こころの文庫(つねじいさんのエッ!日記)

家族を愛してやまぬ平凡な「おじいちゃん」が味わう日々の幸せライフを綴ってみました。

職人だったがんこ親父

2022年04月06日 10時46分02秒 | 日記
きのうは上天気。
というわけで、
丸一日畑にいた。
ミニ耕運機をフル回転、
9区画のうち3区画の畝立て完了。
機械を駆使するだけだが、
膝や足にかなりの負担があるようだ。
しかし、これで夏野菜などの植え付けができる。
しばし菜の花の黄色い世界に浸り癒された。
畑の一角にある3年目のアスパラが、
にょきにょきとばかりに顔を出している。
これは嬉しい限り。
春は、思いもかけない芽生えと遭遇できる。
地表では茎も何もかも枯れ果てているのに、
地下では虎視眈々と畑デビューを狙っている、
無数の生命が育まれている。
そうそう、作りかけの作業小屋の屋根部分に手を付けた。
まだ数枚の板を這わせただけだが、
まずは順調に進んでいる。
しかし脚立に乗っかっての作業は、
今もまだコワイ。
高いところは大の苦手。
だから調理師になったのだ。
実は亡き父、ブリキ職人。
自分で仕事を請け負い造作する一人親方だった。
兄がやはり職人で父の片腕を担っていたが、
不慮の事故で早世。
それからは私に声がかかり始めた。
同じ職人でも、
私は地に足をつけてできる仕事の調理師。
ブリキ屋の仕事といえば、かなり屋根の上の作業が多い。
長尺のはしごをかけて危なっかしい仕事もやる。
とてもじゃないが私には向かない仕事ばかり。
はしごや脚立の上でブルう足腰を必死に堪えたものだ。
父の仕事のサポートだからやるしかなかったが、
他人から頼まれたとしたら即座に断っていただろう。
大体何かにつけ不器用な私。
しょっちゅう父に怒鳴られていた。
屋根の取り合い部の仕事は、とにかく危険な場面が多い。
気を抜けば、どうなることやって世界なのだ。
「気ィ―抜くな!死ぬどー!」
怒鳴る父のマジ顔を忘れたことはない。
不器用な子供を持った職人の父も大変だったんだろうと、今はよくわかる。。

そんな感慨に囚われながら、
きのうの屋根張り作業だった。(苦笑)
コメント
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