腹ごしらえを済ませて次に向ったのは即清寺(そくせいじ)。
ここは吉野街道沿いの山裾にある真言宗豊山派の古刹です。
そう言えば先月訪ねたばかりの足立区の寺町も豊山派が
多かったような。例によって境内には弘法大師様の像がありました。
ここにも招春梅という銘木があるらしいのですが、
私はなぜか本堂や大師像に気を取られて見逃してしまいました。
お腹がいっぱいで、ぼぉ~っとしていたのかもしれません(^_^;)。
■観梅モデルコース地図
即清寺の後は吉野街道を横切って、目と鼻の先にある大聖院へ。
ここまで来れば、もうゴールの駅まであと少しです。
境内に入る前に、塀際に立つ曲り松に目が釘付けになりました。
な、なんでしょう?この曲り具合は!
ほぼ直角に近いですね。自然に、というより細工して曲げたもの?
この寺の本堂の裏手には、親木の梅と呼ばれる古木があります。 これは青梅駅近くを走る旧青梅街道界隈にある金剛寺の
将門誓いの梅(青梅地名由来の梅の木)を根分けしたもの
と伝えられる古木で、吉野梅郷の梅の始祖とされています。
《親木の梅》
2万5千本ある梅の、始まりの1本…
☆最近何かと縁のある作家、吉川英治の記念館
写真左)資料館正面玄関、右)玄関左側に鎮座する椎の古木
観光協会のHPでその存在を知るまで、まさか、ここに作家
吉川英治ゆかりの場所があるとは想像もしませんでした。
観梅コースの後半にも組み込まれている観光名所のようです。
吉川英治は横浜市出身ですが、戦争中に疎開したのをきっかけに、
ここでも本格的な執筆活動を行ったようで、代表作のひとつ、
『新平家物語』はここで執筆されたと言われています。
かつては庄屋屋敷だった旧邸を、作家自ら「草思堂」と名付けた
というエピソードからも、作家の愛着が感じられる場所ですね。
名作が生み出された書斎もそのままの状態で保存、公開され、
また別棟の資料館には、原稿、書画、書簡などが約300点展示
されるなど、吉川英治ファンにはたまらない場所のようです。
私は、吉川英治が父親の事業の失敗により、
小学校を中退して丁稚奉公に出され、
苦学・苦行の末に作家として大成したことを
資料館に展示されている作家年表で初めて知りました。
作家として名を成す前に20以上の職を転々とし、
20代の前半にはあの職人の町、日本橋浜町で、
象眼細工の下絵描きに従事していたとは驚きです。
思わず観梅帰りに、地元駅ビルの書店で、
彼の苦難の日々を詳述したとされる自叙伝『忘れ残りの記』
(講談社吉川英治歴史時代文庫)を買ってしまいました。
まだまだ知らないことは多いのだなあ…
■吉川英治記念館公式HP
上記公式HPを見てみたら、なんと今年は開館30周年だそうで、
それを記念して今月16日~18日の来館者を対象に抽選会があり、
記念館ゆかりの品々等がプレゼントされるようです。
奥多摩橋から多摩川を望む
10カ所巡って、スタンプハイク完歩
かくして充実した時間を過ごし、無事、観梅散歩を終えた私達は、
心地よい疲れを全身に感じながら帰路についたのでした。(終)
ここは吉野街道沿いの山裾にある真言宗豊山派の古刹です。
そう言えば先月訪ねたばかりの足立区の寺町も豊山派が
多かったような。例によって境内には弘法大師様の像がありました。
ここにも招春梅という銘木があるらしいのですが、
私はなぜか本堂や大師像に気を取られて見逃してしまいました。
お腹がいっぱいで、ぼぉ~っとしていたのかもしれません(^_^;)。
■観梅モデルコース地図
即清寺の後は吉野街道を横切って、目と鼻の先にある大聖院へ。
ここまで来れば、もうゴールの駅まであと少しです。
境内に入る前に、塀際に立つ曲り松に目が釘付けになりました。
な、なんでしょう?この曲り具合は!
ほぼ直角に近いですね。自然に、というより細工して曲げたもの?
この寺の本堂の裏手には、親木の梅と呼ばれる古木があります。 これは青梅駅近くを走る旧青梅街道界隈にある金剛寺の
将門誓いの梅(青梅地名由来の梅の木)を根分けしたもの
と伝えられる古木で、吉野梅郷の梅の始祖とされています。
《親木の梅》
2万5千本ある梅の、始まりの1本…
☆最近何かと縁のある作家、吉川英治の記念館
写真左)資料館正面玄関、右)玄関左側に鎮座する椎の古木
観光協会のHPでその存在を知るまで、まさか、ここに作家
吉川英治ゆかりの場所があるとは想像もしませんでした。
観梅コースの後半にも組み込まれている観光名所のようです。
吉川英治は横浜市出身ですが、戦争中に疎開したのをきっかけに、
ここでも本格的な執筆活動を行ったようで、代表作のひとつ、
『新平家物語』はここで執筆されたと言われています。
かつては庄屋屋敷だった旧邸を、作家自ら「草思堂」と名付けた
というエピソードからも、作家の愛着が感じられる場所ですね。
名作が生み出された書斎もそのままの状態で保存、公開され、
また別棟の資料館には、原稿、書画、書簡などが約300点展示
されるなど、吉川英治ファンにはたまらない場所のようです。
私は、吉川英治が父親の事業の失敗により、
小学校を中退して丁稚奉公に出され、
苦学・苦行の末に作家として大成したことを
資料館に展示されている作家年表で初めて知りました。
作家として名を成す前に20以上の職を転々とし、
20代の前半にはあの職人の町、日本橋浜町で、
象眼細工の下絵描きに従事していたとは驚きです。
思わず観梅帰りに、地元駅ビルの書店で、
彼の苦難の日々を詳述したとされる自叙伝『忘れ残りの記』
(講談社吉川英治歴史時代文庫)を買ってしまいました。
まだまだ知らないことは多いのだなあ…
■吉川英治記念館公式HP
上記公式HPを見てみたら、なんと今年は開館30周年だそうで、
それを記念して今月16日~18日の来館者を対象に抽選会があり、
記念館ゆかりの品々等がプレゼントされるようです。
奥多摩橋から多摩川を望む
10カ所巡って、スタンプハイク完歩
かくして充実した時間を過ごし、無事、観梅散歩を終えた私達は、
心地よい疲れを全身に感じながら帰路についたのでした。(終)