映画を見た翌日は街散歩へ
土曜日は終映間近の仏映画『幸せはシャンソニア劇場から(原題:FAUBOURG 36)』を家族で見たのですが、翌日曜日に軽い腰痛が出た為、これは身体を動かした方が良いのかなと思い、趣味の街散歩に出かけることにしました。
行く先はここのコメント欄でも先日話題に上ったばかりの小石川後楽園界隈です。小石川後楽園は、元々水戸徳川家初代藩主徳川頼房公が、その中屋敷として造ったもので(後に上屋敷へ)、テレビ時代劇『水戸黄門』で有名な水戸光圀公(2代目藩主)ゆかりの庭園でもあります。
庭園の様式は「大泉水」と言う名の大きな池を中心とした「回遊式築山泉水庭」になっていますが、これは浜離宮恩賜庭園や六義園と同じです。
園内を散策すると驚かされるのですが、どの角度から見ても見事なまでに美しく、私も思わず写真を撮りまくってしまいました。この庭園は文化財保護法によって国の「特別史跡」「特別名勝」の二重指定を受けており、これは極めて珍しいケースで、全国的に見ても浜離宮恩賜庭園や金閣寺など、その数はごく限られています。こうした国の”お墨付き”からも、いかにこの庭園が美しく、手厚く保護されるべき存在かがお分かりいただけるでしょう。
造成に当たり、儒教を学んだ光圀公が、中国・明の遣臣、朱舜水に意見を求め、写真のような円月橋など中国趣味を多く取り入れたり、京都に特段の憧れがあったのか、渡月橋など京都の風物をモチーフにした造形も数多く手がけ、他にも全国各地の景観を巧みに組み込むなどして興趣豊かな庭園を造り上げており、見ていてホント飽きません。
また、数多ある大名庭園で、おそらく見られるのはここだけだろうという景観もあります。それは、元は光圀公が、彼の嗣子・綱条の夫人に、農民の労苦を教えようと造らせた田圃。他に藤棚や花菖蒲園など、ドラマ『水戸黄門』で描かれたエピソード(←実際の光圀公が諸国を旅することはなかったと言われる)を彷彿させる人間味溢れる、どこか温かみを感じさせる穏やかな田園風景が庭園の北側に広がっています。
庭園情緒を深くする道具立てのひとつに石畳があります。一様でないその造成に、造園家の心意気を感じます。曲がりくねって木立の向こうに消える石畳は、「あの木立の向こうには何があるのか」と想像をかき立てる。
意外に目についたのが、震災や戦災の爪跡。かつてそこにあったであろう石像の台座やお堂の土台、狛犬、石灯籠等の遺物がもの哀しさを誘います。
しかし、そうした遺物も長い年月を経て深山幽谷の中に溶け込み、往時の面影を幾ばくか残しつつ、静かに佇んでいるのです。その姿は厳かな雰囲気さえ湛えています。
つい最近、浅草寺界隈で景観論争が起きています。浅草寺のすぐ近隣で高層マンション建設の話が持ち上がり、江戸情緒を深く残す浅草寺の景観を著しく損なうものだとして、近隣住民が都に建設差し止めを訴えています。
日本は戦後、「復興」のスローガンのもと、なりふり構わず経済成長を優先させて来ました。その過程において物心両面で失われたものは少なくないでしょう。しかしひたすら右肩上がりを求め続けて来た上昇志向は今、確実に曲がり角に来ています。これまではともかく、今後は価値観の転換が求められるのでしょう。一度失ったものを取り戻すのが容易でないことは、誰もが既に気づいていることです。
美しい庭園の景色の間からのぞく無粋な人工物に、いささか違和感を拭えないのは、果たして私だけでしょうか?東京ドームそのものが無粋ではけっしてないのです。そのデザインの現代性が、小石川後楽園の古風な美しさにそぐわないのです。逆に東京ドームから小石川後楽園を見ると、素敵な借景に何となく得した気分になります。
近隣の文京区シビックセンター25階にある展望室から小石川後楽園を望む。その後隣接するラクーア内にある博多ラーメンの店「一蘭」で久しぶりにラーメンを食べたのですが、麺とスープは確かに高水準の味であると認めつつも、具が小口切りの青ネギと薄い(本当に薄い!)チャーシュー3枚のみで、790円は高い!その具の少なさは、ラーメンの旨味をシンプルに味わって欲しいと狙ってのものなのか不明ですが、ライバル・ラーメンチェーン店が軒並み営業損益を出している中、堅実に黒字を計上しているのを見ると、具材にお金をかけない分、利益率も高いのかな、などと勘ぐってしまいました。
