来年の「歴史」の教科書から、沖縄の集団自決に関する記述が変わると言う。軍の関与はなかった、ということになるらしい。何を以て関与があったのか?あるいはなかったのか?それを判断するのは難しいことだと思う。果たして指令文書のような物的証拠がなかったら「なかった」と断言できるのか?「生きて辱めを受けず」という当時の教育は人々を死に追いやったとは言えないのか?
私は集団自決後の凄惨な場面を写真で見たことがあるが、それはまさに地獄図と言うに相応しい。くぼみに累々と横たわる老若男女の死体。中には人間の形を留めていないものもある。そこで親が子を、兄が妹を、若者が老人を殺したのである。誰が好き好んでそんな地獄図を現世で再現してみせよう?(→参考写真へリンク:<注>ショッキングな画像なので心臓の弱い方はご遠慮下さい。ご覧になった方は、自分自身が、自分の肉親や友人・知人が、こんな目に遭うなんて想像したくもないでしょう?)私はまた、地元でガマと呼ばれる避難壕にも入ったことがある。何十人という人々が息を潜めていたというそのガマは暗く湿った独特の匂いが漂う空間で、私など10分と居られない場所だった。そんな避難壕では、泣き声がうるさいからと赤ん坊が窒息死させられたことも多かったらしい。
先日、深夜のニュース番組ZEROではリポーターの知花くららさんが、慶良間諸島出身の祖父とその郷里の島を訪ねて、祖父の集団自決体験を聞くというレポートがあった。米軍の上陸に際して集団自決が多発した島で、通常縄として用いる山野に自生する草の葉を首に巻き付けて自死しようとした祖父。実際に草を首に巻き付けてみせて当時の体験、心境を語る祖父の目からは止めどなく涙が溢れていた。
「生き残ったことが(死んでしまった人々に対して)申し訳ない。だが、もし私があの時死んでいたら、くららはこの世に存在しなかった。命は繋がっているんだよ。だから亡くなった人の分まで一生懸命生きようと思った」―くららさんの頬にも涙が伝った。
今回の教科書書き換え問題で、沖縄では辛い戦争体験についてこれまで口を閉ざしていた高齢者達が一斉に語り始めているという。戦争体験を語り継がなければ反戦の思いは風化し、また日本は戦争への道を歩み始めるかもしれないという危機感からだ。
日本武道館での戦没者追悼式に出席された中で最高齢(101歳)の女性も、絞り出すような声で「戦争はやってはいけない…」と言われていた。
戦争で悲惨な体験をされた人々は、誰しも二度と戦争は嫌だと思っておられると思う。自分の子や孫に同じような体験は絶対にさせたくないと思っておられるはずだ。戦争を知らない世代は、その思いをきちんと受け継がなければならないと思う。せめて3月10日(東京大空襲)、6月23日(沖縄戦終結)、8月6日(広島へ原爆投下)、8月9日(長崎へ原爆投下)、8月15日(終戦記念日)と言った日々を覚えておきたい。もちろん自分達の被害体験だけでなく、他者への加害についても忘れてはならないだろう(逆に戦争を厭わない人は、戦時に悲惨な目に遭わずに済んだ人々~特権階級?、戦争によって利益を得た人々の子孫なのだろうか?或いは身近な親族が辛い戦争体験に口を閉ざしているが為に、戦争の悲惨を知らないだけなのだろうか?)。
”戦争”はこの地球上でおそらく絶えたことがないだろう。常にどこかで大小の紛争、戦争が起きているはずだ。そして今やそられの戦争がたとえ日本以外で起きていようと、日本は無関係ではいられない。必ずどこかで繋がっており、何らかの関わりがあり、「対岸の火事」と済ませられない現実がある。そんな状況だからこそ、私達日本人は「平和」について考えなければいけないのだと思う。現在の日本の「平和」は過去の多大な犠牲のもとに成立しており、だからこそそれを守る義務が現代を生きる私達にはある。安穏と享受していられるほど「平和」は容易く保たれるものではない。「平和ぼけ」ではいられない。
