朝9時過ぎに、旗の台駅から東急大井町線に乗ったら、
前の座席にタレントの吉田照美さんが疲れた所在なげな(?)顔をして乗っていました。
大井町線の中で、照美さんと会うのはほぼ1年ぶりくらいじゃなかったか?!
吉田照美さんは、毎週月曜から金曜までの朝6時30分から8時30分まで、
文化放送で『吉田照美のソコダイジナトコ』というラジオ番組を担当しています。
それで、番組終了後は、文化放送のある浜松町から京浜東北線で浜松町まで行き、
大井町から大井町線を使って自宅までいったん戻るのだと思います。
目ざとく照美さんを見つけた僕は、
「おつかれさま!」と声をかけて、照美さんの隣に座りました。
あのラジオではやかましいくらいによくしゃべる照美さんですが、
ふだんの顔は、すごくシャイで、大人しい(?)人なのです。
うん、こういうタイプの人ってけっこういます。
しゃべり手の中で、普段も放送でも変わらなのはみのさんくらいかな(笑)
「早朝の番組、大変ですね」
「まぁね」
「1日が長いですもんね」
僕も以前今の照美さんが担当している番組と、
同じ時間帯の別の番組を構成したことがあり、
その当時は、僕の担当の曜日の時は、
早朝5時には局に行っていたのを思い出します。
いやぁ、今ぐらいになると、
これがもうたまらなく眠くなってくるんですよ。
ましてや、パーソナリティーともなると、月~金の毎朝だから大変です!
まぁそれで照美さんも疲れた顔をしていたんだと思いますが・・・
「まぁ1日は長いけど、僕はふだん絵を描いているから・・・」と照美さん。
そうなんです。
吉田照美さんは、画家・八代亜紀さんのお弟子さんでもあり、
文化放送の1階のエレベーター前には、
『宙船』というタイトルの40号くらいの大きさの油彩画が飾ってあるんです。
つまり、ラジオのパーソナリティーとして一時代を築いた吉田照美さんの
目下の楽しみ、心のよりどころは、絵を描くことなのです。
さて、番組のタイトル風にいうと、そこが大事なとこ!
人間、仕事、仕事である程度歳を重ねて来たら、
老後のためを思い、仕事以外の何か他のモノに打ち込んだり、
心の逃げ場となるような、よりどころを作ることが大事、
ソコダイジナトコなのです!
11日に亡くなったホイットニー・ヒューストンは、酒やドラッグに溺れ、
そんな危険で空しいものが心の逃げ場、よりどころだったのかもしれません。
悲しいよね。
だって、絵は残るけど、飲酒やドラッグの取り過ぎは毒を残すだけじゃないですか!
ホイットニーの歌声の中でも最高の名唱は、
1991年のスーパーボウルでのアメリカ国歌だといわれ、
これはレコードにもなったけれど、
僕はいつも元気になりたい時に、you tubeでこのシーンを見ていました。
本当に元気が出るんです!
折しもこの1991年という年は、湾岸戦争の時で、
アメリカ国民の愛国心と使命感がものすごく高揚していた時でした。
そんな中で聴くホイットニーの国歌斉唱は、
歌の高低の出し方から歌唱力まで、それはそれは見事なものでした。
僕も、最初にスーパーボウルの中継で聴いた時は、文字通り鳥肌が立って、
「ああ、僕今日ほどアメリカ人に生まれててよかったと思ったことはなかったなぁ」と
(僕は日本人ですよ!)冗談めかして感想を言ったものです(笑)
あの全盛期のホイットニーの歌声をもう一度生で聴きたいもんです。
が、それももう無理ですけど・・・
そんなホイットニーの誕生日は、1963年8月9日。
この8月9日ってヤク(クスリい)の日じゃないよね?!不気味!
