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平成27年に市民団体が申請していた臼井田宿内砦跡(宿内公園)が、令和4年8月18日付けで正式に「臼井田宿内砦跡」が佐倉市指定(史跡)文化財に指定され、先日、その報告会が開催されました。




市民団体はじめ地域の皆さんが地道な活動を続けて来られた成果だと思います。

広報さくら
2022年9月15日号(1389号)
■臼井田宿内砦跡の歴史
臼井田宿内砦跡は、戦国時代末期に千葉氏と並ぶ勢力を誇った原氏の本城である臼井城の支城として築かれたものです。
臼井城は戦国時代、2度の合戦が繰り広げられ、時代とともに改修が進み大規模な城になりました。この過程で、臼井田宿内砦跡をはじめとする臼井城を取り巻く支城群が形成されました。砦跡の発掘調査では、陶磁器などの生活用品があまり見つからなかったことなどから、非常時に籠るための軍事的性格の強い砦であったことがうかがわれます。

■市の文化財に指定
宅地化が進んだ現在、臼井城の支城として臼井田宿内砦跡のみが唯一残る遺跡であることから、佐倉市指定文化財にふさわしい価値をもつと評価されました。砦跡は土塁などが良好に残り、台地は緑に包まれ、宿内公園として地域で親しまれています。


指定まで
臼井城の支城として、
洲崎、仲台、田久里、稲荷台、臼井田宿内砦跡の5箇所があり、現在唯一現存している宿内砦跡の史跡指定申請が、平成27年、地元の市民団体から出されたのを受け、市が発掘調査をしました。

空堀跡、土塁が目視で確認出来る臼井田宿内砦跡は、中近世の城館跡です。

印旛沼は、現在よりも広大であったので、この宿内砦跡のごく近くまで香取海が広がっていたので、7000年前の縄文時代、2000年前の弥生時代、古墳時代、中世と時代を越えて人々が生活していました。

発掘調査している地層には、2万年前に噴火した富士山の火山灰が2メートルも堆積していたり、九州からの火山灰も堆積しています。土器や古銭なども出土したりと、ワクワクする歴史が詰まっています。

この宿内砦跡の発掘調査は、初めてで、目的である遺構の調査を終えると埋めもどしましたので、発掘調査中にたくさんの方がみえました。








調査したところ宿内公園には、ユズリハが121本あることも分かりました。

また、昨年2021年12月
7人のサムライがペンキ片手に皆んなへの
クリスマス2021プレゼント🎁

「湖の見える タンポポの丘の 桜の木の下で」

バンプオブチキンゆかりの地・
佐倉市臼井の宿内公園はBUMPのたんぽぽ丘
とも呼ばれています。

地域の有志で作った看板が色あせたので
ペンキでリニューアルしてくれました。

一つ一つのことが地元の有志の方々が
地道に継続してくださった活動の成果として
実ったものです。











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