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先日、東京港区六本木にある国立新美術館で開催中の「ルーヴル美術館展 愛を描く」を夫婦で見て来ました。
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世界の名だたる美術館の中でも圧倒的な知名度と人気を誇るルーヴル美術館。私も35年前からかれこれ7〜8回は訪れていますが、未だ全てのコレクションを見切れてはいません(当然と言えば当然ですが…) 。
今から10年前に訪ねた時は覚悟を決めて開館直後から閉館近くまで滞在しましたが、歩数計が23,000歩超えを記録し、足裏全体がマメだらけになるほど頑張ったにも関わらず、展示中作品の4割がたを見るに留まりました(なんでそこまでして、と我ながらアホだと思う😅) 。
当然のことながら「ルーヴル美術館展」と銘打っても、膨大なコレクションのほんの一部が来日するに過ぎません。しかも《モナリザ》や《民衆を率いる自由の女神》《ミロのヴィーナス》と言った美術館の顔とも言うべき作品ともなれば、ただそれ1点のみで展覧会が成立するようなステータスを持っています。
「ルーヴル美術館展」と銘打った展覧会は、これまで何度となく日本の美術館で開催されて来ました。その内容はと言えば、そこそこ日本で知名度のある作家の作品を揃えた万民向けの総花的なものもあれば、今回のような学芸員の企画力が試される、美術館のコレクションから独自の切り口で作品をピックアップし、設定したテーマに沿った展示構成で、美術館コレクションの通り一遍ではない多様性や奥深さを紹介するものもあります。
そして今回の企画展は「愛を描いた作品」をテーマに据えて、ギリシャ神話に繰り返し登場する「エロスの愛」やキリスト教主題に基づく「アガペーの愛」を描いた作品を中心に展示して、新たな視座でルーヴル美術館の魅力を伝えています。
で、率直に今回の展覧会の感想を述べさせて貰うなら、実際に現地に足を運んだならあまり気に留めないような作品群をよくぞここまで集めて、「愛を描く」と言うテーマでまとめてみせたな、と言う印象です。展示作品一点一点を吟味する学芸員の手間を考えれば“労作”だと思います。
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会場内で作品を見ながら感じた雑感を以下に列挙します。
・会場の冒頭に展示された18世紀ロココ絵画を代表する画家、フランソワ・ブーシェの作品は清澄な青と華やかな薔薇色のコントラストが特徴的で、彼の代名詞とも言える色遣いなんだなと改めて思う。
・女性を略奪するシーンを描いた作品や聖女の胸も露わな姿や恍惚の表情を浮かべた姿を描いた作品は、当時絵画の位階で最上位にあった「歴史画」を隠れ蓑に、貴族や富裕な商人が寝室に飾ってひとりニヤニヤ眺めていたのかなあ…と想像する。
・一転して、世界的規模の交易で巨万の富を得た東インド会社を筆頭に、商人の台頭(市民が主役の社会)を象徴する17世紀のオランダ絵画は歴史画から一旦離れて、より現実の生活に根差した庶民の生態を描いた俗っぽさが面白い。今回ヤン・ステーンの作品は来ていないけれど、それと同じテイストの、人の持つ後ろめたさを小突きつつ、皮肉と風刺を効かせた小品群は見ていてクスっと笑える。
・サミュエル・ファン・ホーホストラーテンの《部屋履き》は、無造作に脱ぎ捨てられた部屋履きを主役に据え、画面には姿が見えないその持ち主の行状を想像させる一味違った仕掛けの作品。細部の観察で想像が広がる面白さ。
・ジャン=オノレ・フラゴナールの《かんぬき》は、私がこれまで抱いていたフラゴナールの画家としてのイメージを覆すものだ。単に私が知らなかっただけなのだろうけれど。官能的なテーマを、見る者に想像を促すような意味深な描写で表現し、画家としての力量をいかんなく発揮している。
・《かんぬき》と同じ部屋に展示されたブーシェの《褐色の髪のオダリスク》はベッドに腹ばいになり臀部を露わにした女性がこちらに向かって意味ありげに微笑みかけているのが、官能をそのまま絵にしたような描写で"なまめかしさ全開"(笑)。画面の中央に生白い臀部を据えているので、嫌でも凝視してしまう構図。ブーシェの依頼主に対する旺盛なサービス精神を見たような気がする。
・ギョーム・ボディニエがイタリア訪問時に描いたと言う《イタリアの婚姻契約》は、徹底した写実でイタリア人の相貌を正確に描出している。地方の富裕層の婚姻契約の様子を描いているが、登場人物それぞれの表情や視線、仕草に画題以外の人間ドラマが垣間見えて面白い作品。
最後の区画は作品の撮影が可能でした。一般的に他の美術館から借り受けている企画展の展示作品は撮影禁止なのですが、近年は展覧会の周知を意図してか(SNSによる情報拡散を期待?)、貸し出し元の美術館の許可を得て、一部作品を撮影可能とする企画展も増えているようです。
逆に美術館が所蔵する作品は著作権の切れた、年代的には20世紀初頭以前の作品は撮影可能な場合が多いのですが、オランダのゴッホ美術館は撮影不可ですね。
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・アリ・シェフェールの《ダンテとウェルギリウスの前に現れたフランチェスカ・ダ・リミニとパオロ・マラテスタの亡霊》は、ダンテの叙事詩「神曲」に取材したもので、全体的に暗い画面中央に浮かび上がる絡み合う男女の白肌が印象的な作品。一見するとタイトルを知らなければ、画面右隅の暗闇から男女を凝視する二人の男が男女の営みを盗み見ていると勘違いしそうだが、その実、二人の男性は「神曲」の作者ダンテと「神曲・地獄編」でダンテの案内役を務める古代ローマの詩人ウェルギリウスなのである。見る者の教養が試される作品?もしくは、これも古典的主題を隠れ蓑にした官能的作品なのか?
・フランソワ・ジェラールの《アモルとプシュケ》、もしくは《アモルの最初のキスを受けるプシュケ》は、その主題そのままに甘美な描写が際立つ作品。その端正な筆致は「新古典主義」を代表する画家のひとりであるジェラールの面目躍如と言ったところ。「ロココ」的色彩も継承して、ひたすら古典期美しさを追求した彼の作品は、18世紀当時人気を博したことだろう。思わず、しおりを購入してしまった(笑)。
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ルーヴルにはこんな作品もあったのね、と目から鱗が落ちるルーヴル・コレクションの楽しみ方が出来る展覧会だと思います。
(了)
【追記】
コロナ禍以降、加えてロシアのウクライナ侵攻によりエネルギー問題が顕在化して、さまざまな面でコスト高を招いています。
その為、展覧会の入場料金も大幅な値上げとなっています。かつては一般が1,500円程度だったのが、今や2,000円超えも珍しくない。
それに伴い早割ペア券も、かつての2,000円から3,000円台後半にまで高騰しています。リタイア組には辛い価格設定です。
今後、世界の政情が安定したとしても、もう元には戻らないのでしょうね😢。