天才トニー・スターク、パワードスーツ開発中…
何だかんだ言って、アメコミ(Marvel ComicsやDC Comics)の映画化作品は結構見ている。今年だけでも『インクレディブル・ハルク』(超人ハルク)、『ダークナイト』(バットマン)、『アイアンマン』(アイアンマン)を見た。
過去には『スパイダーマン』『X-メン』『デアデビル』『ファンタスティック・フォー』『ゴーストライダー』『ブレイド』『トランスフォーマー』(以上Marvel Comics)、『スーパーマン』『スーパーガール』『キャットウーマン』(以上DC Comics)など。ストーリーは荒唐無稽だし、パワー礼賛(=悪は力でねじ伏せる)色が濃いけれど、良くも悪くも米国を体現しているアメコミ作品群。米国と言う国に対して愛憎相半ばの者にとっては、アメコミやその映画化作品は要チェック項目なのだ(笑)。
◆『インクレディブル・ハルク』は、前作の『ハルク』に比べれば、主演のハルク役に演技派エドワード・ノートン、その相手役に魅力的なリヴ・タイラーを迎え、人間ドラマの部分はなかなか見応えがあった。惜しむらくは、超人ハルクに変身後の格闘シーンで、CG表現にこれと言って目を引くものがない上に、冗長な印象が拭えなかったこと。途中で見飽きてしまった。
エドワード・ノートンがアメコミ映画主演とは意外…
冒頭のブラジルの貧民街の描写は、4年前に公開されたデンゼル・ワシントン主演の『マイ・ボディガード(Man on Fire)』の舞台のひとつとなったメキシコの貧民街そのままに、建築基準法など存在しない、丘の斜面にへばりつくようにして縦横無尽に増殖した粗末な住宅群だったのが印象的だった(追っ手から逃れるべく、ハルクはその複雑に入り組んだ街路を疾走する。入り組んだ住宅街を疾走と言ったら、『ボーン・アルティメイタム』もそうだね)。映画の本筋とは関係ないが、なぜか記憶に残る映像である。
◆クリスチャン・ベールをブルース・ウエイン&バットマン役に据えた、クリストファー・ノーラン監督第2作目の『ダークナイト』は、前評判通りの完成度の高さと面白さで出色だった。
特に善と悪のせめぎ合い(バットマンVSジョーカー、また善人然としたデント検事の内的葛藤)とその均衡の危うさ(法治国家の下ではバットマンもまた裁かれるべき存在。あのエシュロンを想起させる盗聴システム=禁断の果実にまで手を出す下りが象徴的)、そして善悪が合わせ鏡のように存在するジレンマが、最後まで緊迫感が途切れることなく描かれ、見応えがあった。
それにしても鬼気迫る演技だったなあ…ヒース・レジャー
さる評論家に「ジョーカー役を演じたヒース・レジャーは、過去にジョーカーを演じた怪優ジャック・ニコルソンを凌駕するほどの迫真と狂気の演技で、自らの命を縮めてしまったのでは?」とまで言わしめたほどのヒースの熱演。それは、現実世界に存在する確信犯的な、罪を犯すことそのものを犯行の目的とする、常人には理解不能な犯罪者を想起させ、言い知れぬ恐怖を誘った。バットマン・シリーズは敵役に大物俳優を起用するのがその特徴のひとつだが、本作の場合、ハリウッドの次代を担ったであろう気鋭の若手が、その命を燃やし尽くしたとも言える演技で、完全に主役を喰っていた。この後に演じる敵役は常にヒースを意識せざるを得ず、さぞかし演じづらいだろう。
◆『アイアンマン』は期待以上の出来だった。予告編より本編の方が断然面白い。主演のロバート・ダウニー・Jrが天才兵器開発者を演じるのだが、あり得ない状況下(笑)でのパワードスーツ開発過程の描写など、リアリティという点ではツッコミどころ満載ながら、これが結構面白いのである。試行錯誤を繰り返す中で徐々に完成に近づく、もの作りのワクワク感を追体験できるという感じだ。
キャスティングも魅力的。有能で、公私に渡って主人公の支えとなるペッパー・ポッツ役のグウィネス・パルトロウ、同じく全幅の信頼を寄せる友人役のテレンス・ハワード、そして、何やら最初からいわくありげな共同経営者役のジェフ・ブリッジス(最初風貌のあまりの変化に誰だかわからなかった)と、役者が揃っている。それにしてもグゥイネス、昔より今の方が、ずっとチャーミング!また、前半で主人公と行動を共にするイェンセン役のショーン・トーブの存在も忘れ難い。イランをルーツに持つ彼は、様々な映画で中東人を演じているが、過去に出演した『クラッシュ』『マリア』『君のためなら千回でも』のいずれの作品でも、鮮烈な印象を残している。
本作でも、善と悪の相互依存性が皮肉だ。善があっての悪。最強の兵器は最悪の脅威となり得る。アイアンマンだって、悪の手に渡れば脅威となる。その危うさが、現実世界にもそのまま当てはまりそうで怖い。