多少健康志向のある?私としては殆ど変わらない価格でラーメンを食べるのなら、厚切りチャーシュー1枚、味付け海苔1枚、江戸菜数本、たっぷりシナチクと長ネギの具だくさんな「麺屋 空海」の空海そばの方が好きです…なんてことを長々と書くと、食いしん坊なのがバレバレですね
写真では見づらいですが、大泉水の真ん中に浮かぶ蓬莱島の楓が既に赤く色づいていました。園内には沢山の楓の木があり、紅葉の季節もさぞかし美しい景色を見せてくれることでしょう。
封建社会は天と地ほどの格差があった社会でしょうが、一部に強大な権力と富が集中したからこそ、こうした贅を尽くした庭園が造られ、造園家が腕を競い合って、後世に残るような高度な技術も生まれたと言えるでしょうか。どんなことにも正負の両面が存在するものなのだなと思います。
【追記 09.10.08】
先日、テレビ番組「なんでも鑑定団」で、狛犬について取り上げられていました。狛犬のルーツは古代中東の獅子像で(一説にはインドが起源とも…)、シルクロードを通じて中国・朝鮮を経て、日本に渡来したらしい。琉球にはそのまま獅子像(シーサー)として伝わったのに、日本には朝鮮経由でまず「高麗(コマ)犬」として伝わり、その後「狛犬」で定着したようです。正確には口を大きく開けた阿形は「獅子」で、頭部に角の生えた、口を閉じた吽形は「狛犬」を意味し、獅子狛犬と言うそうです。
確かに、ヨルダンに住んでいた時に、寂しい村外れに、忘れ去られたかのように古代遺跡が残っていて、そこで立派な獅子像を見かけました。正確な名前は忘れてしまいましたが、アル・イラク・アミールと言ったかな?遥か彼方の文化が極東の島国まで伝わっているなんて、ロマンを感じますね。
土曜日は終映間近の仏映画『幸せはシャンソニア劇場から(原題:FAUBOURG 36)』を家族で見たのですが、翌日曜日に軽い腰痛が出た為、これは身体を動かした方が良いのかなと思い、趣味の街散歩に出かけることにしました。
行く先はここのコメント欄でも先日話題に上ったばかりの小石川後楽園界隈です。小石川後楽園は、元々水戸徳川家初代藩主徳川頼房公が、その中屋敷として造ったもので(後に上屋敷へ)、テレビ時代劇『水戸黄門』で有名な水戸光圀公(2代目藩主)ゆかりの庭園でもあります。
庭園の様式は「大泉水」と言う名の大きな池を中心とした「回遊式築山泉水庭」になっていますが、これは浜離宮恩賜庭園や六義園と同じです。
園内を散策すると驚かされるのですが、どの角度から見ても見事なまでに美しく、私も思わず写真を撮りまくってしまいました。この庭園は文化財保護法によって国の「特別史跡」「特別名勝」の二重指定を受けており、これは極めて珍しいケースで、全国的に見ても浜離宮恩賜庭園や金閣寺など、その数はごく限られています。こうした国の”お墨付き”からも、いかにこの庭園が美しく、手厚く保護されるべき存在かがお分かりいただけるでしょう。
造成に当たり、儒教を学んだ光圀公が、中国・明の遣臣、朱舜水に意見を求め、写真のような円月橋など中国趣味を多く取り入れたり、京都に特段の憧れがあったのか、渡月橋など京都の風物をモチーフにした造形も数多く手がけ、他にも全国各地の景観を巧みに組み込むなどして興趣豊かな庭園を造り上げており、見ていてホント飽きません。
また、数多ある大名庭園で、おそらく見られるのはここだけだろうという景観もあります。それは、元は光圀公が、彼の嗣子・綱条の夫人に、農民の労苦を教えようと造らせた田圃。他に藤棚や花菖蒲園など、ドラマ『水戸黄門』で描かれたエピソード(←実際の光圀公が諸国を旅することはなかったと言われる)を彷彿させる人間味溢れる、どこか温かみを感じさせる穏やかな田園風景が庭園の北側に広がっています。
