はなこのアンテナ@無知の知

たびたび映画、ときどき美術館、たまに旅行の私的記録

今更ながら「チョイ住み in 釜山」の感想

2017年08月20日 | 海外旅行(旅の記録と話題)
 「チョイ住み パート2」の記事が重くなりそうなので、「釜山編」の感想をこちらに分離独立させました。

 「チョイ住み」と言う番組を知らない人にとっては「何これ?」トピックかもしれませんが、結構面白いスタイルの旅番組なので、直近の番組を是非ご覧いただければと思います。

 番組の趣旨としては、「従来のあくせく短期間で観光地巡りをする旅」ではなく、「見知らぬ者同士2人(カップリングは基本的に、それぞれ異なるジャンルで活躍する、世代も異なる、同性)が、海外のとある街でアパートを借りて生活者目線で数日間暮らす」と言うものです。

 番組では、従来の慌ただしい旅行では見えなかった現地の人々の暮らしぶりが垣間見え、出演者による現地ならではの食文化への洞察もあり、さらに、ほぼ初対面同士の出演者たちが、同居生活を通じてお互いの心の距離を縮めて行くプロセスを目の当たりにする楽しさがあります。

 「チョイ住み in Malaysia」 2017年9月2日(土)19:30~ NHK-BSプレミアム(BS3)チャンネルで放送!kirakira2

 興味を持たれた方は、是非、ご覧になってみてくださいねwink

 併せて、昨年の9月に放送された「ハノイ編」の再放送が、8月27日(日)13:00~あるようです!冬季オリンピック金メダリストの清水宏保氏と若手俳優の浅香航大君のハノイふたり暮らし。未見の方は是非、ご覧になってみてはいかがでしょうか?

【2017.04.22 追記】


 改めて「釜山編」を見てみましたが、多少の物足りなさはあるものの、そこそこ楽しめました。

 物足りなさの原因のひとつは、取り上げたトピックが盛り沢山過ぎたせいか、トピックひとつひとつへの"突っ込み"の度合いが浅い、と言うことでしょうか?トピックによってはもう少し深堀しても良かったのではないか?

 また、せっかくふたりでの共同生活なのに、ふたりで協力して何かを成し遂げる部分がなかったのも残念です。そのせいか、「チョイ住み」の最大の魅力である"世代も活躍するジャンルも異なるふたりの共同生活がもたらす化学反応の面白さ"が今一つ感じられなかった。

 例えば過去の「リスボン編」では、地元で愛される飲物「サングリア」の基本的なレシピを地元の人から教わり、小川氏と涼真君がふたりで試行錯誤しながら彼らなりのサングリアを作りあげるなど、ふたりで共同作業して一つのことをやりとげた達成感があり(他にも地元の魚料理に挑戦したり、豊富な地元の缶詰の食べ比べ対決をしたりと、とにかく二人の絡みが多く、"地元の食文化を掘り下げて共に楽しんでいる感"もありました)、アパート滞在で自炊できる「チョイ住み」ならではのメリットも十分に生かされていたわけです。

 さらに釜山は日本に最も近い外国の街ということもあり、町並みも異国情緒という点では、まったく風土・文化の異なる欧米よりはインパクトが弱いだけに、旅人おふたりの地元の人々との関わり方に、より一層注目して見ていました。

 昭和を知る私のような世代の人間からすれば、どこか日本の昭和を思わせる釜山の町並みには懐かしさを覚えたりもしたのですが、談笑師匠や中村君が番組の中で接した地元の人々も老若男女関係なく人情に厚く親切な人が多かった印象です。マスコミ報道やネット情報で伝え聞く、いつまでも過去の出来事に拘泥して日本を責め続ける韓国人の姿とは違うものでした。

 番組の中で談笑師匠は、過去に日韓の間で起きた出来事に関して、自身が加害者側と言う立ち位置で地元の人々に向き合う姿勢を一貫して見せておられましたが、その点については正直、違和感を覚えました。番組でも紹介された「朝鮮通信使記念館」の存在が示すように、隣国である以上、両国は長きに渡って継続的に何らかの関わりを持って来たのですから、その間に平和的な交流もあれば、諍いもあったはずです。

 何十年も前の過去の出来事について、果たして当事者でもない今を生きる人々が、個人レベルで責任を負わなければならないものなのか?そこまで負い目を感じるべきなのか?私が師匠の姿勢に戸惑ったのは、そんな疑問からでした。そもそも一介の旅行者に過ぎない初対面の師匠に、突然過去の歴史について切り出されても、師匠を客人としてもてなしている地元の人々は戸惑うばかりでしょう。

 隣国間での諍いの歴史は何も日韓に限ったことではなく、それこそ、数多くの国々が国境を接してひしめき合うヨーロッパは何百年にも渡り領土紛争の歴史を歩んで来ました。結局、人間のやることなんて洋の東西に関係なく、あまり変わらないんですね。

 人間は他者との関係において何度でも過ちを繰り返すし、その反省に立って新たな関係を築く努力もする。そもそも人類の歴史なんて、創造と破壊、築いては壊しの繰り返しと言えなくもない。

 それは国家間にも言えることで、国家間の関係において何らかの問題が生じた場合、さまざまな困難があろうとも、どこかで区切りをつけて、両者が互いに歩み寄る姿勢なくしては、いつまで経っても問題は解決しないでしょう。それは市民ではなく、「政治(家)」が果たすべき役割であると私は考えます。

 日韓両国間の問題は、米国の極東地域における安全保障体制上、両国が中国(共産主義体制)に対する防波堤の役割を担っている為に、韓国の執拗な謝罪要求を日本が無碍に断れないことにあると思います(正直、いつまで日本の「敗戦国」としての「戦後」が続くのだろう?と言う思いはあります。おそらく、"第3次世界大戦"で日本が戦勝国にでもならない限り続くのでしょう←もちろん、皮肉です)。

 しかもここに来て、韓国の態度が日米の側に付くのか、北朝鮮との融和に動くのか曖昧なのが、事態をより一層複雑なものにしています。朴大統領の失脚に伴う大統領選挙が近いですが、主要3候補の誰が大統領になっても反日政策を基本とするとの報道には、今後も日韓相互の歩み寄りは期待できず、残念で仕方ありません。


 とは言え、たとえ国家レベルではさまざまな問題があるとしても、市民レベルでは交流を絶やさず、互いの国にひとりでも多くの友人知人を作ることが大切なのかもしれません。互いを知らないが故に陥る疑心暗鬼こそが諍いの種となるのですから("彼の国"の現状を見れば、周囲から"孤立"することの危うさを感じずにはいられません)無知が生み出す偏見ほど愚かなものはありません。

 旅行で尋ねた国の町並みや人々の外見や暮らしぶりに、仮に日本との近似性が見られたとしても、それは両者が"まったく同質"と言うわけではなく、それぞれに独自性があること、また現地に対して事前に抱いていた情報や印象が必ずしも正確ではなかったことも、実際に現地を旅したり滞在するなどして、現地の人々と触れ合って初めて知り得ること、気づかされることです。

 そこで驚いたり、戸惑ったり、彼我の違いについて改めて考えたりするのも、旅ならではの醍醐味と言えるでしょうか?

 その意味でも、個人が自由に他国を旅することが出来るのは素晴らしいことだな、とつくづく思います。 


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