連歌師の飯尾宗祇の独吟百韻の一つは次のように始まる。
限りさへ似たる花なき桜かな
しづかに暮るゝ春風の庭
桜の花の見事さは満開の時だけに限らず、その散りぎわにもあるのだなあ、と春風に包まれて舞う花びらを見る春の静かな夕方。連歌に見られる中世知識人の美意識がにじむ。静謐。
つづいて、浅野内匠頭の辞世と伝えられる歌。
風さそふ花よりもなほ我はまた春の名残をいかにとやせん
「いかにとやせん」がちょっと「におう」。
さきほど毎日新聞の電子版で読んだのだが、職業差別的な発言をした川勝平太・静岡県知事が退職届提出にあたって10日、
散りぬべき時知りてこそ世の中の花も花なれ人も人なれ
という細川ガラシャの辞世の引用を記者たちに披歴した。同紙によると、川勝氏は「辱めを受けないために死を決意した。(自分が)昔から行動規範として持っているもの」と説明した。県民からは「自己陶酔だ」と批判の声もあがった、という。
桜の散りぎわにかこつけて恨みがましい自己弁護をするというのは、美的とはいえない。
(2024.4.11 花崎泰雄)
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