はなこのアンテナ@無知の知

たびたび映画、ときどき美術館、たまに旅行の私的記録

親の罪

2013年04月20日 | 日々のよしなしごと
先日テレビで、手術に総額1,000万円以上を費やしたという全身整形美女を見た。

本人はフランス人形の容貌を理想に、今後も整形を繰り返すだろうと言っていた。

「整形を志したきっかけは?」との問いに、「小学生の頃、父親に『お前のようなブサイクは整形した方がいい』と言われたから」と答えた彼女。「父は子ども嫌いだったんです。」

そう言いながら苦笑いを浮かべる彼女が何だか痛々しい。

私は耳を疑った。親が小学生の我が子に向かって言うことか?

人は生まれながらに偏見を持っているわけではない。誰かに教えられて、偏見は植え付けられる。

小学生だった彼女は、あろうことか父親によって、自分の容貌が醜いものなのだと言う偏見を植え付けられた。幼くして自己否定を余儀なくされたのだ。自尊心が著しく傷つけられたのだ。

自分に自信のない人間はいつしか卑屈になる。卑屈になった人間に、底意地の悪い人間は容赦ない。その心の傷口に、塩を塗るような残酷な行為をするものだ。

彼女の中学時代の、もちろん整形前の彼女の写真がテレビに映し出された。どこにでもいるような素朴な、もちろんけっして醜くない少女である。それなのに、テレビの彼女は自分の醜さゆえに壮絶なイジメに遭ったと言う。見ていて切なかった。

本人は今の自分の容貌にほぼ満足しているらしい。強いて言えば、身長が低いことが気になるらしい。それも極端な豊胸手術で全身のバランスが崩れてしまったからなのだが。

スタジオの数人の出演者はけっして面と向かって言いはしないだろうが、寧ろ不自然に強ばった表情で「キレイ」を繰り返すが、整形を繰り返した彼女の顔も胸も、どこかで何度も見かけたような人工物にしか私には見えない。整形を繰り返せば繰り返すほど、個性は失われて行く。皆、似たような造作になって行く。

絶妙なバランスで両親のDNAが組み合わさって形作られた人の容貌。それに優る個性はないだろう。この世にふたつとない個性だからこそ、それは尊い。それこそが人が存在することの意義なのだと思う(もちろん、個性を決定づけるのは容貌だけではないが)

それを敢えて消すのが美容整形と言う行為だ。自らを否定し、その個性を消すに至った人々の心情はいかばかりか?そして、整形手術によって崩れたバランスを取り戻す為に、一部の人々は整形を際限なく繰り返すことになる。まさに無間地獄だ。

少なくとも件の彼女は、親の罪深い残酷な一言が、彼女をそう至らしめたとしか思えない。子どもが嫌いなら、最初から子どもは持つなoniそうしないと不幸な子どもが増えるだけだ。以上は子どもの自尊心を平気で傷つける親への苦言である。

もちろん、それは不幸にしてそんな親のもとに生まれた子供の存在自体を、否定するものではけっしてない。そんな親に傷つけられた子どもにはこう言いたい。そんな馬鹿で愚かな親を信じるのは止めなさい。親以外に信頼できる誠実な大人を見つけなさい。そうすれば、あなたは救われる。自尊心を取り戻せる。

そして、そんな子ども達を救う責任は、私達周りの大人にもある。ひとりでも多くの大人が、傷ついた子どもに救いの手を指しのべる優しさと強さと知恵を持つべきなのだろう。
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