クレタ人は嘘つきだとクレタ人のエピメニデスが言った。論理学を商売にしている人たちがよく取り上げる命題である。じゃあ、こんな法哲学の話題はどうだろうか。
犯罪容疑者を拘束し、接見を制限するのは証拠隠滅を防ぐためである。保釈中の移動を制限、あるいは監視下に置くのは、逃亡を防ぐためである。そうした国家権力の措置を人権無視だと嫌って、保釈中の犯罪容疑者が金にあかせて逃亡のプロの力を借りて国外に逃亡した。その逃亡は容疑者が受けた国家の扱いがそれほどひどかったことを世論に訴える力となるか、それとも、当局に保釈制度の不備を再認識させ、犯罪容疑者に対する拘束の強化を促すことになるのか。
プラトンが書いた『クリトン』にこんな話が出てくる。牢獄の中で死刑の執行を待つソクラテスに友人のクリトンが、国家が無実のソクラテスを死刑にしようとしているのだから、不当判決を拒否して国外へ逃げるよう説得した。これに対してソクラテスは、法による裁定が一私人の都合で無視されるような事態は、国の法体系や国家そのものが危機にさらさられる、と言って逃亡のアイディアを拒否した。
あるいは、人民を暴政によって圧倒しようとする政府を倒すのは人民の権利であり、義務である、と言った18世紀のトマス・ジェファソンにならって、個人をいたぶると感じさせるような政府が支配する国から密出国して逃走、その政府の手の届かない所に到着したうえで、批判の言葉をあびせるのは、個人の権利であり義務である、と主張する人もいる。
10年ほど前、NHKが流した討論番組のマイケル・サンデル教授の『ハーバード白熱教室』が評判になったことがある。カルロス・ゴーン氏の箱詰めになっての日本脱出は、ソクラテス風に考えるのが当たりなのか、ジェファソン風の正当な抵抗と考えるのが当たりなのか、格好の教材になりそうである。
つまるところは、没収された15億円の保釈金があぶく銭に過ぎないほど、企業から巨額の金をむしり取ってため込んでいたグローバル企業の支配人のわがままにすぎないのだろうが、そういう言い方はみも蓋もない。正月明けの頭の体操のために、ソクラテスの論理を支持するのか、ジェファソンのそれを支持するのか、額面通りの論理をたどってみるのもまた一興だろう。
(2020.1.9 花崎泰雄)
※コメント投稿者のブログIDはブログ作成者のみに通知されます