10月は英国旅行から戻った後、美術館のSGTや友人との会食や映画鑑賞等、予定が立て込んでいて結構忙しい毎日でした。そんな中、4つの展覧会に行って来ました。
1.東京都文京区の永青文庫で開催中の展覧会「春画」展
永青文庫は肥後細川家代々ゆかりの文物を所蔵した博物館で、現在は細川家第18代当主の細川 護熙氏(元首相、陶芸家)が理事長を務めておられます。
今回の展覧会は2013~14年にかけて大英博物館で開催された「春画展」が好評を博したのを受けて、「発祥の地である日本でも、庶民文化が花開いた江戸時代を中心とした春画を一堂に会した展覧会を」との主旨で開催に至ったもの。
春画が性風俗を扱った作品だけに、猥褻と芸術の線引きの難しさが敬遠されたのか、主だった美術館からは会場の提供を断られたらしく、今回、細川氏の英断?で永青文庫での開催が決まったようです。
永青文庫「春画展」公式サイト
私は美術館でのギャラリートークの帰りに展覧会に一人で行ったのですが、初めて行く場所で土地に不慣れであったせいか、公式サイトに「最寄駅の有楽町線江戸川橋駅から徒歩15分」と書かれていたところを25分位かかってしまいました。
日差しも強く、最後の上り坂もきつかった。正門に辿りついた時にはヘトヘト状態でした(帰りは帰りでギフトショップ裏手の公園経由で帰ったら、これが工事中でかなりの迂回を余儀なくされ、行きよりも余計に時間がかかってしまいました)。
写真は永青文庫入口です。
折りしも前日、この春画展に関する記事がヤフーニュースに掲載された影響なのか、入館前から長蛇の列でした。館内も元々広くない各展示室は多くの人でごった返していました。作品によっては二重三重に人が群がり、なかなか見ることができませんでした。
前日に読んだニュース記事では若い女性の来館者が多いとのことでしたが、私が見たところ、この日は年配の男女やご夫婦連れが多かったように思います。素朴な疑問として、特に年配の方々は春画にどんな感想を抱いたのでしょう?若い女性連れは作品の前で率直に感想を述べ合っているのに、年配の方々は終始無言の上に無表情なので、内心どう思っているのかが気になりました。
写真は土産に買い求めたクリアファイルと絵葉書です。離れのギフトショップで、「こんな物使えないわよね」と言う女性の声を尻目に、クリアファイルを買ってしまった私。外で誰かに見せびらかすわけでもなく、自宅で使う物なので別に差し支えはないかと。とにかく各々の絵(抜粋)の色彩が美しく、その鮮やかさに目を奪われました。
予算が許せばカタログもと思ったのですが、価格がカタログとしては破格の4,000円、その上、形も変型判で分厚く、これでは置き場所にも困るかなと、あえなく撤回
今回の春画展を見ての率直な感想は、男女の絡み(なんと3Pまで!)や局部や陰毛が赤裸々に描かれている春画は、実にあっけらかんとした明治以前の日本人の性意識を描いて、殊更、性を隠微なものとして扱う現代との違いが際立っていました。そこがとても興味深い。
もちろん、大名家に伝わる春画には、姫君の興し入れの際の床あしらいの指南書としての役割があったのだとは思いますが、庶民向けの春画に関しては、やはり嗜好品としての意味合いが強かったのでしょう。
しかし、あまりにも性行為をあけすけと描いており、しかもルネサンス期から近世に至る西洋絵画のように人体解剖までして人間の骨格や体型をリアルに描いているわけでもないので、(当時の人々はともかく)現代を生きる私には、その描写にエロチシズムはあまり感じられませんでした。
さらに、春画で描かれている世界観は、身分差も、貧富の差も、美醜の差も関係なく、全ての人間が共有するもの。殿様であれ、町の若衆であれ、持っている物は同じ、お姫様であれ、町娘であれ、やることに大差はないのだと、春画は人間の本質の一端を描いているに過ぎないことにも気づかされます。
そして、全ての展示室を見終わる頃には、「よくもまあこれだけ多くの春画を、有名無名に関わらず多くの絵師が描いたものだわ。それだけ需要も多かったのかもしれないけれど、これだけ一度に大量に見せられると、さすがに飽きるわ」と思ったのでした。尤も、こっそり1枚だけ「あなたに差し上げます」と誰かに差し出されたら、また印象は違ったのかもしれませんが…
