昨年の秋に7泊9日の日程で夫とイタリアを旅しました。息子が小学校4年生の夏休みに家族で団体ツアーに参加して以来、実に18年ぶり、4度目のイタリアでした。
羽田をエミレーツ航空で発って、ドバイ経由でミラノ入りし4泊した後、Itaro高速鉄道でローマに移動してローマで3泊し、再びドバイ経由で羽田へ、と言う旅程。
ミラノからバスツアーで湖水地方を訪れたり、ローマからItaroを使って日帰りでフィレンツェを訪れたりと、ショートトリップも楽しみました。
いつも海外旅行を個人で行く時は、私が飛行機、ホテル、鉄道、現地参加のツアー等、諸々の手配をします。今回も半年前に飛行機の予約を入れてから、ネットを駆使して高速鉄道、現地ツアー、美術館等の予約を入れました。
個人旅行は飛行機の予約を入れた瞬間から、旅はもう始まっている。どこそこに行きたい、あれがしたい、これがしたいと現地へ思いを馳せながら立てる旅行プラン。楽しくてしょうがない。
雑誌の付録の日記帳を旅行ノートに仕立て上げました。フランス生まれのリサとガスパールが表紙を飾るかわいい日記帳、かわいいものが大好きなので弥が上にも気分が上がります(笑)。
旅行ノートには、お手製の旅程表と現地での緊急連絡先リスト、旅先日記(当日の行動記録やチケット等の貼付)、ホテル周辺のマップ、参加予定の現地ツアーの資料、出金記録表<旅費及び関連費と旅先での出金記録とレシート貼付>、出発前の行動チェックシート<旅行前、出発前日、出発当日>、持ち物チェックリスト、そして、往復の京急羽田線の時刻表等が詰まっており、旅を終えた暁には1冊まるごと旅の思い出帳となります。
けっして裕福ではないので、限られた予算で、現地でやりたいことをいかにして叶えるか、知恵の絞りどころです。どうしても叶えたいことの為に、諦めなければならないこともあるし、節約の為に多少の不便には目を瞑る。その取捨選択は悩ましいけれど、自分が主体的に旅の骨格を形作っているのだという誇らしさで気分が高揚します。
とは言え、綿密にプランを立てたとしても、当日になってアクシデント発生で予定通りに行かないこともしばしば。
今回は旅のメインイベントであったレオナルド・ダヴィンチの壁画『最後の晩餐』の鑑賞を、突然の体調不良で泣く泣く諦めました。おそらく前日の夕食で食当たり?ネットで調べて評判の良い店を選び、実際行ってみると現地の常連客と思しき人々で賑わっている店で、料理も美味しかったのですが、夫とシェアしたりして殆ど同じ物を食べたのに、なぜか私だけ食当たり。疲れもあったのか?食物アレルギーの可能性もある?
日頃の行いが悪いからでは、とは夫の言。
現地の鑑賞ツアーを予約していたので、当日は夫にひとりで行って貰いました。その間、私はホテルで絶食して、トイレとベッドの間をひたすら往復していました。
鑑賞ツアーから戻って来た夫曰く、元々教会の食堂に描かれた壁画だから油彩画のようにくっきりと見えるわけではないけれど、ダヴィンチの代表作のひとつだから見られて良かったよと。
返す返すも残念です。ただ、こういうアクシデントも嫌なことばかりではなく、翌日私の体調を気遣うホテルのスタッフ(それもひとりや二人ではなく)の優しさに触れられて、これはこれで今回の旅の印象深い出来事のひとつになりました。
旅行の全体的な評価や印象は、旅先で出会う人の印象に左右されたりもするので、どんな場面でどんな人と出会うかは、旅の成功の鍵を握るファクターのひとつと言えるでしょうか?誰と出会うかは運次第とも言えますが…
ホテルに関しては、宿泊したホテルの規模やタイプにもよると思うのですが、ミラノは中央駅にほど近い、個人客の多いヨーロピアンスタイルの中堅ホテルであったのに対し、ローマのホテルは同じく駅至近ながら、、団体客が多く利用するアメリカンスタイルの大規模ホテルチェーンだったので、スタッフは常に慌ただしい様子で接点も殆どなく、都会ならではの忙(せわ)しさだけが印象に残りました。
ミラノは30年以上前に新婚旅行でフランス入りする前に立ち寄っただけで、訪問はほぼ初めてと言って良い街でしたが、有名観光スポットに大勢の人が群がる大都会ローマに比べて落ち着いた佇まいが好ましく、『最後の晩餐』の残念な件もあって、いつか再訪出来たらなと思っています。
混雑と言う意味ではフィレンツェもローマと同様に今回は尋常でない混みようで、あまりの人の多さに、正直、閉口してしまいました。
定番のウフィツィ美術館を午前中に訪れた後、思いつきで訪れたピッティ宮では、引きも切らない観光客にチケットボックスのスタッフもうんざりしているのか、時折、長蛇の列に並ぶ客を無視して隣のスタッフとおしゃべりに興じる姿がありました。
