朝から村の薬師世話役を務めました。
月一回のお役目です。
台風の後で、
お参りの参道は、
荒れに荒れています。
いつも以上に時間をかけての作業となりました。
帰宅してもしばらくは何もしたくない状態。
しかたない。
月曜日の新聞にエッセー佳作で名前が出ていた原稿でカバーします。
締め切りに追われてぎりぎりに仕上げたもの。
佳作では作品掲載もないので、
ここにアップしておきます。
「抜かないで、治療お願いできますか?」
及び腰は否めないが、勇気を振り絞って頼んでしまった。
「まあ、土台はしっかりしているし、神経は取ってあるから、心配はいらんかな」
歯医者さんは、さほど気にしていない。
「ひどく悪化したら抜くことになりますが」
承知している。我慢できないほど痛み出したら、抜くのは致し方ない。しかし、いまは痛んでいない。あえて抜く必要はないのだ。すぐに抜きたがる歯医者さんは御免こうむる。
「ええ年やさかい、ぎりぎりまで歯は抜きとうないんです」
「どうしようもない状態になったら、抜くことになりますよ」
「覚悟してます。いまは痛みがないんで」
抜かれてたまるかと心に期するものがある。
「年を取ったら、抜くのが余計大変になりますよ。若い間に処置しといた方が」
それでも抜く気にならない。難しくなる年齢まで生きる確証はないのだ。同い年である知人の訃報が昨年から立て続けに届いている。次は自分の訃報であっても想定内なのだ。だから歯を抜いても、無駄に終わることになりかねない。そう結論付けての抜歯回避である。
先月まで通っていた歯医者さん、送迎までしてくれるサービスが気に入っていた、それが、月1回のケアを受けると、歯医者さんがさらーっといった。
「被せてる歯が割れてます。抜くしかないかな。それに左奥下の歯、抜いておいた方がいいな。今日時間ありますか?抜きますよ」
流暢な言葉に、いつもなら「はい」と従っうのに「いえ、ちょっと用事が控えてるんで」とっさに断ってしまった。
「じゃあ次回ということで、予約をいれときますよ」「はあ、お願いします」と頷く。
考えてみれば、その時すでに歯医者さんをチェンジするべく、気持ちは固まっていた。
二週間前に一本抜かれた。ずきずき感を一掃するまでに至っていない。これまでに三本抜かれた被害者感情めいたものは、強く残ったままだ。
「歯医者替えるわ」「なんで?送迎してくれるって重宝がってたやないの」「もう抜かれるん、かなわん」「よう抜きはる歯医者さんやて有名やもんなあ」「もう決めた」相槌を打つ妻。
予約を断った歯医者さん。あれ以来、何度も診療の案内葉書が届いた。余程私の歯を抜きたいのだろう。
そしてかなり流行っている歯医者さんを、外に出ている娘が紹介してくれた。
取れた差し歯の復元が始まった。どのくらい不自由さを改善できるかは、神のみぞ知るである。抜歯を避けたい意思を伝えてから生まれた安心感が、救いになっていた。
8020の資格はとっくにないが、残る歯は抜かずにおかなきゃ。次に歯を抜かざるを得なくなった時は、もう迷わない。歯の悩みをあの世に持っていこうと考えている。
若い頃、行きつけの歯医者さん、
抜歯は国立病院に紹介の形でした。
歯を抜くのも大ごとなのに、国立病院!まさかでした。
70年生きて国立病院のお世話になったのは、これ1回切り。
田舎者には「国立」は想像を絶するネームバリューだったんですよ。(苦笑)
月一回のお役目です。
台風の後で、
お参りの参道は、
荒れに荒れています。
いつも以上に時間をかけての作業となりました。
帰宅してもしばらくは何もしたくない状態。
しかたない。
月曜日の新聞にエッセー佳作で名前が出ていた原稿でカバーします。
締め切りに追われてぎりぎりに仕上げたもの。
佳作では作品掲載もないので、
ここにアップしておきます。
「抜かないで、治療お願いできますか?」
及び腰は否めないが、勇気を振り絞って頼んでしまった。
「まあ、土台はしっかりしているし、神経は取ってあるから、心配はいらんかな」
歯医者さんは、さほど気にしていない。
「ひどく悪化したら抜くことになりますが」
承知している。我慢できないほど痛み出したら、抜くのは致し方ない。しかし、いまは痛んでいない。あえて抜く必要はないのだ。すぐに抜きたがる歯医者さんは御免こうむる。
「ええ年やさかい、ぎりぎりまで歯は抜きとうないんです」
「どうしようもない状態になったら、抜くことになりますよ」
「覚悟してます。いまは痛みがないんで」
抜かれてたまるかと心に期するものがある。
「年を取ったら、抜くのが余計大変になりますよ。若い間に処置しといた方が」
それでも抜く気にならない。難しくなる年齢まで生きる確証はないのだ。同い年である知人の訃報が昨年から立て続けに届いている。次は自分の訃報であっても想定内なのだ。だから歯を抜いても、無駄に終わることになりかねない。そう結論付けての抜歯回避である。
先月まで通っていた歯医者さん、送迎までしてくれるサービスが気に入っていた、それが、月1回のケアを受けると、歯医者さんがさらーっといった。
「被せてる歯が割れてます。抜くしかないかな。それに左奥下の歯、抜いておいた方がいいな。今日時間ありますか?抜きますよ」
流暢な言葉に、いつもなら「はい」と従っうのに「いえ、ちょっと用事が控えてるんで」とっさに断ってしまった。
「じゃあ次回ということで、予約をいれときますよ」「はあ、お願いします」と頷く。
考えてみれば、その時すでに歯医者さんをチェンジするべく、気持ちは固まっていた。
二週間前に一本抜かれた。ずきずき感を一掃するまでに至っていない。これまでに三本抜かれた被害者感情めいたものは、強く残ったままだ。
「歯医者替えるわ」「なんで?送迎してくれるって重宝がってたやないの」「もう抜かれるん、かなわん」「よう抜きはる歯医者さんやて有名やもんなあ」「もう決めた」相槌を打つ妻。
予約を断った歯医者さん。あれ以来、何度も診療の案内葉書が届いた。余程私の歯を抜きたいのだろう。
そしてかなり流行っている歯医者さんを、外に出ている娘が紹介してくれた。
取れた差し歯の復元が始まった。どのくらい不自由さを改善できるかは、神のみぞ知るである。抜歯を避けたい意思を伝えてから生まれた安心感が、救いになっていた。
8020の資格はとっくにないが、残る歯は抜かずにおかなきゃ。次に歯を抜かざるを得なくなった時は、もう迷わない。歯の悩みをあの世に持っていこうと考えている。
若い頃、行きつけの歯医者さん、
抜歯は国立病院に紹介の形でした。
歯を抜くのも大ごとなのに、国立病院!まさかでした。
70年生きて国立病院のお世話になったのは、これ1回切り。
田舎者には「国立」は想像を絶するネームバリューだったんですよ。(苦笑)