空心さん今晩は。折々に下さる画像有難うございます。
例年にない猛暑の続く今夏。さすがに心身も参り始めているのは事実ですが、8月も後半、何とか乗り切りたい気持であるのも事実です。
この前下さった朝顔の画像は、久しぶりで清々しい気分になれました。
さて先月なんですが、貴地元よりそう遠くない、さいたま市大宮区のJR鉄道博物館を訪ねる機会がありました。前夜、秋田よりの夜行特急「あけぼの」にて朝首都圏入り、大宮駅にて列車の出入りを撮影後参った次第。この折の模様は、貴画像掲示板にも一枚載せました。
鉄道博物館の歴史ゾーンには、各時代を代表する汽車、電車などの鉄道車両が集っているのはご存じかと思います。私も、その収蔵量の多さに感嘆したものでしたが、暫く眺めている内に「これは、拙幼少の頃の旧国鉄名古屋駅の有様ではないか」と思ったのでした。つまり「あの頃のありふれた光景」だった訳です。
約40年前の名古屋駅。駅本屋は1937=昭和12年に竣工した、重厚な鉄筋コンクリ建築で、戦前は東洋一と言われた先代駅舎。
開業数年を経た東海道新幹線と、戦前と戦後世代の車両が入り混じった在来線。特に関西線の各駅停車と夜行急行の一部には、未だに蒸気機関車が先頭に立つ事があり、当時の新幹線の精鋭0系列車との並走さえ見られました。
東海道本線系に目を転じれば、これ又名古屋鉄道の当時の精鋭、パノラマカー7000系電車と東海道新幹線や在来線長距離列車との邂逅や並走が飽きる程見られ、想えば良い時代だったと思います。
一昨年の暮れ位だったでしょうか、ある男性雑誌(勿論淑女各位に嫌われる、性的な記事が載る事も間々あります。苦笑)に、勇退する名古屋鉄道パノラマカーの惜別記事が載ったことがあり、その折「ありふれた日常も、やがて過去になる」との言葉が綴られていたのを今も強く覚えており、その言葉が、時を経ると共に、次第に大きく重いものに変わって行くのを感じる訳であります。
確かに、この文言は真実を語っていると思います。
あの頃、余りにも日常になり過ぎていた蒸機。貨物便では、名古屋市内でも2機重連の走行が見られ、相当数が頑張っていました。東海道新幹線の初代車0系、その前の東海道線のシンボルだった「こだま」スタイルのボンネット型特急車など、普段より名古屋駅にて見る事のできた、ありふれた仲間達。意識もしない内に世代交代は大きく進み、そうした仲間達も一人去り、二人去り、前世紀の末には新幹線0系も後進に後を託して姿を消しました。その「ありふれた」を写真記録に残す熱意は、遺憾な事に遂に起こりませんでした。
辛うじて、名古屋鉄道パノラマカーの画像を何枚か残す事位は叶い、その意味で少しはその事の反省になったのかな、などと振り返っている次第。
この事は、人生全般にもかなり当てはまる様な気がします。
ご存じとは思いますが、我々の世代も、多くの方々が親御様との死別の時期を迎えています。私にしても、今はとも角いずれその時期を迎えなければならず、果たしてそれまでの間に、親に対して何ができるか、と言う事にどうしても思考が行ってしまいますね。まあ「案ずるより生むが易し」で、その時になれば何とか進められるのでは、との希望もあるにはありますが。
それにしても、親も言わば「ありふれた」存在。良く顔を合わせていると、ついつい「いつまでも元気でいてくれる」ものと思いがちな様です。人命に限りがある様に「やがて過去になる」別離の日が必ずやって来る事を念頭に置いて日々を生きる様、今、自らに言い聞かせている所。果たして、きちんと実行できるかは、疑問符の残る所ですが・・・。*(ひまわり)*
例年にない猛暑の続く今夏。さすがに心身も参り始めているのは事実ですが、8月も後半、何とか乗り切りたい気持であるのも事実です。
この前下さった朝顔の画像は、久しぶりで清々しい気分になれました。
さて先月なんですが、貴地元よりそう遠くない、さいたま市大宮区のJR鉄道博物館を訪ねる機会がありました。前夜、秋田よりの夜行特急「あけぼの」にて朝首都圏入り、大宮駅にて列車の出入りを撮影後参った次第。この折の模様は、貴画像掲示板にも一枚載せました。
鉄道博物館の歴史ゾーンには、各時代を代表する汽車、電車などの鉄道車両が集っているのはご存じかと思います。私も、その収蔵量の多さに感嘆したものでしたが、暫く眺めている内に「これは、拙幼少の頃の旧国鉄名古屋駅の有様ではないか」と思ったのでした。つまり「あの頃のありふれた光景」だった訳です。
約40年前の名古屋駅。駅本屋は1937=昭和12年に竣工した、重厚な鉄筋コンクリ建築で、戦前は東洋一と言われた先代駅舎。
開業数年を経た東海道新幹線と、戦前と戦後世代の車両が入り混じった在来線。特に関西線の各駅停車と夜行急行の一部には、未だに蒸気機関車が先頭に立つ事があり、当時の新幹線の精鋭0系列車との並走さえ見られました。
東海道本線系に目を転じれば、これ又名古屋鉄道の当時の精鋭、パノラマカー7000系電車と東海道新幹線や在来線長距離列車との邂逅や並走が飽きる程見られ、想えば良い時代だったと思います。
一昨年の暮れ位だったでしょうか、ある男性雑誌(勿論淑女各位に嫌われる、性的な記事が載る事も間々あります。苦笑)に、勇退する名古屋鉄道パノラマカーの惜別記事が載ったことがあり、その折「ありふれた日常も、やがて過去になる」との言葉が綴られていたのを今も強く覚えており、その言葉が、時を経ると共に、次第に大きく重いものに変わって行くのを感じる訳であります。
確かに、この文言は真実を語っていると思います。
あの頃、余りにも日常になり過ぎていた蒸機。貨物便では、名古屋市内でも2機重連の走行が見られ、相当数が頑張っていました。東海道新幹線の初代車0系、その前の東海道線のシンボルだった「こだま」スタイルのボンネット型特急車など、普段より名古屋駅にて見る事のできた、ありふれた仲間達。意識もしない内に世代交代は大きく進み、そうした仲間達も一人去り、二人去り、前世紀の末には新幹線0系も後進に後を託して姿を消しました。その「ありふれた」を写真記録に残す熱意は、遺憾な事に遂に起こりませんでした。
辛うじて、名古屋鉄道パノラマカーの画像を何枚か残す事位は叶い、その意味で少しはその事の反省になったのかな、などと振り返っている次第。
この事は、人生全般にもかなり当てはまる様な気がします。
ご存じとは思いますが、我々の世代も、多くの方々が親御様との死別の時期を迎えています。私にしても、今はとも角いずれその時期を迎えなければならず、果たしてそれまでの間に、親に対して何ができるか、と言う事にどうしても思考が行ってしまいますね。まあ「案ずるより生むが易し」で、その時になれば何とか進められるのでは、との希望もあるにはありますが。
それにしても、親も言わば「ありふれた」存在。良く顔を合わせていると、ついつい「いつまでも元気でいてくれる」ものと思いがちな様です。人命に限りがある様に「やがて過去になる」別離の日が必ずやって来る事を念頭に置いて日々を生きる様、今、自らに言い聞かせている所。果たして、きちんと実行できるかは、疑問符の残る所ですが・・・。*(ひまわり)*