行列に並ぶ客のひとりとしては、そのマイペースな仕事ぶりにその時は腹が立ちましたが、ひとりの人間が捌くにはあまりにも多すぎる数の来館者への対応に一呼吸おかずにはいられない彼らの心情も、あの混沌から離れた今なら理解できます。
今回の新型コロナ(Covid-19)では、イタリア全土で、その治療に当たった医師や看護師も含め大勢の犠牲者が出ました。北部に始まった感染爆発ですが、それは近年のイタリアが国家財政の逼迫から、中国主導の「一帯一路」構想に参加する等、中国との経済的な関わりを深めたことがひとつの原因だと言われています。
二国間で人の往来が盛んになれば、ウィルスも人と共に行き来する。特に工業の盛んなイタリア北部では、Made in Italyのブランド品を求める中国人富裕層の要望に応える為に、多くの中国人労働者が有名ブランドの工場で働いていたと聞きます。ミラノで多い名字のトップ10の中に中国ゆかりの名字が3つも入っていることからも、いかに多くの中国人がイタリア北部に流入していたかが分かります。
そんな状況に財政破綻による医療サービスの低下も重なり、まず北部で感染爆発が起きて医療崩壊を招いた。
現在のイタリアの惨状は、つい半年前に訪ねた時の賑わいからは想像もつかないものです。尤も、その賑わいの中心にいたのは大勢の中国人旅行者たちでした。ローマのトレビの泉も彼らが泉をぐるりと取り囲むように陣取り、私たちは遠目に見るしかなかったのが思い出されます。過去に3回訪れた際には、泉を背にコインを投げ入れ、ローマ再訪を願ったのが懐かしい。
中国はその国土の広さだけでなく、人口でも他国を凌駕するような規模であり、その経済大国化が、世界的規模でさまざまな事象に大きな影響を及ぼしています。市場経済しかり、食糧事情しかり、国家間のパワーバランスしかり、そして今回の感染症しかり…
大好きなイタリアが元の平和を取り戻すのに一体どれだけの時間がかかるのか、どのような道筋でそれを達成できるのか、遠い極東の島からヤキモキしながら注視しています。
もちろん、自国のことも心配で仕方ないんですけどね。
羽田をエミレーツ航空で発って、ドバイ経由でミラノ入りし4泊した後、Itaro高速鉄道でローマに移動してローマで3泊し、再びドバイ経由で羽田へ、と言う旅程。
ミラノからバスツアーで湖水地方を訪れたり、ローマからItaroを使って日帰りでフィレンツェを訪れたりと、ショートトリップも楽しみました。
いつも海外旅行を個人で行く時は、私が飛行機、ホテル、鉄道、現地参加のツアー等、諸々の手配をします。今回も半年前に飛行機の予約を入れてから、ネットを駆使して高速鉄道、現地ツアー、美術館等の予約を入れました。
個人旅行は飛行機の予約を入れた瞬間から、旅はもう始まっている。どこそこに行きたい、あれがしたい、これがしたいと現地へ思いを馳せながら立てる旅行プラン。楽しくてしょうがない。
雑誌の付録の日記帳を旅行ノートに仕立て上げました。フランス生まれのリサとガスパールが表紙を飾るかわいい日記帳、かわいいものが大好きなので弥が上にも気分が上がります(笑)。
旅行ノートには、お手製の旅程表と現地での緊急連絡先リスト、旅先日記(当日の行動記録やチケット等の貼付)、ホテル周辺のマップ、参加予定の現地ツアーの資料、出金記録表<旅費及び関連費と旅先での出金記録とレシート貼付>、出発前の行動チェックシート<旅行前、出発前日、出発当日>、持ち物チェックリスト、そして、往復の京急羽田線の時刻表等が詰まっており、旅を終えた暁には1冊まるごと旅の思い出帳となります。
けっして裕福ではないので、限られた予算で、現地でやりたいことをいかにして叶えるか、知恵の絞りどころです。どうしても叶えたいことの為に、諦めなければならないこともあるし、節約の為に多少の不便には目を瞑る。その取捨選択は悩ましいけれど、自分が主体的に旅の骨格を形作っているのだという誇らしさで気分が高揚します。
とは言え、綿密にプランを立てたとしても、当日になってアクシデント発生で予定通りに行かないこともしばしば。
今回は旅のメインイベントであったレオナルド・ダヴィンチの壁画『最後の晩餐』の鑑賞を、突然の体調不良で泣く泣く諦めました。おそらく前日の夕食で食当たり?ネットで調べて評判の良い店を選び、実際行ってみると現地の常連客と思しき人々で賑わっている店で、料理も美味しかったのですが、夫とシェアしたりして殆ど同じ物を食べたのに、なぜか私だけ食当たり。疲れもあったのか?食物アレルギーの可能性もある?
