はなこのアンテナ@無知の知

たびたび映画、ときどき美術館、たまに旅行の私的記録

(11)彼らを自爆テロへと向わせるもの『パラダイス・ナウ』

2007年03月06日 | 映画(2007-08年公開)

晴れ渡る空の下、礼服に身を包んだ二人が向う先は…

「物事を”邪悪”と”神聖”にわけるのはナンセンスだ。
 私は複雑きわまりない現状に対する人間の反応を
 描いているのです」―ハニ・アブ・アサド監督


 イスラエルで繰り返されている自爆テロのニュースでは、いつ、どこで、どういったシチュエーションで、何という組織の何人の加害者によってそれが行われ、何人の被害者が出たか…が伝えられるのみである。

 しかし、各々の事件の背景には私達日本人には計り知れない現地の複雑な歴史的・地政学的事情が控えており、不幸にして被害者対加害者として関わらざるを得なかったイスラエル人とパレスチナ人それぞれの個々の人生があったはずである。

 かつて何千年にも渡って同じ地で平和裏に共生していたはずの両民族に、この百年足らずの間に何が起きたのか。


 この作品は冒頭で引用した監督の言葉にもあるように、イスラエル・パレスチナ問題において誰が正しく、誰が誤りなのかを問うているのではない。

 イスラエル在住のパレスチナ人監督が、パレスチナ人の視点から自爆テロへの道程を描いてはいるが、だからと言って、けっして自爆テロを肯定するものでもない。

 あくまでも複雑な背景を抱えた土地に住む、ごく普通の~冷酷無慈悲な殺人鬼ではない~青年が、未来を展望できない八方塞がりな現状に苦悩し、内面的葛藤を経て、非情な自爆テロ犯へと至るまでの姿を淡々と綴った映画である。

「ここでの生活は牢獄と変わらない」(サイード)
「地獄で生きるより、頭の中の天国の方がマシだ。
 今は死んだも同然」(ハーレド)


 舞台となっているヨルダン川西岸地区のナブルスは、(見ての通り)乾いた岩だらけの土地である。丘の斜面にへばりつくように石造りの家が建ち並び、遠目にはガレキの山のようにも見え、色彩感の乏しい街並みだ。それだけにその背景に広がる青空がやけに眩しく色鮮やかに見える。

 そんなナブルスで自動車修理工として働く幼なじみの二人、サイードハーレド。客もまばらで暇を持て余しぎみ。貧しく、娯楽も乏しく、何をするでもない。それでも
恋はする。サイードにはほのかに思いを寄せる女性がいる。しかし、貧しすぎて、彼女との幸福な未来像を描くことさえ叶わない。

 そんな中、抵抗組織に勧誘される二人。つい数時間前までウダウダしていた彼らが、自爆テロ犯に仕立て上げられる過程があまりにもあっけなく、それだけに彼らの身近に平然と存在するテロの在り方が恐ろしい。胴体に爆弾を装着され、礼服に身を包み、テロ実行へと向う二人。実はここから彼らの葛藤が始まるのである…


 そもそもイスラエル・パレスチナ問題は、ヨーロッパにおけるユダヤ人差別が端緒であった。そのエピソードは古今の映画でも描かれている通りである(『ベニスの商人』では思わず、アル・パチーノ演じるシャイロックに感情移入してしまった)。

 その決定打となったのはナチス・ドイツによるユダヤ人ジェノサイドである。これにより、ヨーロッパを中心に世界各地に離散していたユダヤ人に、ユダヤ国家建設願望が沸き起こり、程なくシオニズム運動へと発展した。

 ”土地なき民に土地を”のスローガンのもと、これを後押ししたのが、欧米諸国である。ヨーロッパ在住のユダヤ人の「移民」が否応なく進められると同時に、それまで平和に暮らしていたパレスチナ人は強制的に自らの土地から追いやられ、離散の憂き目に遭った(実際、私がヨルダン在住中<1990年代前半>に交流を持ったパレスチナ人の多くが、ヨルダン川西岸地区に住む親族と自由に会うことさえ叶わない状態だった。国境付近の警備は厳しく、ヨルダン領内でさえヨルダン川に沿うように数多くの検問所があり、私自身、常にパスポートを携行するのはもちろんのこと、時には有無を言わさず突然前方の道路が通行止めとなり、周辺をドライブするのさえ一苦労だったのを覚えている)

 限られた土地を巡って新旧の居住者が争うのは日を見るより明らかである。イスラエル・パレスチナ闘争とは、パレスチナ人から見れば何千年にも渡って住み続けて来た土地、ユダヤ人からすれば神から約束されたユダヤの土地を、互いに奪還しあう闘いなのである。

 こうした土地を巡る闘争は、互いの血を非情なまでに流し合い、民族間の対立のみならず、個人的な憎悪まで生み出している。両国と利害関係のない日本から見れば、これは理解し難い、不毛のそして不幸な闘いである。しかし現在進行形の闘いなのである。

立ち位置が違えば、見える景色も違う。

 私達にまず必要なのは、当事者達が置かれた状況の中で、彼らの目に何が見えているのかを想像することなのかもしれない。実はこの”想像力の欠如”が、世界中で起きている問題に対して、私達を国際社会を、罪深き傍観者にしているかもしれないのだから。

3月10日(土)より東京都写真美術館ホールにて公開。
『パラダイス・ナウ』公式サイト

【参考文献】
・ルーシー・S・ダビドビッチ/大谷堅志郎訳
 『ユダヤ人はなぜ殺されたか』(サイマル出版会、1975)
・エリアス・サンバー/飯塚正人監修、福田ゆき・後藤淳一訳
 『パレスチナ』(創元社・「知の再発見」双書、2002)
・立山良司『イスラエルとパレスチナ』(中公新書、1989)

【2007.06.14 追記】
以下のサイトは、パレスチナの現状を踏まえた的確な映画評だなと思いました。
『パラダイス・ナウ』早尾貴紀(Palestine Olive)
コメント    この記事についてブログを書く
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする
« 今日は愚痴ります~町内会の役員 | トップ | 思わず自転車を止めた。 »
最新の画像もっと見る

コメントを投稿

ブログ作成者から承認されるまでコメントは反映されません。