はなこのアンテナ@無知の知

たびたび映画、ときどき美術館、たまに旅行の私的記録

「過去」も「他人」も変えられない

2017年08月23日 | 今日の言の葉
 「過去」も「他人」も変えられない。だから、それらのことでクヨクヨするだけ損だ。

 最近、読んだ本の一節なのですが、ストンと腑に落ちましたね。

 私は他人の善性に期待し過ぎなのか、行く先々で、周りの人への配慮を欠いたと言うか、傍若無人と言うか、はたまた自己中とでも言うべき振舞をする人を見かけると、本当に残念で仕方ないのです。

 今は夏休みの最中で、平日の昼間も子どもたちがそこかしこにいます。その子ども達の目の前で、いい大人がマナー違反するのは、本当に教育上ヨロシクナイと思う。

 本来、大人は子どもの模範となるべき存在なのでしょうが、年を重ねたからと言って、それがそのまま人間としての成熟や品性の高まりに繋がるとは限らないんですよね。

 やっぱり、個々人の心の持ち方次第なんでしょうね。欠点にしても、他人に注意されて正せると言うものではなく、自ら正したいと思って初めて正せるものなんですね。自ら変わろうと思わない限り、人は変われない。

 先日も、映画館のトイレが混んでいて皆並んでいるのに、後から来た団塊の世代と思しき年配女性が、ちゃっかり列の先頭に割り込んで、先にトイレに入ってしまいました。その一部始終を、近くにいた小学生の女の子が少し驚いた様子で見ていました。

 なぜ、そんなことになったかと言えば、個室の入り口のすぐ脇に男児用の小便器が備えられていて、ちょうど3~4歳の男児が使用中だったのです。だから、列の先頭にいた私は遠慮して、少し後方に立ったのですが、その隙に件の女性は空いた個室に入って行ったのです。それを間近で見ていたのが、小便器を使っていた男の子のお姉ちゃんでした。

 男の子は用を済ませたけれど、まだ幼くて自分で下ろしたズボンをちゃんと元に戻せない。弟を近くで見守っていたお姉ちゃんは両手に荷物を抱えていて手伝えない。だからすぐ近くにいた私が男の子の服を整えてあげたのですが、お姉ちゃんはきちんと私に対して「ありがとうございました」と言える女の子でした。

 そんな子の目の前で、その子の祖母と同年配であろう女性が、しれっと待ち行列に割り込み。女の子の目には、その行為がどのように映ったのでしょうね。

 子どもは大人をよく見ています。子どもの問題行動は、その背景に身近な大人の問題が隠れていることが多いように思います。

 弱い者いじめなんて、その最たるものではないでしょうか?
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