写真の幟(のぼり)の、決定的場面を見せない絵の方が却って見る者の想像を掻き立て、エロチシズムを感じさせてしまうという皮肉。
絵葉書の葛飾北斎のオオダコと女性が絡み合う絵に至っては、なんでも描いてしまう「画狂」北斎の真骨頂とも言え、隠微さよりも寧ろ"おかしみ"を感じて、「おいおい北斎よ。こんな絵まで描くんかい?」とツッコミを入れたくなりました(笑)。
一方で、有名な絵師の絵には、客の需要に応えて生々しい男女の絡みを描きながらも、美しく見せる構図の工夫や、着物や帯の文様の緻密な描きこみ、そして、あくまでも女性を優美に描く拘りに、一流絵師としての矜持を感じました。
ともあれ、今回の展覧会は、「春画」も日本美術史に堂々と名を連ねる絵画の一ジャンルとして正当に評価される、またとない機会になったと思います。
2.東京都目黒区の目黒雅叙園で開催されていた「假屋崎 省吾の世界展」
今年で16回目を数えると言う、華道家、假屋崎 省吾氏の作品展「假屋崎 省吾の世界展」を見に、結婚式場で有名な目黒雅叙園の百段階段へ行って来ました。
今回は日本人と日本在住外国人の混成グループでの鑑賞。目黒駅前で待ち合わせをしていたら思いがけず知人に遭遇し、声をかけられました。彼女も友人と同作品展に向かうのだとか。
私は目黒雅叙園自体、今回が初めてでしたが、目黒駅前から急な坂を下って5分ほどで到着。写真は目黒雅叙園の正面玄関。歴史ある結婚式場だけあって、車寄せの上に大きく張り出した屋根が威風堂々とした佇まいです。
かねてから興味のあった作品展ですが、これまでなかなか行く機会に恵まれず、今回、漸く知人からのお誘いで見ることが出来ました。Yさんに感謝!
残念ながら、展示室内は撮影禁止です。やはり著作権保護の問題もあるし、作者からすれば、カメラ撮影に時間を費やすのではなく、肉眼でじっくり作品を見て欲しいものでしょう。ただし、倍の入場料の夕刻に行われる「トワイライト見学」なら、フラッシュなしの撮影が許されているようです(既に作品展は25日(日)に終了しています)。
会場入り口には假屋崎氏の友人知人、仕事関係の方々から贈られた沢山の花が…下手(しもて)には胡蝶蘭の鉢植えがズラリと並んでいました。
ここでふと思ったのですが、「華道家に花を贈る時、贈る側も結構緊張するんじゃないか?」。予算もそれなりにかけないと失礼に当たるのでは?とか、センスが悪いと恥ずかしいとか、いろいろ気を揉みそうですね。そう考えると、胡蝶蘭はお値段的にはOKかもしれませんが、上段の彩り鮮やかな咲き乱れぶりに比べたら無難過ぎて(誰が贈っても個性の出しようがない)、正直つまらないですね。自分のセンスに自信がないのか、ビジネスライクな付き合いで"お義理"で贈っているだけなのか、それとも何か特別な意味でもあるのか…
当初、百段階段と聞いて、私のような体力のない人間が果たして上れるのかと恐れ慄いたのですが、実際は、数段上って右手の展示室へ、の繰り返しで、苦もなく上れました。ただし、杖をついた方には階段の上り下りは大変でしょうし、車椅子利用者は最初から入場できない旨の断り書きが公式サイトにありました。
さて、いよいよ鑑賞です。入り口の手前で靴を脱ぎ、ビニールの下足袋に入れて、いざ展示室へ。
悲しいかな、生け花の経験が皆無で、園芸の経験も殆どない私は、花の名前をあまり知りません。展示作品の前には一応キャプションが置かれていて、作品で使用された花の名前が記されているのですが、ただ列記されているだけなので、どの名前がどの花を指すのかが分かりづらいと言えば分かりづらい。
今回、同行したメンバーもほぼ全員が私と似たり寄ったりの状況。そこで「聞くは一時の恥、知らぬは一生の恥」とばかりに、どうしても分からない時には、たまたま側にいた見知らぬ方に伺って、教えていただきました。教えていただいた名前を同行の知人がすぐさまスマホで検索。その繰り返しで、どうにか名前を確認することが出来ました
