はなこのアンテナ@無知の知

たびたび映画、ときどき美術館、たまに旅行の私的記録

『小野寺の弟 小野寺の姉』(2014、日本)

2014年11月08日 | 映画(今年公開の映画を中心に)


 本作を公開中のチネッッタでは、パンフレットが早々と売り切れる程の人気ぶり。私も映画館で見た予告編につられて見てみた。

 元々、姉弟同キャストで舞台劇だったのを、違う筋書きで映画化した作品らしい。両親を早くに亡くした年の離れた姉弟が、互いを思いやりながら、慎ましく暮らす様子を描いている。姉弟は古びた佇まいの家に住み、二人を取り巻く周囲の人々は温かい。日本が昔から得意とする人情劇の舞台設定である。映画は姉弟それぞれに恋愛エピソードを折り込み、それぞれのキャラクターやふたりの関係性を浮き彫りにする。

 度々登場する食卓シーンに、二人の絆の深さが窺える。そこには何気ない日常を、丁寧に穏やかに暮らす、ひとつの家族の姿がある。

 しかし、見終わった後に特に感動したとか、何かが心に突き刺さったといったような感慨はなかった。意外に淡々とした思いで席を立った。だから、この作品の何が、人々を惹きつけているのだろうと疑問に思い、ヤフー映画のレビューを見てみた。すると、点数評価(点数は高く、高評価である)からは見えて来ない、本作に対する個々の(人によっては複雑な)思いが見えて来た。

 本作は、見る人の、それまでの幸福度を測るリトマス試験紙のようである。幸福な人生を歩んで来た人は、本作に描かれた世界観を素直に感受して、概ね好印象を持った一方で、自身が姉弟と似たような境遇にある(あった)人、身近にそういう人々を見て来た人は、自身の経験を改めて思い出し、「映画で描かれている世界は、現実とはかけ離れたファンタジーに過ぎない」と感じて、不快感さえ覚えているようだ。現実の人生は厳しく、映画のように"ほんわか""ほっこり"とは行かない、と言うことなのだろう。特に本作に対する怒りをも含んだ拒絶反応は、作り手にも予想外だったのではないか?

 本作を見て心地よさを感じた人の多くは、これまでが十分に恵まれた人生だったのだろう。そして、そういう人が大多数だからこそ、本作には高評価がついており(もちろん、全ての作品に、このパターンが当て嵌まると言うわけではない)、逆にそのことが一部の人々の拒絶感に繋がってもいるのだろう。

 映画も絵画や彫刻と同様に、見る人自身が持つバックグラウンドによって、着眼点も、印象も、解釈も(知識・教養の多寡により理解度も)異なって来るのは当然で、それが図らずも社会を構成する人間の多様性を端的に現している。小さな島国に"ほぼ"単一民族がひしめきあって暮らす日本でさえ、そうである。そのことを踏まえて、社会で異なる立場の人間同士が互いに努力して歩み寄り、いかに相互理解を深めるかが、「誰にとっても生き易い社会」の実現に繋がって行くのだろうが、それが難しいからこその、身近なところでの「ご近所トラブル」であったり、もっと大きな枠でのマジョリティに対するマイノリティの生き辛さなのだろう。


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