【お断り】ネタバレ注意!
下記の文中、物語の"謎"の核心については触れていないのですが、映画未見の方からすると、ネタバレともとれる内容のレビューになっています(配給会社が用意したキャッチコピーの中で殊更強調されている「物語に秘められた大きな謎」。しかし、その"謎"は予告編で何となく予想がつくレベルのもので、結局、謎解きが主旨の作品ではなく、3人の主人公の人生や絆を通して、生きることの意味を問う、真摯な文芸作品と言えるでしょうか?)。
『わたしを離さないで(原題:Never Let Me Go)』を見て来た。
本作は、現代英文学界を代表する日系英国人作家、カズオ・イシグロの同名小説の映画化。イシグロ氏は、今回エグゼクティブ・プロデューサーに名を連ねている。
残酷なまでに切ない物語だった。主人公3人の短く儚い"生"を通して、見る者に否応なく突きつけられる問いかけは「人間が生きることの意味」。
劇中の教師の言葉が印象的だ。「子どもはいつか大人になる。大人になれば、自分のやりたい職業に就く。俳優だったり、スーパーの店員だったり、教師になったり…。でも、あなた達に、その自由はない。あなた達の運命は既に決まっている…(後略)」
「子どもが未来に向かって生きる」のは、人生が子ども自身のものであり、いずれ何者にかなれる、と言う"不確定な人生"が約束されているからだ。既に定められた運命の下で、子どもは未来を夢見ることはできない(あえて注釈するならば、例えば一部の歌舞伎役者は世襲で予めレールの敷かれた人生とは言え、自らの芸道を極める自由はある。しかし、本作の主人公達の人生は、生まれ落ちた時から他者によって管理されたものであり、彼ら自身に自らの生き方を選び取る自由はないに等しい~実際にはひとりひとりが意思を持った人間であるにも関わらずだ)。
「人が人であることの証」は、ひとつには「自己を表現すること」である。それさえ、この物語では意味をなさない。さらに、劇中"Completed"と言う言葉が、非情な響きで繰り返されるが、それは主人公達が"感情"を持ったひとりの人間であることを、真っ向から否定するものなのだ。
そんな絶望の中で、主人公キャシーの唯一の光明は、トミーと出会い、彼を心から愛したこと。切な過ぎる。
映画の作品としての評価は、主人公3人を演じた若手俳優らの演技がとにかく素晴らしく、原作の世界観を見事に表現したであろうことは想像に難くない。
しかし、これまで常にスクリーンの中心にいたキーラ・ナイトレイが、本作ではその座をキャリー・マリガンに譲り、準主役のポジションに徹したかに見えたのが驚きだ(因みに2人が初共演を果たした2005年の『プライドと偏見』で2人は姉妹役を演じ、キーラが王道のヒロインであったのに対し、キャリーは4人姉妹の1人で、改めて調べて「ああ、あの娘!」と思い出せる程度の、まだ現在の活躍が想像もつかない脇役であった)。
その2人の間で揺れるトミーを情感豊かに演じたアンドリュー・ガーフィールドも、私の中では今後の注目株として目が離せない俳優になった。
この英国の若手3人(ガーフィールドは米国生まれ、英国育ち)が、スクリーンに登場後、殆ど出ずっぱりで魅せてくれた力は凄いと思うし、映画界にとっても大きな収穫なんだろうな。
下記の文中、物語の"謎"の核心については触れていないのですが、映画未見の方からすると、ネタバレともとれる内容のレビューになっています(配給会社が用意したキャッチコピーの中で殊更強調されている「物語に秘められた大きな謎」。しかし、その"謎"は予告編で何となく予想がつくレベルのもので、結局、謎解きが主旨の作品ではなく、3人の主人公の人生や絆を通して、生きることの意味を問う、真摯な文芸作品と言えるでしょうか?)。
『わたしを離さないで(原題:Never Let Me Go)』を見て来た。
本作は、現代英文学界を代表する日系英国人作家、カズオ・イシグロの同名小説の映画化。イシグロ氏は、今回エグゼクティブ・プロデューサーに名を連ねている。
残酷なまでに切ない物語だった。主人公3人の短く儚い"生"を通して、見る者に否応なく突きつけられる問いかけは「人間が生きることの意味」。
劇中の教師の言葉が印象的だ。「子どもはいつか大人になる。大人になれば、自分のやりたい職業に就く。俳優だったり、スーパーの店員だったり、教師になったり…。でも、あなた達に、その自由はない。あなた達の運命は既に決まっている…(後略)」
「子どもが未来に向かって生きる」のは、人生が子ども自身のものであり、いずれ何者にかなれる、と言う"不確定な人生"が約束されているからだ。既に定められた運命の下で、子どもは未来を夢見ることはできない(あえて注釈するならば、例えば一部の歌舞伎役者は世襲で予めレールの敷かれた人生とは言え、自らの芸道を極める自由はある。しかし、本作の主人公達の人生は、生まれ落ちた時から他者によって管理されたものであり、彼ら自身に自らの生き方を選び取る自由はないに等しい~実際にはひとりひとりが意思を持った人間であるにも関わらずだ)。
「人が人であることの証」は、ひとつには「自己を表現すること」である。それさえ、この物語では意味をなさない。さらに、劇中"Completed"と言う言葉が、非情な響きで繰り返されるが、それは主人公達が"感情"を持ったひとりの人間であることを、真っ向から否定するものなのだ。
そんな絶望の中で、主人公キャシーの唯一の光明は、トミーと出会い、彼を心から愛したこと。切な過ぎる。
映画の作品としての評価は、主人公3人を演じた若手俳優らの演技がとにかく素晴らしく、原作の世界観を見事に表現したであろうことは想像に難くない。
しかし、これまで常にスクリーンの中心にいたキーラ・ナイトレイが、本作ではその座をキャリー・マリガンに譲り、準主役のポジションに徹したかに見えたのが驚きだ(因みに2人が初共演を果たした2005年の『プライドと偏見』で2人は姉妹役を演じ、キーラが王道のヒロインであったのに対し、キャリーは4人姉妹の1人で、改めて調べて「ああ、あの娘!」と思い出せる程度の、まだ現在の活躍が想像もつかない脇役であった)。
その2人の間で揺れるトミーを情感豊かに演じたアンドリュー・ガーフィールドも、私の中では今後の注目株として目が離せない俳優になった。
この英国の若手3人(ガーフィールドは米国生まれ、英国育ち)が、スクリーンに登場後、殆ど出ずっぱりで魅せてくれた力は凄いと思うし、映画界にとっても大きな収穫なんだろうな。