こころの文庫(つねじいさんのエッ!日記)

家族を愛してやまぬ平凡な「おじいちゃん」が味わう日々の幸せライフを綴ってみました。

巣立った4人の子らがくれた日々⑥

2022年09月09日 02時55分34秒 | 日記
きのうは草刈りの続き。
終わった後は、雑草を集めて積み上げた。
雑草は有機栽培に活用する予定。
畑に数か所の山が積みあがった。
作業中、源ちゃんが時々ちょっかいを出す。
畑ドッグランを走り回っていても、
いつの間にか傍にいる。
相手をしない訳にもいかないが、
顔を見せるたびにやっていては時間が無くなる。
(許せ!源ちゃん)である。

きょうの、巣立った子供の思い出話は、
末娘の幼稚園時代、
父親参観のひとコマが忘れられない。
感動話ではない。恥かき話である。
「おとうさんにお子さんの自慢話をして貰います。
お名前を呼びますので順番に起立でお願いします」
幼稚園の先生の指名で、
次々と各お父さんの子供自慢が始まった。
ところで、私の場合、最も苦手とする人前での話し。
今では誰とも話せるし、
時には冗談を交えることもできるようになったが、
小さい頃は極度の人見知り。
人前に出ると、金縛り(緊張しすぎ)にあうと同時に、
言葉が出なくなり、真っ赤になって俯いてしまうぐらい酷かった。
それを修正してくれたのが演劇だった。(出会いに感謝している)
とはいえスムーズに喋れるのは舞台の上。
脚本のセリフだと、人見知りの範疇に入らなかった。
プライベートになると、
やはりモジモジ「ウ、ウ、ウ、ウッ」
芝居も40年近く続けていると、そんなことはなくなったが。

さて幼稚園の行事に戻ると、
次々指名が進み、父親の子褒めが飛び交った。
実は私め、自分の番が来た時のために、
言いたいことをまとめてブツブツ予習(?)していたのだ。
ところがいつまでも指名されない。(こりゃどないなっとるんや?)気が気でない。
とうとう呼ばれなかった。先生も間違うのだ。
しかし、私はそれでも名乗り出ず、ジーッと我慢の子を決め込んでいた。
恥ずかしい話、これが人見知りの名残りだった。
横にいる娘が必死に訴えかけるが、実に控え目。(父に似たのか、或いは諦めか)
結局、娘の友達が「先生、Sちゃんとこまだやん」で解決となった。

こんな不器用な父親に育てられた子供たちを、今は不憫に思っている父親なのだ。(ごめんな)
コメント
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