はなこのアンテナ@無知の知

たびたび映画、ときどき美術館、たまに旅行の私的記録

バックグラウンドの様々な子供達がやって来た♪

2008年11月07日 | ボランティア活動のこと
今週の某日、多文化共生センター東京が運営するフリースクールの生徒さん達と先生、ボランティアの皆さん、総勢30人余りが、スクール・ギャラリートークに参加された。初めての来館だ。生徒さん達は中国、韓国、タイ、ミャンマー、フィリピン、ベトナム、ネパール(以上、参加予定者リストによる)出身で、来年高校受験を控えた子供達。

引率の先生に伺った話によれば、日本の義務教育制度は、15歳を過ぎた海外からの渡来者は対象外として、小・中学校への受け入れを行わないらしい。その為、彼らの日本における公教育での学校生活は、いきなり高校からのスタートとなる。たとえ来日間もなく、日本語ができなくても、高校受験をしなければならない状況に置かれるのだ。その不安はいかばかりか?現状はさまざまな事情で日本に生活拠点を移すべく日本で職を求めた親が、生活基盤が整った時点で、母国から我が子を呼び寄せると、子供の年齢が15歳を超えてしまうケースが少なくないらしい。そうした子供達の受け皿になっているのが、今回の多文化共生センター東京のようなNPOが運営するフリースクールなのである。

日本の法制度、教育制度が、移民増加の現実に追いついていない。先日NHKの番組で、移民及び外国人労働者問題を取り上げた番組を見たが、そこで言及されたのは、やはり移民受け入れの制度的な遅れだった。今のような少子高齢化が続けば労働人口の減少は必至で、日本が現在の経済レベルを維持する為には、今後約3000~4000万人の移民受け入れが必要になるとのレポートもあると言う。しかしそうした予測を待つまでもなく、既に主としてアジア諸国から、日本を目指す移民が増えているのである。制度が現実に対応しない限り、その狭間で苦悩する人は増える一方だ。

そう言えば、私の大学時代の同級生に、ペルー出身者がいた。彼女は両親が日本人で日系二世。両親は日本でもペルーでも教師をしていたらしいが、ペルーに見切りをつけて日本に帰国。来日時、ペルー生まれペルー育ちの彼女は既に中学生の学齢に達していたが、日本語の理解に問題があった為、小学校に中途入学し、中学、高校、大学と進んだ。そうとは知らずに、私は当初彼女のことを「なんて大人びた人なんだろう」と思っていた。在学中に英検1級を受験するなど、彼女はハンディを克服して極めて学業優秀。大学卒業後は県立高校の英語教員になった。適正な教育を受けられれば、彼女のような人が、フリースクールの生徒さんの中から出現するかもしれない。

生徒さん達は15歳以上とは言え、来日時期はさまざま。来日して1年以上、或いは親の片方が日本人で日本語が堪能な子もいれば、中には来日してまだ2、3カ月で殆ど日本語が理解できない子もいる。スクール・ギャラリートークは作品を前にして作品について感じたこと、思ったことを話し合う対話型という形式をとっているので、彼らを迎える私たち美術館ボランティアも、彼らとの言葉による意思疎通について、正直不安があった。

私が担当したグループには、中国からの5人とフィリピンからの1人、そして引率の先生が1人。幸い先生が中国語が堪能で、トークの間、中国語圏の子供達に対しては、わからない箇所を逐次通訳して下さった。フィリピンの子には、どうしても日本語が通じない時には、私が英語を交えて話した。今回私が担当したコースで見学した作品は肖像画が中心で、他のコースにあるようなギリシャ神話やキリスト教を元にした物語画ではなかったので、子供達にも理解しやすく、見たまま、感じたままを話せば良かったせいか、トークは比較的スムースに行えた。

しかしトークを終えた後のボランティアの反省会では、引率者の方全員が語学に堪能であるわけではないことが判明。しかもギリシャ神話やキリスト教の物語画の場合、どうしても背景説明が必要で、言葉が通じないが故の苦労もあったらしい。ボランティアスタッフの中には、来年の高校受験に向けて日本語を学んでいる生徒さん達に対して、できるだけ日本語で話しかけようと腐心した人もいた。その点、私は日本語学習の一環と言うより、母国では美術館に一度も行ったことがないと言う子供達に、美術館の雰囲気を味わい、作品(絵画や彫刻)を見る楽しさを感じて貰えれば御の字と言う心積もりでトークに臨んだので、気楽だったのかもしれない。これを機会に美術や美術館に興味を持ち、また足を運んで貰えればと思っていたが、フィリピンの子がトーク終了後に、「また来たいので通常の入館料を教えて下さい」と言ってくれて嬉しかった。

今回トークを担当したスタッフは5人中、4人が海外駐在経験者、1人は海外渡航経験が豊富と、自分自身が海外で言葉の通じないもどかしさ、外国語での意思疎通の難しさを経験していることもあって、生徒さん達の置かれている状況には身につまされるものを痛いほど感じており、心を込めて対応したつもりだ。彼らにとって、第2の故国になるかもしれない、この日本が少しでも魅力ある国であって欲しい。美術館の存在が、その一助になれば幸いである。もちろん、これを機会に、またの来館をお待ちしている。
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