戦争には狂気が存在する。普通の人間を鬼に変える。戦争は一旦始めてしまったら、それを終わらせることは難しい。これまで起きた全ての戦争がそのことを示している。戦争を回避する為にこそ、”智慧”は絞るべきである。
ワンクリックいただけたら嬉しいです(*^_^*)⇒
私は集団自決後の凄惨な場面を写真で見たことがあるが、それはまさに地獄図と言うに相応しい。くぼみに累々と横たわる老若男女の死体。中には人間の形を留めていないものもある。そこで親が子を、兄が妹を、若者が老人を殺したのである。誰が好き好んでそんな地獄図を現世で再現してみせよう?(→参考写真へリンク:<注>ショッキングな画像なので心臓の弱い方はご遠慮下さい。ご覧になった方は、自分自身が、自分の肉親や友人・知人が、こんな目に遭うなんて想像したくもないでしょう?)私はまた、地元でガマと呼ばれる避難壕にも入ったことがある。何十人という人々が息を潜めていたというそのガマは暗く湿った独特の匂いが漂う空間で、私など10分と居られない場所だった。そんな避難壕では、泣き声がうるさいからと赤ん坊が窒息死させられたことも多かったらしい。
先日、深夜のニュース番組ZEROではリポーターの知花くららさんが、慶良間諸島出身の祖父とその郷里の島を訪ねて、祖父の集団自決体験を聞くというレポートがあった。米軍の上陸に際して集団自決が多発した島で、通常縄として用いる山野に自生する草の葉を首に巻き付けて自死しようとした祖父。実際に草を首に巻き付けてみせて当時の体験、心境を語る祖父の目からは止めどなく涙が溢れていた。
「生き残ったことが(死んでしまった人々に対して)申し訳ない。だが、もし私があの時死んでいたら、くららはこの世に存在しなかった。命は繋がっているんだよ。だから亡くなった人の分まで一生懸命生きようと思った」―くららさんの頬にも涙が伝った。
今回の教科書書き換え問題で、沖縄では辛い戦争体験についてこれまで口を閉ざしていた高齢者達が一斉に語り始めているという。戦争体験を語り継がなければ反戦の思いは風化し、また日本は戦争への道を歩み始めるかもしれないという危機感からだ。
日本武道館での戦没者追悼式に出席された中で最高齢(101歳)の女性も、絞り出すような声で「戦争はやってはいけない…」と言われていた。
戦争で悲惨な体験をされた人々は、誰しも二度と戦争は嫌だと思っておられると思う。自分の子や孫に同じような体験は絶対にさせたくないと思っておられるはずだ。戦争を知らない世代は、その思いをきちんと受け継がなければならないと思う。せめて3月10日(東京大空襲)、6月23日(沖縄戦終結)、8月6日(広島へ原爆投下)、8月9日(長崎へ原爆投下)、8月15日(終戦記念日)と言った日々を覚えておきたい。もちろん自分達の被害体験だけでなく、他者への加害についても忘れてはならないだろう(逆に戦争を厭わない人は、戦時に悲惨な目に遭わずに済んだ人々~特権階級?、戦争によって利益を得た人々の子孫なのだろうか?或いは身近な親族が辛い戦争体験に口を閉ざしているが為に、戦争の悲惨を知らないだけなのだろうか?)。
”戦争”はこの地球上でおそらく絶えたことがないだろう。常にどこかで大小の紛争、戦争が起きているはずだ。そして今やそられの戦争がたとえ日本以外で起きていようと、日本は無関係ではいられない。必ずどこかで繋がっており、何らかの関わりがあり、「対岸の火事」と済ませられない現実がある。そんな状況だからこそ、私達日本人は「平和」について考えなければいけないのだと思う。現在の日本の「平和」は過去の多大な犠牲のもとに成立しており、だからこそそれを守る義務が現代を生きる私達にはある。安穏と享受していられるほど「平和」は容易く保たれるものではない。「平和ぼけ」ではいられない。
戦争には狂気が存在する。普通の人間を鬼に変える。戦争は一旦始めてしまったら、それを終わらせることは難しい。これまで起きた全ての戦争がそのことを示している。戦争を回避する為にこそ、”智慧”は絞るべきである。
ワンクリックいただけたら嬉しいです(*^_^*)⇒