こころの文庫(つねじいさんのエッ!日記)

家族を愛してやまぬ平凡な「おじいちゃん」が味わう日々の幸せライフを綴ってみました。

深夜、母とともに

2015年10月12日 02時28分59秒 | Weblog
題名 深夜、母とともに
夜十二時前、病院に着く。母危篤の連絡に慌てて車を飛ばしたが、結局一時間三十分近くかかった。閑散とした病院の駐車場に乗り入れる。携帯電話で守衛室に連絡を取った。
「表に回って下さい。ドア開けますわ」
 何とものんびりした対応。苛立ちが募る。
 ひっそりした病室。ベッドに母は眠っていた。昨日までの荒い息遣いはもうない。
「ご臨終は十一時四十二分。先生は応急の処置をされましたが、延命は無理でした」
「いえ、ありがとうございました」
 母の遺体を前に、看護師との受け答えは淡々と進む。不思議に悲しみは湧かない。この日が近いと心の準備をしていた。それに前日、母の状態に覚悟を決めている。
 母と二人きりの時間。入院してチューブで生き長らえる状態になってからは、1日おきでベッドのそばに付き添った。カクシャクとしていたころは、滅多に二人で向き合う機会はなかった。母の傍に居たのは兄と父で、私は自由気ままに外で独身生活を謳歌した。いま後悔が募る。元気な母に話を聞き、話を聞いて貰えばよかった。今更ながら切実に思う。
 極端な『お母ちゃん子』だった。末っ子だから、母に甘やかされた。兄が四十半ばで事故にあい亡くなると、母の愛情は俄然残った私一人に向く。何かにつけ息子の世話を焼いた。それを煩わしく思い、家に戻ることを極力避けた、まさに親の心子知らずだ。いくら後悔しても、もう母は決して戻らない。
 何も語らぬ母と水入らず。静まり返った深夜の時間。無性に悲しみが襲う。気張っていた大人の虚勢が時間と共に緩んだのだ。母が惜しげもなく愛を注いだ子供に戻る。(お母ちゃん…!)目を閉じると、若く美しい母の姿が想い浮かぶ。私の人生の岐路に、必ずいてくれた気丈な母。その頃の姿ばかり。
「ええか、よう覚えときや。お母ちゃんに似て内弁慶のお前が社会に出たら、しんどい目に合うのは分かりきっとる。そやけど固い殻ん中に閉じこもるんやないで。喋れんで構わん。その分、仕事を、人を好きになったらええ。言葉なんかのうても、相手を好きになったら向こうかて好きになってくれる」
 母にこんこんと諭されたのは、不祥事を起こし高校を退学せざるを得なくなった日。仕事に忙しい父は子供の問題は母に任せっきりである。母が口にした通り、私の性格は母と瓜ふたつ。人との付き合いが不得手だから、いつも一人で何かをコツコツやっていた母を見て育った。似たのは自然の摂理だろう。
「そら一人で楽しめるんが一番やけど、お前は男やろ。社会に出なあかん。女のお母ちゃんと違う。そやから、仕事も周りの人も、何でもええとこ見つけて好きになるんや。好きなもんは誰でも頑張れる。努力したら成果が出よる。それで周りは認めてくれる。好きこそモノの上手なれ、昔の人はええこと言うわ」
 箱入り娘に育ち、父を養子に迎えた母。たぶん我がまま放題に生きて来たのは確か。その母が、挫折から立ち直れずにいる息子を放っておけなくて口にした、女に学問は必要ないとされた時代を生きぬいた母が発した言葉である。無視できるわけがない。一念発起違う高校に進んだ。
「どない?学校は」
 母はわざわざ部屋を覗く。息子の鬱屈した気分を敏感に気付いたのだ。
「まあまあ、やってる」「なんか好きなもん見つけたか?」「え?」
 いきなりの問いかけに驚き、母の顔を見直した。素朴な笑顔が、そこにあった。
「好きな教科は?」「うーん…国語…かな」
 小さい頃から本の虫。自分の世界に閉じこもれたからだ。だから国語は苦手じゃない。
「へー、すごいすごい。好きなんあるやんか。よし、国語を頑張って勉強しい。好きなんやから、ええ点取れるよう頑張り。あとのんは、程ほどでええやんか。好きこそ物の上手なれ…忘れてないやろ」「…ああ」
 母の言葉に従い、テスト勉強は国語を中心に進めた。すると妙に勉強が楽しい。国語の勉強はどんどん捗った。母が言った通り好きになった効用は具体的にあらわれた。。
 学期末試験で国語の成績はクラスのトップ。味わったことのない嬉しさがあった。その影響で次々と好きな教科ができる。英語、数学…。好きな先生、同級生仲間も派生した。
「よかったな。お母ちゃんの言うた通りになったやんか。好きこそモノの上手なれや!」
 喜び過ぎてクシャクシャになった母の顔。自分の口癖を現実に変えた息子の成果が嬉しいのだ。母の笑顔は輝いていた。あの日…。
 ベッドの上から覗き込んだ。魂を失って横たわる母の顔は真っ白。大柄だった体がすっかり縮んでいる。母の顔に触れんばかりに屈み、シワシワの手を握った。さする、何度も何度も。不肖の息子に惜しみなく愛をくれた母を想い、子どもに戻り優しくさすり続けた。
コメント
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