下伊那郡阿智村にある天台宗・長岳寺。当地、駒場にある古い名刹だ。

この寺は武田信玄が戦いで病に倒れ、甲斐へ帰国の途上、駒場の地で亡くなり、その遺骸を安置したということで知られる。

しかし、この寺にはもう一つ忘れられない人が知られる。先代住職、山本慈昭氏だ。

敗戦間近に、国民学校の教師として渡満し、シベリアに抑留される。奇跡的に帰国するも、多くの子どもたちが、苦難を逃れようとしたものの、中国の地で亡くなったり、取り残されたことを知り、生涯を残留孤児たちの肉親捜しに捧げるのであった。
特に、信州を代表する文学者、和田登著になる「望郷の鐘」の映画化により、注目されてきた。その鐘がこれだ。

こんな碑もあった。

境内には日中友好に関わるものが数々残されている。日中友好不再戦の碑、そしてお地蔵さま。


阿智村には「満蒙開拓平和祈念館」もオープンした。こうした地を訪ねると、平和への思いを新たにするとともに、帰国者の方々の生き様に学び、自分たちの生き方を見つめ直す気持ちにもさせられる。

この寺は武田信玄が戦いで病に倒れ、甲斐へ帰国の途上、駒場の地で亡くなり、その遺骸を安置したということで知られる。

しかし、この寺にはもう一つ忘れられない人が知られる。先代住職、山本慈昭氏だ。

敗戦間近に、国民学校の教師として渡満し、シベリアに抑留される。奇跡的に帰国するも、多くの子どもたちが、苦難を逃れようとしたものの、中国の地で亡くなったり、取り残されたことを知り、生涯を残留孤児たちの肉親捜しに捧げるのであった。
特に、信州を代表する文学者、和田登著になる「望郷の鐘」の映画化により、注目されてきた。その鐘がこれだ。

こんな碑もあった。

境内には日中友好に関わるものが数々残されている。日中友好不再戦の碑、そしてお地蔵さま。


阿智村には「満蒙開拓平和祈念館」もオープンした。こうした地を訪ねると、平和への思いを新たにするとともに、帰国者の方々の生き様に学び、自分たちの生き方を見つめ直す気持ちにもさせられる。