前回の続きです。今月9月は「防災月間」と言う事で、シリーズ放送中の某TV番組の内容も少し引用して関連記事を書いたのだが、ほぼ時を同じくして、関東平野にて史上最悪級の大水害が発生してしまった。栃木県下を中心とする、利根川水系鬼怒川の大氾濫をメインとするそれだ。分っているだけで数名の犠牲を生じ、十数名が行方不明になっている模様。発生後数日を経た今も、救助待ちの方々が相当ある様で、今はただお見舞いの意を表すのみであります。
大水害の主な原因は、栃木・茨城の両県を中心に数日に亘り居座った「線状降水帯」と呼ばれる極めて強い雨雲の帯によるものとかで、多い所では24時間雨量500mm超、これが鬼怒川上流の日光市周辺で集中的に降ったのと、千葉・茨城両県下で合流する本流の利根川も増水していた為、鬼怒川下流の水の逃げ場が失われ、為に合流点近くの常総市内の堤防に過負荷をかけ、決壊に至った事共とされる様だ。実は9/9(水)未明に、2013=平成25年に新設された、甚大な水害が予め予想される時に発令される、大雨特別警報が初適用されたのだが、各自治体の避難指示判断が分れ、発令が遅れたり、一部の住民の方々の、避難遅れによる孤立に繋がったのが遺憾だ。新しい規定は、初適用の折にはまだ試行錯誤もあり、どの様な避難などの防災指示が最善かはその時になってみないと分らない所もあるのは分るが、此度の様な、明らかな激甚災害クラスの大水害に際しては、国主導で各自治体の強い連携をこれまで以上に築くとか、市町村レベルの連携が難しければ都道府県単位に切り替えるなどの見直しを、災害復旧と並行して進めて頂きたいものだ。現に住民の方の中には、当該市町村の避難指示が遅かったり、情報が不十分だった為に、ご自身の判断で安全箇所へ避難された例もある様なので。
線状降水帯と言えば、今から15年前の2000=平成12年9月、当地を襲った東海豪雨の事に触れない訳には参らない。この時も、19~20時の1時間雨量が観測史上未曽有の93mmに達し、「バケツをひっくり返した」と言う様な生易しいものではなく、正に自動車洗車場の高速洗車機に匹敵する凄まじい降りだったのを覚えている。前方視界は殆ど利かず、危険な為雨脚が弱まるのを待って、名古屋東郊の勤務先より帰宅の為車を出したのだが、ナゴヤ・ドームに近い矢田川を渡った所で渋滞にかかってしまった。約1時間半、動きが取れず、やむなく同様に渋滞の始まった対向車線の1t半トラックに乗った方に、叱られるのを覚悟で状況を伺った所、大曽根から先は冠水で進めず、その方もエンジンを水でやられそうになって、やむなくコースを変える破目になったと仰っていた。このお話で「この先はダメだな」の判断をした俺は、通っていた道路が冠水し始めた所で引き返し、勤務先近くの名古屋鉄道線の駅で帰れるか否か様子を見る事に。鉄道線も大雨で止まっていたのだが、日付が変わる寸前に都心 栄へ向かう列車が一便だけ出る事になり、栄近くでタクシーに乗継ぎ、翌日未明にどうにか帰れた思い出がある。この時も10名もが斃れる災禍となったのだが、帰宅不能となる方々も多く、俺などはまだマシだったかと、当時の事共がフラッシュ・バックの様に蘇っている所。進退窮まった折、対向のトラックの方に様子を伺ったのは正解で、高い床故に出水に強いトラックが進めないとあってはダメだったのだと、今もこの方への感謝の意を新たにしている所。翌日、寸断箇所を市営バスで通ったら、水没したらしい車が数十台は留まっており、改めて水の恐ろしさを思い知ったものだ。近くは去年、広島市を襲った水害も、線状降水帯によるものと言われている様だ。
前回も触れたが、過去からの推移を見ていると、此度の水害は一度だけのものではなく、これからも続発する可能性がある事が分る。つまり、大雨などの特別警報が、当地でも発せられる可能性が大きくあると言う事だ。これから各地にて生じるであろう風水などの自然災害は、他人事ではない事例として、我々も避難とか被災した時の処し方など、学ぶ所が大きいと心得る。25平方km以上と言われる被災地域の復興は勿論まだこれからだが、そうした流れも良く見聞して、自らの番になった時に役立てられればとも思う。
