坂城は旧北国街道、坂木宿の町。村上義清が治めた歴史の古い土地。かつては天領であり、奥ゆかしい雰囲気を留める町。
しなの鉄道、坂城駅近くの横町に古い井戸があることを思い出し、ふと出かけた。
あった!
井戸を覆う部分は新しくなっていたが、井戸そのものはそのままだ。
坂城は扇状地のため、湧水も多い。
キレイな水が湧き出しているな!
坂城は旧北国街道、坂木宿の町。村上義清が治めた歴史の古い土地。かつては天領であり、奥ゆかしい雰囲気を留める町。
しなの鉄道、坂城駅近くの横町に古い井戸があることを思い出し、ふと出かけた。
あった!
井戸を覆う部分は新しくなっていたが、井戸そのものはそのままだ。
坂城は扇状地のため、湧水も多い。
キレイな水が湧き出しているな!
坂城町を通る旧北国街道沿いの名水として古くから知られていた名水「甘泉」(かんせん)とは、文字通り甘い水であったようで、加賀百万石の殿様も飲んだという。
「甘水」の命名は旧坂木・四ツ屋の塚田甚九郎が代官に請願して認められたものという。また、この碑の書は、文化11年、天領であった坂木五千石の代官・男谷彦四郎燕斉が書いたものだそう。ちなみにこの人物は、勝海舟の叔父。
昭和20年代までは湧出があったようだが、土地整備等で枯れてしまったようだ。平成30年度に現在地に移されたようだが、もう少し前は街道沿いにあった。
その向かいの染物店「玉屋」さんにも湧水があって、それを利用しておられた。久しぶりに出かけてみると、すでにお店は閉じられていた。
坂城町は扇状地下の伏流水が湧き出す土地柄。この清水も古くから知られていたようで、地元の民謡《坂木甚句》には、
〽︎送りましょうかや 送らせましょうか せめて四ツ屋の清水まで
と歌われている。
坂木はかつての天領の地。豊かな場所だ。
東御市本海野といえば、 重要伝統的建造物群保存地区となっている北国街道海野宿で知られる。現在の宿場の入り口付近に古社、白鳥神社がある。
ここにはケヤキの巨木があって、何回か訪ねたことがある。
その根元には池があるのだが、澄んだ水でとてもキレイだ。
その水源となるところをたどってみる。すると小屋のような建物のところに、勢いよく揚水されている。
小屋をよく見ると井戸の石組みがあって、その上に小屋が設置されていた。
側面には「井戸組合」の文字が刻まれている。地域で大事にされてきた井戸であろう。
黒部市生地は名水の里。水汲みや魚を買いに行ったことはあるが、案外ゆっくり歩いたことがなかったので、今回は少々歩いてみた。
くろべ名水公園付近に車を停めて歩く。
海とつながっているこの風景はいいね。
向こうに見えるのは「生地中橋」。回転可動式の橋として知られている通り、橋が動いてそこを船が通るのだ。
さて、ここから背戸川方面へ歩いて行く。
このあたりは、暴風雨と満潮が重なったときに水が逆流し、稲田が水浸しにることがあり、椎名道三の指導の下、背戸川の堀川工事が行われ、水害がなくなったのだそうである。気持ちのいい遊歩道になっていた。
途中に「清水庵の清水」があった。
本当に豊かな水量の湧水だ。
もう少し歩いて、「源兵さの清水」まで行く。
ここは橋のたもとを少し下ったところにある。
苔むした感じがいい。
この橋の反対側はこんな風景。
水のある風景はいいな。
町を歩いていると、イカが干してあった。
自家製干物かな!
さて、駐車場へ戻ろうとしたら「生地小学校」があり、ふと見ると「生地っ子しょうず」という看板が目に入った。
お休みの日でもあったが、ちょっと失礼して近づいてみた。
学校の庭にも湧水がある!ここからビオトープが造られていた。何ともいい空間だな。
さて、くろべ名水公園へ戻る。ここにも湧水がある。
生地は本当に名水の里。個人的には名水の「聖地」だと思っている(笑)
また訪ねたい土地だ。
上田市真田町といえば、日の本一の兵として人気も絶大の真田信繁(=真田幸村)の出自として知られる土地。真田氏関連の史跡が多いが、真田氏本城跡は真田幸綱築城とされる。幸綱は幸隆、つまり真田昌幸の父、信繁の祖父である。この場所は上田城築城以前の真田氏の拠点である。
その手前の広場に水の手湧水があるという情報を得て行ってみた。
城の麓、熊久保集落からの引水のようだ。
それにしても、以前ネットで見た画像と比べると、何だか荒れた感じがした。せっかくなので整備されればいいのに…と思ってしまう。