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上掲地図の通り、トルコ共和国~通称トルコは、アジアとヨーロッパにまたがる国で、国土の北は黒海、南は地中海・エーゲ海に面し、西はブルガリア、ギリシャ、東はグルジア、アルメニア、イラン、イラク、シリアと接している(地図を見て、夫が一言。「トルコって、きれいに横長の枠に収まるんだねえ…」確かに
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西の隣国ギリシャとは未だにキプロスの領有権を巡って対立しているし、東の隣国群は政情不安な国々が多く、そこから、思わぬ火の粉が降りかかって来るやも知れない危険性を孕んでいると言えるだろうか?日本も隣国との関係には常々頭を痛めているが、トルコは国境を接しているだけに、日本以上に緊張を伴うものなのかもしれない。
実際、私達の旅行中、トルコにおいても不穏な空気が流れていたように見えた。詳細は不明だが、イスタンブールでは反政府デモが行われたようだし、軍幹部がクーデーターを画策したかどで逮捕されたのをきっかけに、陸・海・空軍を統括する将軍辞任(←トルコではかなりの影響力を持つ実力者らしい)のニュースが、現地の英字新聞の一面トップを飾り、BBCやCNN中東版ニュースでも大きく取り上げられていた。海外に行くと、こうした現地ならではのニュースに接することができるのも、旅の醍醐味のひとつと言えるだろうか。
先の震災と原発事故以来、日本のマスコミ報道(特にテレビ・ジャーナリズム)は、時間の多くを、震災と原発関連に割いている。世界は、否、この日本でさえ、刻一刻と動いているのに、マスコミの時間はまるで震災のあの日から止ってしまったかのようだ。
もちろん被災地のことを蔑ろにしても良いとは言っていない。要はバランスの問題で、被災地の現状をレポートしつつ、同時に「日本の将来を方向づけるような重要法案が十分な議論も尽くされぬまま可決されはしないか?」「震災・原発事故以外に、日本の根幹を揺るがすような重大事故・事件・現象が看過されてはいないか?」「我々が国内問題だけに目をやっている間に、世界の大きな変化を見過ごし、国として打つべき手を打たずに、将来に禍根を残すことになってはいないか(特に政治家が政局争い、権力維持に奔走する余り、しかるべき政策を実行しないのは大問題だ)?」、マスコミは常に監視し、適切な情報を適時、国民に伝えるべきだと思う。しかし現状は、震災・原発関連のニュースでさえ、国民の知るべき情報が正しく伝えられているのか、その信頼性に疑問符がつく。
実は、海外に一時でも我が身を置くことで、世界における日本の現在の位置づけについても、否応なく考えさせられるのだ。海外で接触する諸外国の人々とのコミュニケーションを通じて、日本が、日本人が海外でどのように見られているか、評価されているかの一端を肌で感じることができる。それは必ずしも心地良い実感ばかりではない。
海外旅行は、少なくとも私にとって、ただ「楽しい」「面白い」「おいしい」だけでない。母国日本から一旦離れることで、母国を冷静に客観視する機会が与えられる、とでも言おうか。そして、母国を相対化して見ることは、様々な事象・現象の本質を冷静に洞察することに応用できるではないか。その意味で、私の海外駐在体験は、私自身にとって、思索を深める上でのターニング・ポイントだったように思う(しかも赴任先が英米のようなメジャーでなかったことも、世界をより多角的な視点で捉えるという意味で、私には良かった)。
些か脱線が過ぎた。トルコに話を戻そう。
トルコ語による正式国名は、Turkiye Cumhuriyeti(テュルキエ・ジュムフリイェティ←言えない!覚えられない!)、通称 Turkiye(テュルキエ)。公式の英語表記は、Republic of Turkey。
現在の共和国体制になったのは、第一次世界大戦後の1923年。それまでは15世紀以来、約470年間、オスマン帝国として繁栄し、最盛期には中央ヨーロッパ(今のハンガリー)から中東、アフリカ(今のモロッコ、エジプト、イエメン)までを手中に収めて、一大帝国を築いていたらしい。さらに遡れば、紀元前は海岸地帯からギリシャ、ローマが進出して都市を築き、その後コンスタンチノーブル(イスタンブール)を拠点に東ローマ(ビザンチン)帝国が幾度かの没落・再興を繰り返しながら、オスマン帝国に滅ぼされるまで続いたと言う。
