今、高一の息子の次年度から始まる科目選択に、
親子共々頭を悩ませている。
理系か文系か、さらに国公立か私立かの進路選択によって、
履修する科目が大きく異なるからである。
選択科目をひとつでも間違えれば、
入試に大きな差し障りがあるらしい。
なんせ細かな科目選択などなく、
ほぼ全教科を学んだ親世代には未経験のことである。
学校から手渡された資料を見てもチンプンカンプンだ
(だいたい先日の説明会も不親切だぞ!(`_´プンプン))。
どうしてここまで履修システムを複雑にしてしまったのだ!
せめて大学の教養課程までは広く浅く学ぶべきじゃないか?
理系学科生は人文科学を、文系学科生は自然科学を
すべて基礎レベルできちんと理解しておいた方が、
人間として、また将来職業人としてバランスが取れて、
専門バカになることを防ぎ、時には専門分野の助けにも
なると個人的には思うのだが。
世の中の事象は年々細分化、複雑化しているのに、
ゆとり教育で履修内容を減らすなんて、
時代の要請に適っていないのではないか。
普通科で、とりあえず大学進学を前提としてはいるが、
自分の能力や適性や志向に照らして、
将来何になりたいか(現実的に言うと、なれるのか?)の
イメージも定まらない子供(我が子)に、
大学で何を学びたいか、
その為には
どの大学の何という学科を目指さなければならないのかなど、
具体的に考えつくはずもない。
トホホなことに我が息子は、
まだ”憧れ”レベルでしか自分の将来像を描けていない。
本人の将来語りを聞いていると、
「そんなものになるなんて、針の穴を通るより難しいこと」
としか思えない。
安易にバラ色の将来像を描いていることが信じられないのだ。
このまま突っ走ったら夢追い人のフリーターになりそうである。
我が家の財政状況に鑑みて、それでは困るのである。
成人後の彼の衣食住の面倒までは見てやれない。
親としては、親の死後も自立して暮らせるように、
自分の生活基盤を整える確実な手段を
自分自身で獲得して欲しいのだ。
子供の可能性を信じてやれない私が愚かなんだろうか?
親子共々頭を悩ませている。
理系か文系か、さらに国公立か私立かの進路選択によって、
履修する科目が大きく異なるからである。
選択科目をひとつでも間違えれば、
入試に大きな差し障りがあるらしい。
なんせ細かな科目選択などなく、
ほぼ全教科を学んだ親世代には未経験のことである。
学校から手渡された資料を見てもチンプンカンプンだ
(だいたい先日の説明会も不親切だぞ!(`_´プンプン))。
どうしてここまで履修システムを複雑にしてしまったのだ!
せめて大学の教養課程までは広く浅く学ぶべきじゃないか?
理系学科生は人文科学を、文系学科生は自然科学を
すべて基礎レベルできちんと理解しておいた方が、
人間として、また将来職業人としてバランスが取れて、
専門バカになることを防ぎ、時には専門分野の助けにも
なると個人的には思うのだが。
世の中の事象は年々細分化、複雑化しているのに、
ゆとり教育で履修内容を減らすなんて、
時代の要請に適っていないのではないか。
普通科で、とりあえず大学進学を前提としてはいるが、
自分の能力や適性や志向に照らして、
将来何になりたいか(現実的に言うと、なれるのか?)の
イメージも定まらない子供(我が子)に、
大学で何を学びたいか、
その為には
どの大学の何という学科を目指さなければならないのかなど、
具体的に考えつくはずもない。
トホホなことに我が息子は、
まだ”憧れ”レベルでしか自分の将来像を描けていない。
本人の将来語りを聞いていると、
「そんなものになるなんて、針の穴を通るより難しいこと」
としか思えない。
安易にバラ色の将来像を描いていることが信じられないのだ。
このまま突っ走ったら夢追い人のフリーターになりそうである。
我が家の財政状況に鑑みて、それでは困るのである。
成人後の彼の衣食住の面倒までは見てやれない。
親としては、親の死後も自立して暮らせるように、
自分の生活基盤を整える確実な手段を
自分自身で獲得して欲しいのだ。
子供の可能性を信じてやれない私が愚かなんだろうか?