庭園情緒を深くする道具立てのひとつに石畳があります。一様でないその造成に、造園家の心意気を感じます。曲がりくねって木立の向こうに消える石畳は、「あの木立の向こうには何があるのか」と想像をかき立てる。
意外に目についたのが、震災や戦災の爪跡。かつてそこにあったであろう石像の台座やお堂の土台、狛犬、石灯籠等の遺物がもの哀しさを誘います。
しかし、そうした遺物も長い年月を経て深山幽谷の中に溶け込み、往時の面影を幾ばくか残しつつ、静かに佇んでいるのです。その姿は厳かな雰囲気さえ湛えています。
つい最近、浅草寺界隈で景観論争が起きています。浅草寺のすぐ近隣で高層マンション建設の話が持ち上がり、江戸情緒を深く残す浅草寺の景観を著しく損なうものだとして、近隣住民が都に建設差し止めを訴えています。
日本は戦後、「復興」のスローガンのもと、なりふり構わず経済成長を優先させて来ました。その過程において物心両面で失われたものは少なくないでしょう。しかしひたすら右肩上がりを求め続けて来た上昇志向は今、確実に曲がり角に来ています。これまではともかく、今後は価値観の転換が求められるのでしょう。一度失ったものを取り戻すのが容易でないことは、誰もが既に気づいていることです。
美しい庭園の景色の間からのぞく無粋な人工物に、いささか違和感を拭えないのは、果たして私だけでしょうか?東京ドームそのものが無粋ではけっしてないのです。そのデザインの現代性が、小石川後楽園の古風な美しさにそぐわないのです。逆に東京ドームから小石川後楽園を見ると、素敵な借景に何となく得した気分になります。
近隣の文京区シビックセンター25階にある展望室から小石川後楽園を望む。その後隣接するラクーア内にある博多ラーメンの店「一蘭」で久しぶりにラーメンを食べたのですが、麺とスープは確かに高水準の味であると認めつつも、具が小口切りの青ネギと薄い(本当に薄い!)チャーシュー3枚のみで、790円は高い!その具の少なさは、ラーメンの旨味をシンプルに味わって欲しいと狙ってのものなのか不明ですが、ライバル・ラーメンチェーン店が軒並み営業損益を出している中、堅実に黒字を計上しているのを見ると、具材にお金をかけない分、利益率も高いのかな、などと勘ぐってしまいました。
多少健康志向のある?私としては殆ど変わらない価格でラーメンを食べるのなら、厚切りチャーシュー1枚、味付け海苔1枚、江戸菜数本、たっぷりシナチクと長ネギの具だくさんな「麺屋 空海」の空海そばの方が好きです…なんてことを長々と書くと、食いしん坊なのがバレバレですね
写真では見づらいですが、大泉水の真ん中に浮かぶ蓬莱島の楓が既に赤く色づいていました。園内には沢山の楓の木があり、紅葉の季節もさぞかし美しい景色を見せてくれることでしょう。
封建社会は天と地ほどの格差があった社会でしょうが、一部に強大な権力と富が集中したからこそ、こうした贅を尽くした庭園が造られ、造園家が腕を競い合って、後世に残るような高度な技術も生まれたと言えるでしょうか。どんなことにも正負の両面が存在するものなのだなと思います。
【追記 09.10.08】
先日、テレビ番組「なんでも鑑定団」で、狛犬について取り上げられていました。狛犬のルーツは古代中東の獅子像で(一説にはインドが起源とも…)、シルクロードを通じて中国・朝鮮を経て、日本に渡来したらしい。琉球にはそのまま獅子像(シーサー)として伝わったのに、日本には朝鮮経由でまず「高麗(コマ)犬」として伝わり、その後「狛犬」で定着したようです。正確には口を大きく開けた阿形は「獅子」で、頭部に角の生えた、口を閉じた吽形は「狛犬」を意味し、獅子狛犬と言うそうです。
確かに、ヨルダンに住んでいた時に、寂しい村外れに、忘れ去られたかのように古代遺跡が残っていて、そこで立派な獅子像を見かけました。正確な名前は忘れてしまいましたが、アル・イラク・アミールと言ったかな?遥か彼方の文化が極東の島国まで伝わっているなんて、ロマンを感じますね。