日頃の行いが悪いからでは、とは夫の言。
現地の鑑賞ツアーを予約していたので、当日は夫にひとりで行って貰いました。その間、私はホテルで絶食して、トイレとベッドの間をひたすら往復していました。
鑑賞ツアーから戻って来た夫曰く、元々教会の食堂に描かれた壁画だから油彩画のようにくっきりと見えるわけではないけれど、ダヴィンチの代表作のひとつだから見られて良かったよと。
返す返すも残念です。ただ、こういうアクシデントも嫌なことばかりではなく、翌日私の体調を気遣うホテルのスタッフ(それもひとりや二人ではなく)の優しさに触れられて、これはこれで今回の旅の印象深い出来事のひとつになりました。
旅行の全体的な評価や印象は、旅先で出会う人の印象に左右されたりもするので、どんな場面でどんな人と出会うかは、旅の成功の鍵を握るファクターのひとつと言えるでしょうか?誰と出会うかは運次第とも言えますが…
ホテルに関しては、宿泊したホテルの規模やタイプにもよると思うのですが、ミラノは中央駅にほど近い、個人客の多いヨーロピアンスタイルの中堅ホテルであったのに対し、ローマのホテルは同じく駅至近ながら、、団体客が多く利用するアメリカンスタイルの大規模ホテルチェーンだったので、スタッフは常に慌ただしい様子で接点も殆どなく、都会ならではの忙(せわ)しさだけが印象に残りました。
ミラノは30年以上前に新婚旅行でフランス入りする前に立ち寄っただけで、訪問はほぼ初めてと言って良い街でしたが、有名観光スポットに大勢の人が群がる大都会ローマに比べて落ち着いた佇まいが好ましく、『最後の晩餐』の残念な件もあって、いつか再訪出来たらなと思っています。
混雑と言う意味ではフィレンツェもローマと同様に今回は尋常でない混みようで、あまりの人の多さに、正直、閉口してしまいました。
定番のウフィツィ美術館を午前中に訪れた後、思いつきで訪れたピッティ宮では、引きも切らない観光客にチケットボックスのスタッフもうんざりしているのか、時折、長蛇の列に並ぶ客を無視して隣のスタッフとおしゃべりに興じる姿がありました。
行列に並ぶ客のひとりとしては、そのマイペースな仕事ぶりにその時は腹が立ちましたが、ひとりの人間が捌くにはあまりにも多すぎる数の来館者への対応に一呼吸おかずにはいられない彼らの心情も、あの混沌から離れた今なら理解できます。
今回の新型コロナ(Covid-19)では、イタリア全土で、その治療に当たった医師や看護師も含め大勢の犠牲者が出ました。北部に始まった感染爆発ですが、それは近年のイタリアが国家財政の逼迫から、中国主導の「一帯一路」構想に参加する等、中国との経済的な関わりを深めたことがひとつの原因だと言われています。
二国間で人の往来が盛んになれば、ウィルスも人と共に行き来する。特に工業の盛んなイタリア北部では、Made in Italyのブランド品を求める中国人富裕層の要望に応える為に、多くの中国人労働者が有名ブランドの工場で働いていたと聞きます。ミラノで多い名字のトップ10の中に中国ゆかりの名字が3つも入っていることからも、いかに多くの中国人がイタリア北部に流入していたかが分かります。
そんな状況に財政破綻による医療サービスの低下も重なり、まず北部で感染爆発が起きて医療崩壊を招いた。
現在のイタリアの惨状は、つい半年前に訪ねた時の賑わいからは想像もつかないものです。尤も、その賑わいの中心にいたのは大勢の中国人旅行者たちでした。ローマのトレビの泉も彼らが泉をぐるりと取り囲むように陣取り、私たちは遠目に見るしかなかったのが思い出されます。過去に3回訪れた際には、泉を背にコインを投げ入れ、ローマ再訪を願ったのが懐かしい。
中国はその国土の広さだけでなく、人口でも他国を凌駕するような規模であり、その経済大国化が、世界的規模でさまざまな事象に大きな影響を及ぼしています。市場経済しかり、食糧事情しかり、国家間のパワーバランスしかり、そして今回の感染症しかり…
大好きなイタリアが元の平和を取り戻すのに一体どれだけの時間がかかるのか、どのような道筋でそれを達成できるのか、遠い極東の島からヤキモキしながら注視しています。
もちろん、自国のことも心配で仕方ないんですけどね。