先の震災のそれも、まだ全てが終わった訳では決してないが、此度の水害にあっても、災害ボランティアを志す方々が少なくないのは心強い限りだ。ただここでもボランティアを受け入れる自治体の対応は遅く、ボランティア基地が立ち上がるのは9/16(水)の予定だと言う。広大な被災規模で復興業務の大変さは分るが、少しでも力を貸そうとする方々の崇高な姿勢を無にする事があってはならない。自治体の対応迅速化への熱意を期待すると共に、大きな疑問が一つ。それは、ボランティア活動に大きな影響力を持つであろう野党勢力の協力姿勢が全くと言って良い程見られない事。前世期末の阪神大震災と、先の東日本大震災の折は与党であっても、災害ボランティアを積極的に組織主導し、早い復興に役立てようとの熱意が見られないのだ。当該の民主党は、政権党時代に行政事業仕訳の行き過ぎから、本当は必要な防災事業までカットを強行したと言われ、此度の水害の遠因になったと言われる。その事も踏まえ、各種ボランティア活動を仕切った実績があるのなら、此度の様な災害でも活動案を率先して明らかにし、与党側にその活用を働きかけるのが正道だろう。他の野党も一部を除いて似たり寄ったりだ。諸外国にては、普段対立する与野党も、大災害などの折は一致協力して難局に立ち向かうと言う。今の我国にはそうした文化がない。悲惨な災禍に見舞われても「いつもの低級な対立」では話にならない。政治家や公務員レベル、それに民度にあっても、その様な政治文化を育てる気がなければ、我国はいつまで経っても一流先進国とは言われないのではないか。増して「自分だけは、自党だけは大丈夫」などと言う慢心は、決して考えるべからざる事ではないのか。
平時と同じ気で「初めに対立ありき」ばかりで戦後70年を徒に過ごし、平穏な日々の高度成長の賜物であった戦後レジームに寄りかかり、冨や恵まれた時間を食い潰し続けて来たツケが回ったと見るのは、俺一人ではないと思うのだが。
今回画像は、当地名古屋の中心部を通る、JR中央線の千種区辺りを行く「掘割」と呼ばれる半地下区間。先の東海豪雨を初め、大雨時には冠水でしばしば寸断され不通となる事があり、その克服が大きな課題であります。
大水害の主な原因は、栃木・茨城の両県を中心に数日に亘り居座った「線状降水帯」と呼ばれる極めて強い雨雲の帯によるものとかで、多い所では24時間雨量500mm超、これが鬼怒川上流の日光市周辺で集中的に降ったのと、千葉・茨城両県下で合流する本流の利根川も増水していた為、鬼怒川下流の水の逃げ場が失われ、為に合流点近くの常総市内の堤防に過負荷をかけ、決壊に至った事共とされる様だ。実は9/9(水)未明に、2013=平成25年に新設された、甚大な水害が予め予想される時に発令される、大雨特別警報が初適用されたのだが、各自治体の避難指示判断が分れ、発令が遅れたり、一部の住民の方々の、避難遅れによる孤立に繋がったのが遺憾だ。新しい規定は、初適用の折にはまだ試行錯誤もあり、どの様な避難などの防災指示が最善かはその時になってみないと分らない所もあるのは分るが、此度の様な、明らかな激甚災害クラスの大水害に際しては、国主導で各自治体の強い連携をこれまで以上に築くとか、市町村レベルの連携が難しければ都道府県単位に切り替えるなどの見直しを、災害復旧と並行して進めて頂きたいものだ。現に住民の方の中には、当該市町村の避難指示が遅かったり、情報が不十分だった為に、ご自身の判断で安全箇所へ避難された例もある様なので。