百段階段は昭和5年頃に建てられた物らしく、各部屋がその時代に活躍した画家の絵で彩られているという趣向です。空白恐怖症とも言うべき執念で、壁と言う壁、天井という天井すべてに彩色が施され、絵が描かれています。障子の桟も各部屋それぞれに意匠が凝らされ、過剰なまでに装飾がなされている。
絢爛豪華な假屋崎氏の作品と、キッチュとも評される百段階段各室の設えとが、調和と言うより、互いの美意識を主張し合い、美しさを競い合っているかのような迫力がありました。
最後の部屋には「Kokedo」と称する若手作家の苔の作品があり、作者自ら作品の傍らに立ち、鑑賞者に解説していました。こうした展覧会で作品が取り上げられるということは、これからの若手にとって、どれだけ飛躍のチャンスになることか?若手に世に出る機会を与える假屋崎氏の先達としての気遣いに、若手作家の解説を聞きながら、私は内心感銘を受けていたのでした。
私達一行が入場した時よりも会場が一層混雑の様相を見せて来たところで、タイミング良く全ての部屋を見終わり、滑りはしないかと靴下履きの足元を心配しながら一気に99段(なぜか百段ではなく99段)を降りてギフトショップへ。
写真は今回買い求めたクリアファイル。1,200円也。混雑するレジで、スタッフに(アレ持って来て、コレ持って来てと)無理難題を吹っかけている?年配の女性客がいましたが、假屋崎氏のお弟子さんと思われるスタッフは忍耐強く対応していました。いやはや、お弟子さんの教育も行き届いていますね。
レジコーナーの隅にはなんと假屋崎氏ご本人が座っていらして、入場者が購入した花器等の土産品にせっせとサインをしておられました。
私は知人に促されるまま恐る恐るクリアファイルを差し出し、假屋崎氏にサインをしていただいたのでした。「素晴らしい展覧会でした。ありがとうございました」とお礼を述べたのですが、氏は視線をクリアファイルに落したまま2度頷かれただけでした。そもそも1,200円ぽっちの商品にサインして貰おうと言う方がずうずうしかったのかもしれません。ともかく、恐れ多くもサインをいただき、感謝の気持ちはお伝えできたので、私としては満足。
同行していたカナダ人の知人はカレンダーにサインしていただいたそうですが、假屋崎氏は英語で彼女に話しかけられたのだそうです。
その後は会場入り口付近で今回のメンバー全員で記念撮影をしてから目黒雅叙園を出発。駅近くのカフェで、ひとしきりこの日の感想を語り合った後、それぞれ家路につきました。
1.東京都文京区の永青文庫で開催中の展覧会「春画」展
永青文庫は肥後細川家代々ゆかりの文物を所蔵した博物館で、現在は細川家第18代当主の細川 護熙氏(元首相、陶芸家)が理事長を務めておられます。
今回の展覧会は2013~14年にかけて大英博物館で開催された「春画展」が好評を博したのを受けて、「発祥の地である日本でも、庶民文化が花開いた江戸時代を中心とした春画を一堂に会した展覧会を」との主旨で開催に至ったもの。
春画が性風俗を扱った作品だけに、猥褻と芸術の線引きの難しさが敬遠されたのか、主だった美術館からは会場の提供を断られたらしく、今回、細川氏の英断?で永青文庫での開催が決まったようです。
永青文庫「春画展」公式サイト
私は美術館でのギャラリートークの帰りに展覧会に一人で行ったのですが、初めて行く場所で土地に不慣れであったせいか、公式サイトに「最寄駅の有楽町線江戸川橋駅から徒歩15分」と書かれていたところを25分位かかってしまいました。
日差しも強く、最後の上り坂もきつかった。正門に辿りついた時にはヘトヘト状態でした(帰りは帰りでギフトショップ裏手の公園経由で帰ったら、これが工事中でかなりの迂回を余儀なくされ、行きよりも余計に時間がかかってしまいました)。
写真は永青文庫入口です。
折りしも前日、この春画展に関する記事がヤフーニュースに掲載された影響なのか、入館前から長蛇の列でした。館内も元々広くない各展示室は多くの人でごった返していました。作品によっては二重三重に人が群がり、なかなか見ることができませんでした。