トルコの民族構成は大きくトルコ人とクルド人に分けられると言うが、これがまた複雑。現在のイスラム教徒トルコ人がトルコに来たのは11世紀頃らしい。彼らは中央アジアから流れ着いたと言われているが、一口にトルコ人と言っても、歴史的に周辺諸国からの流入が相次いだので混血化も進み、中央アジア系、ヨーロッパ系、アラブ系、原種?のトルコ人系と多岐にわたり、容貌で「これぞトルコ人!」と言う典型を見いだすのは難しいようだ。クルド人にしても、出身地によりトルコ系、イラン系、イラク系、アフガン系がおり、一様でない。さらに、黒海沿岸にはどちらにも属さない少数民族が存在すると言う。
確かにトルコ人の容貌はさまざまだ。トルコ航空のクルーやレストランで働く給仕を見ても、金髪碧眼のヨーロッパ系、親しみを覚えるのっぺり顔の中央アジア系、黒髪に太眉の目鼻立ちのハッキリとしたアラブ系等、人種が入り乱れていた。肌の色も白人に近い人から浅黒い人まで、いろいろ。特に世界各国からの観光客でごった返すイスタンブールでは、大都市イスタンブールがそれだけ世俗化が進んでいることもあるが、トルコ語をしゃべらない限り、トルコ人とは見分けがつかない人が多い。
アラブでは一般にやはりシルクロードの発展で混血化が進んだ、レバノンやシリアが美人の産地として有名だが、トルコもその意味で美男美女が多いお国柄なのかもしれない。
これだけ人種のるつぼであるトルコ。長い年月の間に様々な人や物が行き交うことで、トルコから世界に発信された物も多いようだ。トルコ発祥の物を以下に挙げてみる。
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チューリップはトルコ語で「ラーレ」と呼ぶらしいのだが、チューリップをヨーロッパに伝えたと言われるオーストリア大使が花の名前を尋ねた時に、その場にいた男性のターバンのことを聞かれたと思ったトルコ人が、誤ってトルコ語でターバンを意味する「チュルバン」と答えてしまったことから「チューリップ」と言う名前で広まってしまったらしい。
チューリップはヨーロッパでも人気を博し、海運大国として富を欲しいままにしていた17世紀オランダでは、チューリップの球根が投機の対象にもなり、チューリップ相場はバブルを引き起こしたと伝えられる。その後、オランダに定着したチューリップは品種改良が進められ、今ではその一大生産地として、原産国のトルコよりオランダの方が有名になってしまったようだ。
日本では「ブルガリア」が代名詞とも言えるヨーグルトも、実はトルコが発祥の地と言われている。トルコ語で「撹拌する」を意味する「ヨーウルマック」が変化して、トルコでは「ヨーウルト」と呼ばれているらしい。トルコとトルコ以外のヨーグルトで際立った違いと言えば、トルコで人気の「アイラン」と呼ばれるヨーグルトドリンクは塩味なところだろうか。
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楽器のシンバル。これもトルコ発祥。なんでも15世紀頃、オスマントルコの軍隊が敵を威嚇する為に金属板を打ち鳴らしたことが始まりらしい。
種々の絵の具を水に垂らして、かき混ぜ、それに紙や布を浸すと、美しいマーブル模様が出来上がる。これはトルコでは500年続く「エブル」と呼ばれる伝統芸術なんだそうだ。トルコ女性のおしゃれに欠かせない色鮮やかなスカーフも、この技法で作られたりするらしい。確か、息子が小学生の時に、「マーブリング技法」と称して絵画教室で作品を作ったことがあったなあ。トルコの伝統芸術が一般化した好例だろうか。
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ツアー途中カッパドキアで絨毯工場に立ち寄って、実際の製作工程や商品を見せて貰ったが、織りの繊細さ、デザインの美しさ、手触り、光沢等、素人目にも素晴らしい物だった。織子の女性達が気の遠くなるような時間と労力を費やして仕上げる手織りの絨毯に、幾ら何でも粗悪品はなかろう(でも買う、買わないは、また別の話
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私達が知らないだけで、トルコ生まれの物が、私達の身近には結構あるようだ。