まぁ今年は、龍高星が回り、東方に害が出ている年だっただけに、
突発的な事故、病気が、あったともいえます。
謹んで“世紀のデューバ”ホイットニー・ヒューストンのご冥福をお祈りします。
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前の座席にタレントの吉田照美さんが疲れた所在なげな(?)顔をして乗っていました。
大井町線の中で、照美さんと会うのはほぼ1年ぶりくらいじゃなかったか?!
吉田照美さんは、毎週月曜から金曜までの朝6時30分から8時30分まで、
文化放送で『吉田照美のソコダイジナトコ』というラジオ番組を担当しています。
それで、番組終了後は、文化放送のある浜松町から京浜東北線で浜松町まで行き、
大井町から大井町線を使って自宅までいったん戻るのだと思います。
目ざとく照美さんを見つけた僕は、
「おつかれさま!」と声をかけて、照美さんの隣に座りました。
あのラジオではやかましいくらいによくしゃべる照美さんですが、
ふだんの顔は、すごくシャイで、大人しい(?)人なのです。
うん、こういうタイプの人ってけっこういます。
しゃべり手の中で、普段も放送でも変わらなのはみのさんくらいかな(笑)
「早朝の番組、大変ですね」
「まぁね」
「1日が長いですもんね」
僕も以前今の照美さんが担当している番組と、
同じ時間帯の別の番組を構成したことがあり、
その当時は、僕の担当の曜日の時は、
早朝5時には局に行っていたのを思い出します。
いやぁ、今ぐらいになると、
これがもうたまらなく眠くなってくるんですよ。
ましてや、パーソナリティーともなると、月~金の毎朝だから大変です!
まぁそれで照美さんも疲れた顔をしていたんだと思いますが・・・
「まぁ1日は長いけど、僕はふだん絵を描いているから・・・」と照美さん。
そうなんです。
吉田照美さんは、画家・八代亜紀さんのお弟子さんでもあり、
文化放送の1階のエレベーター前には、
『宙船』というタイトルの40号くらいの大きさの油彩画が飾ってあるんです。
つまり、ラジオのパーソナリティーとして一時代を築いた吉田照美さんの
目下の楽しみ、心のよりどころは、絵を描くことなのです。
さて、番組のタイトル風にいうと、そこが大事なとこ!
人間、仕事、仕事である程度歳を重ねて来たら、
老後のためを思い、仕事以外の何か他のモノに打ち込んだり、
心の逃げ場となるような、よりどころを作ることが大事、
ソコダイジナトコなのです!
11日に亡くなったホイットニー・ヒューストンは、酒やドラッグに溺れ、
そんな危険で空しいものが心の逃げ場、よりどころだったのかもしれません。
悲しいよね。
だって、絵は残るけど、飲酒やドラッグの取り過ぎは毒を残すだけじゃないですか!
ホイットニーの歌声の中でも最高の名唱は、
1991年のスーパーボウルでのアメリカ国歌だといわれ、
これはレコードにもなったけれど、
僕はいつも元気になりたい時に、you tubeでこのシーンを見ていました。
本当に元気が出るんです!
折しもこの1991年という年は、湾岸戦争の時で、
アメリカ国民の愛国心と使命感がものすごく高揚していた時でした。
そんな中で聴くホイットニーの国歌斉唱は、
歌の高低の出し方から歌唱力まで、それはそれは見事なものでした。
僕も、最初にスーパーボウルの中継で聴いた時は、文字通り鳥肌が立って、
「ああ、僕今日ほどアメリカ人に生まれててよかったと思ったことはなかったなぁ」と
(僕は日本人ですよ!)冗談めかして感想を言ったものです(笑)
あの全盛期のホイットニーの歌声をもう一度生で聴きたいもんです。
が、それももう無理ですけど・・・
そんなホイットニーの誕生日は、1963年8月9日。
この8月9日ってヤク(クスリい)の日じゃないよね?!不気味!
まぁ今年は、龍高星が回り、東方に害が出ている年だっただけに、
突発的な事故、病気が、あったともいえます。
謹んで“世紀のデューバ”ホイットニー・ヒューストンのご冥福をお祈りします。
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