東日本大震災が発生して丸4年の昨日、東京都千代田区の国立劇場で行われた「東日本大震災追悼式」での宮城県遺族代表、菅原彩加(さやか)さん(19)=石巻市出身=の言葉が、以下のリンク記事で全文紹介されている。
「大好きだよ」瓦礫に母残し4年 19歳が誓った言葉(朝日デジタル)
昨夜、私はニュース番組で、菅原さんが壇上で来賓の天皇・皇后両陛下を前に、言葉を読み上げる映像を見たが、瓦礫の下敷きになって身動きの取れなくなっている母を置いて、一人泳いで避難したと言う下りに、堪らず涙した。今、こうして全文を活字で読んでも、こみ上げてくるものがある。
「行かないで」と言う母に「ありがとう。大好きだよ」の言葉を残して、ひとり避難することを決断した、その瞬間の彼女の心情はいかばかりであったか、瓦礫の重みと負傷による猛烈な痛みを感じながら、目の前の娘と共に避難したくても叶わぬ母親の悲嘆はいかばかりであったか、想像するだけで胸が詰まる。涙が止めどなく溢れて来る。
あの日、あの時、一体どれだけの人が、言いようのない悲しみの中で、大切な人と永遠の別れをしなければならなかったのだろう。その悲しみを自分に置き換えて考える想像力が、今、生きている、生かされている自分には、"なくてはならないもの"のような気がする。
現在19歳の菅原さんは、悲しみを乗り越えて未来に向かって生きようと、決意を新たにしている。まだ深い悲しみは癒えていないであろうに、自らに鞭打つように前に向かって進もうとしている。その強さはどこから来るのか?もしかして、どこか無理をしているのではないか?
よもや、菅原さんは「助けを求める母親を見捨てた」と自責の念に駆られていることはないのだろうか?
震災で亡くなられた数多の人々の為に、何より直後に襲いかかって来るであろう津波から逃れる為、断腸の思いで置き去りにするしかなかった母の為に、自分は心を強く持つしかないのだと、菅原さんが正に悲愴な思いで自分を追い込む形で、あの壇上で宣言したようにも私には思えるのだが、もし間違っていたら、ごめんなさい。
今(震災から4年が経過した"今"、15から19歳と言う多感な時期を過ごして来た菅原さんにとっての"今")はそうでもしなければ、前に進めない心境なのかもしれない。自ら勇気を振り絞って時計の針を進めるしかないと考えておられるのかもしれない(或いは、上述の私の懸念は杞憂で、菅原さんは、その筆舌に尽くしがたい辛い経験をバネに、若人として自ら切り開く未来を、既に展望しているのかもしれない)。
でも、そんな菅原さんに敢えて申し上げたい。疲れた時にはどうか無理をせず、誰にも遠慮することなく、ご自身の為に休んで下さい。困った時はひとりで悩まず、信頼できる身近な人に甘えて下さい。悲しい時には「悲しい」と口にし、思い切り泣いて下さい。とにかく、あまり頑張り過ぎないでいただきたいと思う。菅原さんには、無念のうちに亡くなられたお母様の分まで、心身共に健やかに、幸せな人生を歩んでいただきたいと、私は心から願っている。同じ母親と言う立場で想像させていただくなら、菅原さんのお母さまも、そう望んでおられるように思う。
心の通い会った母子関係にある母親が何より我が子に望むのは、「幸せな人生を歩んで欲しい」と言うことだと思います。
「大好きだよ」瓦礫に母残し4年 19歳が誓った言葉(朝日デジタル)
昨夜、私はニュース番組で、菅原さんが壇上で来賓の天皇・皇后両陛下を前に、言葉を読み上げる映像を見たが、瓦礫の下敷きになって身動きの取れなくなっている母を置いて、一人泳いで避難したと言う下りに、堪らず涙した。今、こうして全文を活字で読んでも、こみ上げてくるものがある。
「行かないで」と言う母に「ありがとう。大好きだよ」の言葉を残して、ひとり避難することを決断した、その瞬間の彼女の心情はいかばかりであったか、瓦礫の重みと負傷による猛烈な痛みを感じながら、目の前の娘と共に避難したくても叶わぬ母親の悲嘆はいかばかりであったか、想像するだけで胸が詰まる。涙が止めどなく溢れて来る。
あの日、あの時、一体どれだけの人が、言いようのない悲しみの中で、大切な人と永遠の別れをしなければならなかったのだろう。その悲しみを自分に置き換えて考える想像力が、今、生きている、生かされている自分には、"なくてはならないもの"のような気がする。
現在19歳の菅原さんは、悲しみを乗り越えて未来に向かって生きようと、決意を新たにしている。まだ深い悲しみは癒えていないであろうに、自らに鞭打つように前に向かって進もうとしている。その強さはどこから来るのか?もしかして、どこか無理をしているのではないか?
よもや、菅原さんは「助けを求める母親を見捨てた」と自責の念に駆られていることはないのだろうか?
震災で亡くなられた数多の人々の為に、何より直後に襲いかかって来るであろう津波から逃れる為、断腸の思いで置き去りにするしかなかった母の為に、自分は心を強く持つしかないのだと、菅原さんが正に悲愴な思いで自分を追い込む形で、あの壇上で宣言したようにも私には思えるのだが、もし間違っていたら、ごめんなさい。
今(震災から4年が経過した"今"、15から19歳と言う多感な時期を過ごして来た菅原さんにとっての"今")はそうでもしなければ、前に進めない心境なのかもしれない。自ら勇気を振り絞って時計の針を進めるしかないと考えておられるのかもしれない(或いは、上述の私の懸念は杞憂で、菅原さんは、その筆舌に尽くしがたい辛い経験をバネに、若人として自ら切り開く未来を、既に展望しているのかもしれない)。
でも、そんな菅原さんに敢えて申し上げたい。疲れた時にはどうか無理をせず、誰にも遠慮することなく、ご自身の為に休んで下さい。困った時はひとりで悩まず、信頼できる身近な人に甘えて下さい。悲しい時には「悲しい」と口にし、思い切り泣いて下さい。とにかく、あまり頑張り過ぎないでいただきたいと思う。菅原さんには、無念のうちに亡くなられたお母様の分まで、心身共に健やかに、幸せな人生を歩んでいただきたいと、私は心から願っている。同じ母親と言う立場で想像させていただくなら、菅原さんのお母さまも、そう望んでおられるように思う。
心の通い会った母子関係にある母親が何より我が子に望むのは、「幸せな人生を歩んで欲しい」と言うことだと思います。