はなこのアンテナ@無知の知

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ふたつの足枷が新型コロナ対策を遅らせた

2020年03月26日 | はなこのMEMO
世界的流行を見せている新型コロナ。その中でも、多くの国民の自助努力の甲斐もあって、日本は比較的穏やかに状況が推移していると見られていた。

しかし、「自粛疲れ」ならぬ「自粛慣れ」から来る気の緩みと春の陽気に誘われて、先週の三連休は各地で多くの人出があったことで、今後の感染爆発(オーバーシュート)が懸念される事態となっている。

埼玉では行政からの再三の自粛要請にも関わらず、6,000人もの人を集めての大規模イベントも開催されてしまった。

昨日は首都東京で41人もの感染者(しかも陽性率は50%!)が発覚し、小池都知事が急遽会見を開いて、週末の外出自粛要請を出すに至った。

これは遅きに失した感が拭えない。せめて、先週の三連休の前日に外出の自粛要請をすべきであった。東京都のみならず、東京都との往来が盛んな近隣の神奈川、千葉、埼玉の三県を加えた首都圏で、市民は外出を自粛すべきであったと思う。

【参考データ】近隣県から東京都への1日当たりの流入数は約291万人。内訳は神奈川県:106.8万人、埼玉県:93.6万人、千葉県:71.6万人、茨城県:6.7万人、栃木:1.7万人、群馬県:1.3万人。以上、テレビ朝日調べ。

振り返れば、今年1月半ばからの新型コロナ騒動では、政府や行政のコロナ対策に関して、二つの潮目があった。

ひとつは習近平国家主席の来日が取りやめになった時、もうひとつは東京オリンピックの延期が決まった時だ。


1月半ばの時点で中国武漢市で新型コロナの感染爆発が深刻さを増しても、日本政府は春節期の中国からの人々の入国を止めなかったのに、習近平国家主席の国賓としての来日が取りやめになると、あっさりと入国制限をかけた。

日本政府が入国制限をかけることに躊躇したのは、明らかに主席の来日を控えた中国政府への忖度と、6000社にも及ぶ中国進出日本企業への配慮だろう。

また、世界的な新型コロナの感染拡大を受けて、東京オリンピック開催の可否が世界各国で取り沙汰されても、JOCや日本政府は頑なに予定通りの開催を主張し続け、なぜか首都圏の検査実績が他国と比べてあまりにも少ない為にウィルス蔓延の実態は市民に明らかにされず、この件に関して都知事からのアナウンスも殆どなかった。

しかし、オリンピックの延期が決まった途端、都内において感染が急拡大したかのような連日の感染者の増加報道と小池都知事の会見である。

外務省もようやく(オリンピック開催延期決定を待って?)他国への渡航制限をかける始末。本来ならば、海外渡航者のウィルス持ち込みを防ぐためにも、もっと早期に渡航制限をかけるべきだったのではないか。

おそらく、前近代的な不平等契約で、オリンピックの開催決定権がホスト国である日本にはなく、日本から中止や延期を言い出せば損害賠償が発生する恐れがあるために、JOCや日本政府は表向き予定通りの開催を言い続けるしかなかったのかもしれない。

そして予定通りの開催を主張する以上、日本での新型コロナウィルスの蔓延の状況を、対外的に詳らかには出来なかったのかもしれない。

しかし、経済的結び付きの強い(=経済的依存度の高い)中国政府への忖度と、中止となれば経済的ダメージが計り知れないオリンピックに拘泥するあまり、新型コロナへの防疫対策は後手後手になってしまい、日本国民の生活や生命が脅かされる事態に至ってしまったとは言えないか?

市中でのウィルス蔓延(不顕性感染者=サイレント・キャリアの存在)の実態を知らされていない市民の中には、危機感を持てない人も少なからずいて、彼らの安易な行動が、今後懸念される感染爆発の引き金となった可能性を大いに孕んでいる。

このまま学校を再開して大丈夫なんだろうか?休校中に子供たちが繁華街に繰り出すことが問題視されたが、それは休校前に、休校の理由と意義を子供たちに理解させることなく、また休校中の学習課題をきちんと与えることなく、休校への十分な準備期間を設けずに休校に入らせてしまったことが原因だと思う。他国では休校期間中オンライン授業を行っているところもあると聞く。

つくづく、日本は教育政策が他の先進国から大分遅れてしまった教育後進国だと思う。これはとりもなおさず、政府の教育軽視の姿勢に原因がある。未来への投資を怠る国は衰退の一途を辿るだろう。日本の最大の不幸は、目先の利益にしか目配り出来ない、大局観のない政治家が政治を担っていることなのかもしれない。

ドイツでは無軌道な一部の若者たちがコロナパーティなるものを開いて物議を醸しているらしいが、戦争も飢餓も、そして今回のような疫病も知らない若者たちは所謂「平和ボケ」で、自分自身に降りかかる問題としての危機感がないのだろう。その点は、本来ならば避けるべき場所で遊び惚けている日本や米国の一部の若者も同じ。


日本の新型コロナ対策が後手後手に回った経緯は、精々そんなところなんだろうな。

新型コロナ禍の時期に偶々ふたつの足枷を嵌められてしまった日本は不運としか言いようがないし、未知のウィルスへの対策は手探りで行うしかないのだろうけれど、政府にはせめて市民の生命と生活を守ることを第一に考えて動いて欲しかった。

新型コロナ流行に関する連日の報道に、市民の中にも生活必需品の買い溜めに走ったり、感染者に対する心ない差別が発生するなど、集団ヒステリーの様相も見られるけれど、どうか理性を失わずに落ち着いて対処して欲しいなと思う。

日本の感染爆発が今まで回避出来たのは、ひとつには衛生管理がしっかりした国民性と社会の体制だと思うので、国民のひとりとして、その維持に努めようと思う。忘れられがちだけれど、ほぼ毎日定期的にゴミの収集が行われていることが、市中の清潔の生命線であることも心に留めておきたい。

今回の件について、「失敗学」の提唱者である畑村洋太郎先生の見解を伺いたいなとも思う。

【追加メモ】
①今朝(3/26)のニュースで、これまで30人の感染者の治療に当たった医師によれば、感染者には発熱や咳などの初期症状以外に、味覚の変化、違和感を訴える人が多かったと言う。覚えておきたい。

②誰かがテレビで発言していたけれど、国を守ると言う意味で防疫は防衛に匹敵するほど重要

今回のコロナ禍で顕在化した、医療現場でのマスクやアルコール消毒剤や防護服の不足は深刻な問題だ。

今回の事態が収束した暁には、反省点として防疫体制の強化を図り、その一環として国は十分な数の専門家の育成や米国のCDCのような疾病対策センターの創設、さらに必要不可欠な医療用品については、国主導で十分な量の国内生産と備蓄に努めるべきだと思う。
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