前日に読んだニュース記事では若い女性の来館者が多いとのことでしたが、私が見たところ、この日は年配の男女やご夫婦連れが多かったように思います。素朴な疑問として、特に年配の方々は春画にどんな感想を抱いたのでしょう?若い女性連れは作品の前で率直に感想を述べ合っているのに、年配の方々は終始無言の上に無表情なので、内心どう思っているのかが気になりました。
写真は土産に買い求めたクリアファイルと絵葉書です。離れのギフトショップで、「こんな物使えないわよね」と言う女性の声を尻目に、クリアファイルを買ってしまった私。外で誰かに見せびらかすわけでもなく、自宅で使う物なので別に差し支えはないかと。とにかく各々の絵(抜粋)の色彩が美しく、その鮮やかさに目を奪われました。
予算が許せばカタログもと思ったのですが、価格がカタログとしては破格の4,000円、その上、形も変型判で分厚く、これでは置き場所にも困るかなと、あえなく撤回
今回の春画展を見ての率直な感想は、男女の絡み(なんと3Pまで!)や局部や陰毛が赤裸々に描かれている春画は、実にあっけらかんとした明治以前の日本人の性意識を描いて、殊更、性を隠微なものとして扱う現代との違いが際立っていました。そこがとても興味深い。
もちろん、大名家に伝わる春画には、姫君の興し入れの際の床あしらいの指南書としての役割があったのだとは思いますが、庶民向けの春画に関しては、やはり嗜好品としての意味合いが強かったのでしょう。
しかし、あまりにも性行為をあけすけと描いており、しかもルネサンス期から近世に至る西洋絵画のように人体解剖までして人間の骨格や体型をリアルに描いているわけでもないので、(当時の人々はともかく)現代を生きる私には、その描写にエロチシズムはあまり感じられませんでした。
さらに、春画で描かれている世界観は、身分差も、貧富の差も、美醜の差も関係なく、全ての人間が共有するもの。殿様であれ、町の若衆であれ、持っている物は同じ、お姫様であれ、町娘であれ、やることに大差はないのだと、春画は人間の本質の一端を描いているに過ぎないことにも気づかされます。
そして、全ての展示室を見終わる頃には、「よくもまあこれだけ多くの春画を、有名無名に関わらず多くの絵師が描いたものだわ。それだけ需要も多かったのかもしれないけれど、これだけ一度に大量に見せられると、さすがに飽きるわ」と思ったのでした。尤も、こっそり1枚だけ「あなたに差し上げます」と誰かに差し出されたら、また印象は違ったのかもしれませんが…
写真の幟(のぼり)の、決定的場面を見せない絵の方が却って見る者の想像を掻き立て、エロチシズムを感じさせてしまうという皮肉。
絵葉書の葛飾北斎のオオダコと女性が絡み合う絵に至っては、なんでも描いてしまう「画狂」北斎の真骨頂とも言え、隠微さよりも寧ろ"おかしみ"を感じて、「おいおい北斎よ。こんな絵まで描くんかい?」とツッコミを入れたくなりました(笑)。
一方で、有名な絵師の絵には、客の需要に応えて生々しい男女の絡みを描きながらも、美しく見せる構図の工夫や、着物や帯の文様の緻密な描きこみ、そして、あくまでも女性を優美に描く拘りに、一流絵師としての矜持を感じました。
ともあれ、今回の展覧会は、「春画」も日本美術史に堂々と名を連ねる絵画の一ジャンルとして正当に評価される、またとない機会になったと思います。
2.東京都目黒区の目黒雅叙園で開催されていた「假屋崎 省吾の世界展」
今年で16回目を数えると言う、華道家、假屋崎 省吾氏の作品展「假屋崎 省吾の世界展」を見に、結婚式場で有名な目黒雅叙園の百段階段へ行って来ました。
今回は日本人と日本在住外国人の混成グループでの鑑賞。目黒駅前で待ち合わせをしていたら思いがけず知人に遭遇し、声をかけられました。彼女も友人と同作品展に向かうのだとか。
私は目黒雅叙園自体、今回が初めてでしたが、目黒駅前から急な坂を下って5分ほどで到着。写真は目黒雅叙園の正面玄関。歴史ある結婚式場だけあって、車寄せの上に大きく張り出した屋根が威風堂々とした佇まいです。
かねてから興味のあった作品展ですが、これまでなかなか行く機会に恵まれず、今回、漸く知人からのお誘いで見ることが出来ました。Yさんに感謝!
