はなこのアンテナ@無知の知

たびたび映画、ときどき美術館、たまに旅行の私的記録

我が子の進路を巡る極々私的なグチ

2006年11月02日 | 家族のことつれづれ
今、高一の息子の次年度から始まる科目選択に、
親子共々頭を悩ませている。
理系か文系か、さらに国公立か私立かの進路選択によって、
履修する科目が大きく異なるからである。
選択科目をひとつでも間違えれば、
入試に大きな差し障りがあるらしい。
なんせ細かな科目選択などなく、
ほぼ全教科を学んだ親世代には未経験のことである。
学校から手渡された資料を見てもチンプンカンプンだ
(だいたい先日の説明会も不親切だぞ!(`_´プンプン))。
どうしてここまで履修システムを複雑にしてしまったのだ!

せめて大学の教養課程までは広く浅く学ぶべきじゃないか?
理系学科生は人文科学を、文系学科生は自然科学を
すべて基礎レベルできちんと理解しておいた方が、
人間として、また将来職業人としてバランスが取れて、
専門バカになることを防ぎ、時には専門分野の助けにも
なると個人的には思うのだが。
世の中の事象は年々細分化、複雑化しているのに、
ゆとり教育で履修内容を減らすなんて、
時代の要請に適っていないのではないか。


普通科で、とりあえず大学進学を前提としてはいるが、
自分の能力や適性や志向に照らして、
将来何になりたいか(現実的に言うと、なれるのか?)の
イメージも定まらない子供(我が子)に、
大学で何を学びたいか、
その為には
どの大学の何という学科を目指さなければならないのかなど、
具体的に考えつくはずもない。

トホホなことに我が息子は、
まだ”憧れ”レベルでしか自分の将来像を描けていない。
本人の将来語りを聞いていると、
「そんなものになるなんて、針の穴を通るより難しいこと」
としか思えない。
安易にバラ色の将来像を描いていることが信じられないのだ。
このまま突っ走ったら夢追い人のフリーターになりそうである。
我が家の財政状況に鑑みて、それでは困るのである。
成人後の彼の衣食住の面倒までは見てやれない。
親としては、親の死後も自立して暮らせるように、
自分の生活基盤を整える確実な手段を
自分自身で獲得して欲しいのだ。
子供の可能性を信じてやれない私が愚かなんだろうか? 
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