何だかんだ言って、アメコミ(Marvel ComicsやDC Comics)の映画化作品は結構見ている。今年だけでも『インクレディブル・ハルク』(超人ハルク)、『ダークナイト』(バットマン)、『アイアンマン』(アイアンマン)を見た。
過去には『スパイダーマン』『X-メン』『デアデビル』『ファンタスティック・フォー』『ゴーストライダー』『ブレイド』『トランスフォーマー』(以上Marvel Comics)、『スーパーマン』『スーパーガール』『キャットウーマン』(以上DC Comics)など。ストーリーは荒唐無稽だし、パワー礼賛(=悪は力でねじ伏せる)色が濃いけれど、良くも悪くも米国を体現しているアメコミ作品群。米国と言う国に対して愛憎相半ばの者にとっては、アメコミやその映画化作品は要チェック項目なのだ(笑)。
◆『インクレディブル・ハルク』は、前作の『ハルク』に比べれば、主演のハルク役に演技派エドワード・ノートン、その相手役に魅力的なリヴ・タイラーを迎え、人間ドラマの部分はなかなか見応えがあった。惜しむらくは、超人ハルクに変身後の格闘シーンで、CG表現にこれと言って目を引くものがない上に、冗長な印象が拭えなかったこと。途中で見飽きてしまった。
エドワード・ノートンがアメコミ映画主演とは意外…
冒頭のブラジルの貧民街の描写は、4年前に公開されたデンゼル・ワシントン主演の『マイ・ボディガード(Man on Fire)』の舞台のひとつとなったメキシコの貧民街そのままに、建築基準法など存在しない、丘の斜面にへばりつくようにして縦横無尽に増殖した粗末な住宅群だったのが印象的だった(追っ手から逃れるべく、ハルクはその複雑に入り組んだ街路を疾走する。入り組んだ住宅街を疾走と言ったら、『ボーン・アルティメイタム』もそうだね)。映画の本筋とは関係ないが、なぜか記憶に残る映像である。
◆クリスチャン・ベールをブルース・ウエイン&バットマン役に据えた、クリストファー・ノーラン監督第2作目の『ダークナイト』は、前評判通りの完成度の高さと面白さで出色だった。
特に善と悪のせめぎ合い(バットマンVSジョーカー、また善人然としたデント検事の内的葛藤)とその均衡の危うさ(法治国家の下ではバットマンもまた裁かれるべき存在。あのエシュロンを想起させる盗聴システム=禁断の果実にまで手を出す下りが象徴的)、そして善悪が合わせ鏡のように存在するジレンマが、最後まで緊迫感が途切れることなく描かれ、見応えがあった。
それにしても鬼気迫る演技だったなあ…ヒース・レジャー
さる評論家に「ジョーカー役を演じたヒース・レジャーは、過去にジョーカーを演じた怪優ジャック・ニコルソンを凌駕するほどの迫真と狂気の演技で、自らの命を縮めてしまったのでは?」とまで言わしめたほどのヒースの熱演。それは、現実世界に存在する確信犯的な、罪を犯すことそのものを犯行の目的とする、常人には理解不能な犯罪者を想起させ、言い知れぬ恐怖を誘った。バットマン・シリーズは敵役に大物俳優を起用するのがその特徴のひとつだが、本作の場合、ハリウッドの次代を担ったであろう気鋭の若手が、その命を燃やし尽くしたとも言える演技で、完全に主役を喰っていた。この後に演じる敵役は常にヒースを意識せざるを得ず、さぞかし演じづらいだろう。
◆『アイアンマン』は期待以上の出来だった。予告編より本編の方が断然面白い。主演のロバート・ダウニー・Jrが天才兵器開発者を演じるのだが、あり得ない状況下(笑)でのパワードスーツ開発過程の描写など、リアリティという点ではツッコミどころ満載ながら、これが結構面白いのである。試行錯誤を繰り返す中で徐々に完成に近づく、もの作りのワクワク感を追体験できるという感じだ。
キャスティングも魅力的。有能で、公私に渡って主人公の支えとなるペッパー・ポッツ役のグウィネス・パルトロウ、同じく全幅の信頼を寄せる友人役のテレンス・ハワード、そして、何やら最初からいわくありげな共同経営者役のジェフ・ブリッジス(最初風貌のあまりの変化に誰だかわからなかった)と、役者が揃っている。それにしてもグゥイネス、昔より今の方が、ずっとチャーミング!また、前半で主人公と行動を共にするイェンセン役のショーン・トーブの存在も忘れ難い。イランをルーツに持つ彼は、様々な映画で中東人を演じているが、過去に出演した『クラッシュ』『マリア』『君のためなら千回でも』のいずれの作品でも、鮮烈な印象を残している。
本作でも、善と悪の相互依存性が皮肉だ。善があっての悪。最強の兵器は最悪の脅威となり得る。アイアンマンだって、悪の手に渡れば脅威となる。その危うさが、現実世界にもそのまま当てはまりそうで怖い。