ネットで、学校の図書室が学校生活に馴染めない子どもの駆け込み寺になるという話題を拝見。思わず(そうだよ!)と共鳴した。
実は私も小学校時代は図書室に入り浸っていた。休み時間になると級友たちが遊ぶのをしり目に図書室に一目散。本に齧りついた。
気が弱く劣等感の塊りだった小学校時代、友達なんて出来る筈がない。運動神経もなく体育の実技では笑いの標的にされていた。まわりでわいわい遊び興じている教室で孤独な存在。そりゃあ悲しく嫌だった。
図書室に行くと気持ちは晴れた。興味を持って読める本がいっぱいの図書室。次々に読む本の世界が面白くて堪らない。そこに嘲笑もからかいもなく、自分らしさを保てた。
あの図書室がなかったら、大げさではなく私の今はなかったのは間違いない。
駆け込み寺になる図書室も駆け込む児童も、批判する声もあるようだが、当の本人の切実な心情を推し量れないからだろう。
実は私も小学校時代は図書室に入り浸っていた。休み時間になると級友たちが遊ぶのをしり目に図書室に一目散。本に齧りついた。
気が弱く劣等感の塊りだった小学校時代、友達なんて出来る筈がない。運動神経もなく体育の実技では笑いの標的にされていた。まわりでわいわい遊び興じている教室で孤独な存在。そりゃあ悲しく嫌だった。
図書室に行くと気持ちは晴れた。興味を持って読める本がいっぱいの図書室。次々に読む本の世界が面白くて堪らない。そこに嘲笑もからかいもなく、自分らしさを保てた。
あの図書室がなかったら、大げさではなく私の今はなかったのは間違いない。
駆け込み寺になる図書室も駆け込む児童も、批判する声もあるようだが、当の本人の切実な心情を推し量れないからだろう。