーイダ」のO・ビンラディン代表が、合衆国軍との交戦の末死亡した由。一部では、生け捕りの上裁判にかけるべきだったとの見解もある様だが、NYの世界貿易センター全棟倒壊を初めとする国際テロと言われる活動に伴う数千の犠牲を生じ、又、話し合いなどの平和的手法の行使がほぼ不可能だった事を考えれば、今回の殺措置は積極的支持はできないものの、実態上やむを得なかったと俺は心得る。又、当事国たる合衆国世論も、多くはそうした見方である様に感じる。

あの事件より10年。合衆国当局は、ビ代表暗殺許可の決定を行い、中東の山岳地帯に潜伏したとして、これまで掃討作戦を続けて来た。想えば、イラク国などで非戦闘員たる子供を含む一般の国民市民に多大な犠牲を生じて来たのは事実であるし、自軍側にも、千人単位の犠牲を生じている。ただ、国際情勢が変わったからと言って、その当事国に対しどんな暴力でも振るって良いと言う訳ではないし、国際社会の通念や常識の上で、度を超えた暴力などは、極めて重大な度合いで罰せられるのは当然の事だろう。合衆国の側にも、冷戦後、それまで利用していたイスラム勢力を見殺しにして来た非はあるかもだが、その事に留意するとしても、此度の決定と実行は、同盟国の一国民として、やむを得ない措置だったと心得る次第である。

基督教とイスラム教の対立、衝突が国際社会の治安に悪影響を及ぼすのは事実だが、相手側が、長らくの平和に慣れ切った我々日本人の想像を超えた所におり、「話し合いが通じない」連中である以上、必要最低限の範囲での武力行使はやむを得ないものがあるだろう。

正に「殺らねば殺られる」の世界にて、取り得るぎりぎりの手法を使い果たし、最後まで平和的な手段を優先させたのであれば、今回の殺措置はやむを得なかったものと、改めて俺は理解したい。又、そうした実態を対外的に良く説明すれば、国際世論の理解も得られるのではないかとも思う。

「アル・カーイダ」は今後、生き残ったA・ザワヒリ最高幹部を中心に再建され、欧米やその同盟国に対しても、イスラム教にて認められた報復活動に出る可能性が大いにあり得る。米合衆国もそうだが、欧州やアジアの政治社会の面で、こうした活動が行われている事を、常に肝に銘じておく必要がありそう。我国の平和と安全は、そうした危険と向かい合った難しい状況の上に成り立っている事実を忘れてはならないと言う事だろう。

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