中島恵美講師「常総市大水害を体験談 大水害から見えてきたこと」の講演を聞くために、白銀小学校へ。
市民防災俱楽部の仲間で出席しました。
2015年9月10日 中島恵美さんのご実家は3代続く常総市内の酒屋さん。
川から700メートルの位置に実家があり、 国道294号線沿い ミサカ地区
朝7時足のすねまで水。
7時30分腰
8時胸 120センチ2階へ避難。
10時150センチ 水は下から上がって来る。
3日間断水停電したが、支援物資もなく、 支援物資を取りに行けない。 友人知人からの食料が届いた。
10日の夜は 胸まで水につかりながら仏壇上のろうそくを取りに行く。
その被災した 夜中に早くも不審者が集落をうろつく。
翌日、自衛隊、警察ニセモノが来たり、避難所に寝泊まりしていた泥棒もいた。
警察、自衛隊、消防がパトロール していたが、次から次に不審者。「だめだ、この辺は住民がいるよ」と言いながら去る輩も。
古物商、報道関係者の中にも不審者。
カセットコンロ生活。
ポランティア受け入れ心配だったが、 泥かき、消毒、床板はがしなど、中島さんの家だけで
2ヶ月間に460名ポランティアさんに手伝ってもらった。
疲労がたまらないようにボランティアさんと高齢の両親の作業時間割を作り、やって頂く内容をわかりやすく伝えた。
ボランティアが大学の単位になるとかで、写真だけ撮って帰る人も・・
400名 高校3年生アンケートをとり被害者の会の冊子をつくり後世へ伝える。
新しい住民 地名が分からない 日本語が分からない外人もいるので、避難緊急時は防災無線よりサイレンが重要。
市職員の残業代 1ヶ月100万円。
大規模半壊の家に対しての支援金150万円で6畳間1間やっとなおせた。
鬼怒川の東側 大被害、支援物資届かず。
鬼怒川西側の避難所に物資が集積・・被害なし。支援物資余る。
3ヶ月で店を再開させたとはいえ、その中身は壮絶な体験だったことが分かりました。
被災した方だからこその体験を伺い、とても勉強になりました。
常総市は、首都圏から日帰りできるところに位置するので、不審者がやって来るのが早く、数も多かったのではないかと。
共助のためにも不審者に対応するためにも、やはり普段から地域のつながりをしっかりとして
近助力をアップすることの大切さと
災害時の行政の采配が住民の命に直結する事を改めて痛感しました。
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今回、浸水した取手市はじめ様々な地域
でも、これからが大変だと思いますし、被災した方の立場に立っての支援についての教訓とさせて頂いております。