線状降水帯と言えば、今から15年前の2000=平成12年9月、当地を襲った東海豪雨の事に触れない訳には参らない。この時も、19~20時の1時間雨量が観測史上未曽有の93mmに達し、「バケツをひっくり返した」と言う様な生易しいものではなく、正に自動車洗車場の高速洗車機に匹敵する凄まじい降りだったのを覚えている。前方視界は殆ど利かず、危険な為雨脚が弱まるのを待って、名古屋東郊の勤務先より帰宅の為車を出したのだが、ナゴヤ・ドームに近い矢田川を渡った所で渋滞にかかってしまった。約1時間半、動きが取れず、やむなく同様に渋滞の始まった対向車線の1t半トラックに乗った方に、叱られるのを覚悟で状況を伺った所、大曽根から先は冠水で進めず、その方もエンジンを水でやられそうになって、やむなくコースを変える破目になったと仰っていた。このお話で「この先はダメだな」の判断をした俺は、通っていた道路が冠水し始めた所で引き返し、勤務先近くの名古屋鉄道線の駅で帰れるか否か様子を見る事に。鉄道線も大雨で止まっていたのだが、日付が変わる寸前に都心 栄へ向かう列車が一便だけ出る事になり、栄近くでタクシーに乗継ぎ、翌日未明にどうにか帰れた思い出がある。この時も10名もが斃れる災禍となったのだが、帰宅不能となる方々も多く、俺などはまだマシだったかと、当時の事共がフラッシュ・バックの様に蘇っている所。進退窮まった折、対向のトラックの方に様子を伺ったのは正解で、高い床故に出水に強いトラックが進めないとあってはダメだったのだと、今もこの方への感謝の意を新たにしている所。翌日、寸断箇所を市営バスで通ったら、水没したらしい車が数十台は留まっており、改めて水の恐ろしさを思い知ったものだ。近くは去年、広島市を襲った水害も、線状降水帯によるものと言われている様だ。
前回も触れたが、過去からの推移を見ていると、此度の水害は一度だけのものではなく、これからも続発する可能性がある事が分る。つまり、大雨などの特別警報が、当地でも発せられる可能性が大きくあると言う事だ。これから各地にて生じるであろう風水などの自然災害は、他人事ではない事例として、我々も避難とか被災した時の処し方など、学ぶ所が大きいと心得る。25平方km以上と言われる被災地域の復興は勿論まだこれからだが、そうした流れも良く見聞して、自らの番になった時に役立てられればとも思う。
先の震災のそれも、まだ全てが終わった訳では決してないが、此度の水害にあっても、災害ボランティアを志す方々が少なくないのは心強い限りだ。ただここでもボランティアを受け入れる自治体の対応は遅く、ボランティア基地が立ち上がるのは9/16(水)の予定だと言う。広大な被災規模で復興業務の大変さは分るが、少しでも力を貸そうとする方々の崇高な姿勢を無にする事があってはならない。自治体の対応迅速化への熱意を期待すると共に、大きな疑問が一つ。それは、ボランティア活動に大きな影響力を持つであろう野党勢力の協力姿勢が全くと言って良い程見られない事。前世期末の阪神大震災と、先の東日本大震災の折は与党であっても、災害ボランティアを積極的に組織主導し、早い復興に役立てようとの熱意が見られないのだ。当該の民主党は、政権党時代に行政事業仕訳の行き過ぎから、本当は必要な防災事業までカットを強行したと言われ、此度の水害の遠因になったと言われる。その事も踏まえ、各種ボランティア活動を仕切った実績があるのなら、此度の様な災害でも活動案を率先して明らかにし、与党側にその活用を働きかけるのが正道だろう。他の野党も一部を除いて似たり寄ったりだ。諸外国にては、普段対立する与野党も、大災害などの折は一致協力して難局に立ち向かうと言う。今の我国にはそうした文化がない。悲惨な災禍に見舞われても「いつもの低級な対立」では話にならない。政治家や公務員レベル、それに民度にあっても、その様な政治文化を育てる気がなければ、我国はいつまで経っても一流先進国とは言われないのではないか。増して「自分だけは、自党だけは大丈夫」などと言う慢心は、決して考えるべからざる事ではないのか。
平時と同じ気で「初めに対立ありき」ばかりで戦後70年を徒に過ごし、平穏な日々の高度成長の賜物であった戦後レジームに寄りかかり、冨や恵まれた時間を食い潰し続けて来たツケが回ったと見るのは、俺一人ではないと思うのだが。
今回画像は、当地名古屋の中心部を通る、JR中央線の千種区辺りを行く「掘割」と呼ばれる半地下区間。先の東海豪雨を初め、大雨時には冠水でしばしば寸断され不通となる事があり、その克服が大きな課題であります。