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今日の青空。
このところ寒い日が続いていますね。
寒中お見舞い申し上げますm(_ _)m
やんわり諭すことができたら・・・・
と思います。
怒るのは自分の感情を爆発させているだけで芸がない、
叱るのは上から物を言うようで威圧的、
注意するのは、それがたとえ正論であっても、
される方は知り合いのおじさん、おばさんならともかく、
見ず知らずの他人では、素直に受け止められないでしょう。
大人は、人生をチョッピリ先に生きている者として、
まだ社会のルールを学んでいる発展途上の子供達に対して、
もしその振る舞いにルール違反があれば、
それを正す役割を担っていると思う。看過するのは怠慢。
それでも、メッセージの伝え方には工夫が必要です。
できればユーモアにくるんで、やんわり伝えられたらと思う。
そうすれば10人の内、少なくとも半分の5人くらいには、
自分の思いが伝わるのではないか?
しかし、それが結構難しい。私は注意するのが精一杯。
それも学習効果の賜で、以前は叱ってばかりいました。
ユーモアにくるむなんてとてもとても・・・・・
説諭の達人への道のりは遠い。
先日もバスの車内で気になることがありました。
部活帰りの女子中学生が数人スポーツバッグを抱えて
バスに乗り込んで来ました。
その中のひとりが、2人席にドカッと腰を下ろすや
「隣に誰か座ったらいやだから」
と空いている隣の席にバッグを置いたのです。
3ガ日は過ぎていましたが、まだ正月ダイヤで
本数も少ない中、車内は結構混雑します。
ガラガラに空いているならともかく、
立つ人も出て来る中、平気で荷物を置いたままの生徒。
疲れた様子の初老の男性が二人乗って来ましたが、
女子生徒の方を一瞥しただけで、諦めたように
出口ドア近くに立ち止まりました。
どうして遠慮するんだろう?疲れているなら、
「ここが空いているなら座るね」の一言を
かけて座れば良いのに。
その一言が面倒くさいのか?
怒るでなく、叱るでなく、注意するでなく、
ただ一言、「空いているなら座るね」。その一言が実は、
混雑した車内で荷物を平気で座席に置いている生徒には、
立派なマナー教育になったと思うのです。
私がそうすべきだったのか・・・・・
大学を電車通学していた頃、こんなこともありました。
電車通学をしている私立小学校の生徒数人
(揃いの靴下に学校名が刺繍されていました)が、
数両に渡って鬼ごっこをしていました。
かなりのスピードで人をかきわけ走っていました。
これはマナー違反どころか、危険な行為。
しかし車内の客は寝ている人、寝たフリの人、
あからさまに不快な表情で子供達を見ているばかりで、
誰も注意をしようとはしません。
私より年配の方々がいたので最初は遠慮していた私も、
見かねて、前を通りかかったひとりの児童の腕を掴んで、
「危ないから走るのはやめようね」と注意しました。
それで、子供達はすぐさま鬼ごっこを止めたのです。
子供達もバカじゃないから、注意すればわかる。
すると、それまで傍観していた人々が、
口々に子供達の悪口を言い出したのです。
「今時の子供は躾けがなっていない」と。
特に目立ったのは、子供達から見たら、
祖父母の年配に当たる人々。
何をか言わんや。
「傍観していたのは誰ですか?」という言葉が
喉元まで出かかっているのを、私は必死で止めました。
悪いと知りながら、それを指摘しないのは同罪です。
それが子供の行為に対しての大人の傍観なら、
大人の怠慢でなお悪い。
他人の子供に対してなら自分には責任がない、
とでも考えているのか?
しかし、その怠慢が子供に社会で生きて行くマナーを
学ぶ機会を奪い、将来マナーを知らない大人が増え、
巡り巡って自分の身に返ってくるのです。
今でも既に電車やバスなどの公共の乗り物で、
老人やケガをしている人や妊婦や幼児連れの家族に、
席を譲ろうとしない若者や大人が大勢います。
誰がそんな状況を作り上げたのか?
もちろん、人にとやかく言う前に、
社会を構成する一人として、
まず自分がどう振る舞うべきなのか、
私自身、常に考え続けて行かなければ、と思います。
(日々反省することばかり・・・(-_-))