残念ながら、展示室内は撮影禁止です。やはり著作権保護の問題もあるし、作者からすれば、カメラ撮影に時間を費やすのではなく、肉眼でじっくり作品を見て欲しいものでしょう。ただし、倍の入場料の夕刻に行われる「トワイライト見学」なら、フラッシュなしの撮影が許されているようです(既に作品展は25日(日)に終了しています)。
会場入り口には假屋崎氏の友人知人、仕事関係の方々から贈られた沢山の花が…下手(しもて)には胡蝶蘭の鉢植えがズラリと並んでいました。
ここでふと思ったのですが、「華道家に花を贈る時、贈る側も結構緊張するんじゃないか?」。予算もそれなりにかけないと失礼に当たるのでは?とか、センスが悪いと恥ずかしいとか、いろいろ気を揉みそうですね。そう考えると、胡蝶蘭はお値段的にはOKかもしれませんが、上段の彩り鮮やかな咲き乱れぶりに比べたら無難過ぎて(誰が贈っても個性の出しようがない)、正直つまらないですね。自分のセンスに自信がないのか、ビジネスライクな付き合いで"お義理"で贈っているだけなのか、それとも何か特別な意味でもあるのか…
当初、百段階段と聞いて、私のような体力のない人間が果たして上れるのかと恐れ慄いたのですが、実際は、数段上って右手の展示室へ、の繰り返しで、苦もなく上れました。ただし、杖をついた方には階段の上り下りは大変でしょうし、車椅子利用者は最初から入場できない旨の断り書きが公式サイトにありました。
さて、いよいよ鑑賞です。入り口の手前で靴を脱ぎ、ビニールの下足袋に入れて、いざ展示室へ。
悲しいかな、生け花の経験が皆無で、園芸の経験も殆どない私は、花の名前をあまり知りません。展示作品の前には一応キャプションが置かれていて、作品で使用された花の名前が記されているのですが、ただ列記されているだけなので、どの名前がどの花を指すのかが分かりづらいと言えば分かりづらい。
今回、同行したメンバーもほぼ全員が私と似たり寄ったりの状況。そこで「聞くは一時の恥、知らぬは一生の恥」とばかりに、どうしても分からない時には、たまたま側にいた見知らぬ方に伺って、教えていただきました。教えていただいた名前を同行の知人がすぐさまスマホで検索。その繰り返しで、どうにか名前を確認することが出来ました
百段階段は昭和5年頃に建てられた物らしく、各部屋がその時代に活躍した画家の絵で彩られているという趣向です。空白恐怖症とも言うべき執念で、壁と言う壁、天井という天井すべてに彩色が施され、絵が描かれています。障子の桟も各部屋それぞれに意匠が凝らされ、過剰なまでに装飾がなされている。
絢爛豪華な假屋崎氏の作品と、キッチュとも評される百段階段各室の設えとが、調和と言うより、互いの美意識を主張し合い、美しさを競い合っているかのような迫力がありました。
最後の部屋には「Kokedo」と称する若手作家の苔の作品があり、作者自ら作品の傍らに立ち、鑑賞者に解説していました。こうした展覧会で作品が取り上げられるということは、これからの若手にとって、どれだけ飛躍のチャンスになることか?若手に世に出る機会を与える假屋崎氏の先達としての気遣いに、若手作家の解説を聞きながら、私は内心感銘を受けていたのでした。
私達一行が入場した時よりも会場が一層混雑の様相を見せて来たところで、タイミング良く全ての部屋を見終わり、滑りはしないかと靴下履きの足元を心配しながら一気に99段(なぜか百段ではなく99段)を降りてギフトショップへ。
写真は今回買い求めたクリアファイル。1,200円也。混雑するレジで、スタッフに(アレ持って来て、コレ持って来てと)無理難題を吹っかけている?年配の女性客がいましたが、假屋崎氏のお弟子さんと思われるスタッフは忍耐強く対応していました。いやはや、お弟子さんの教育も行き届いていますね。
レジコーナーの隅にはなんと假屋崎氏ご本人が座っていらして、入場者が購入した花器等の土産品にせっせとサインをしておられました。
私は知人に促されるまま恐る恐るクリアファイルを差し出し、假屋崎氏にサインをしていただいたのでした。「素晴らしい展覧会でした。ありがとうございました」とお礼を述べたのですが、氏は視線をクリアファイルに落したまま2度頷かれただけでした。そもそも1,200円ぽっちの商品にサインして貰おうと言う方がずうずうしかったのかもしれません。ともかく、恐れ多くもサインをいただき、感謝の気持ちはお伝えできたので、私としては満足。
同行していたカナダ人の知人はカレンダーにサインしていただいたそうですが、假屋崎氏は英語で彼女に話しかけられたのだそうです。
その後は会場入り口付近で今回のメンバー全員で記念撮影をしてから目黒雅叙園を出発。駅近くのカフェで、ひとしきりこの日の感想を語り合った後、それぞれ家路につきました。