難聴者の生活

難聴者の日々の生活から、人工内耳など難聴者のコミュニケーション、聴覚障害者の制度改革について語る。

難聴者の自立支援に心理学の必要な理由

2009年07月20日 00時03分36秒 | エンパワメント
090719-110802.jpgYさん、

難聴者は「難聴であること」を周囲の人にどのように説明するか困っていると申し上げましたが、実は他ならぬ自分が一番必要としているのではないかと気が付きました。

つまり、聞こえない自分をどう説明するかということは、聞こえている世界にいる自分はどういう存在なのか,どのように認識するかということであり、これはアイデンティティの問題です。

難聴者のアイデンティティの問題というのは、自分は難聴者であるという認識をもつことではなく、聴覚生理や障害は機能障害を持つ人と社会の理解と「障壁との相互作用」(障害者権利条約)であることなどを理解し、その上で自分が自分である、ユニークな(唯一無二の)自分であるということを理解することです。
これが自立の始まりです。難聴者の自立支援とは自分をどう見るのかを一緒に考えると言うことです。

一緒に考えるということは、同じ難聴者たちと手話を学んだり一緒に趣味を楽しんだりと、いろいろな形がありますが、同じ難聴者と触れあうことはもう一人の自分を見ることにつながります。つまり、アイデンティティの確立に大きな機会になっていると思うのです。

難聴者の自立支援の活動をしている人、特に難聴者自身の方はピアメンターと言いますが、心理学の学習が必要です。
これは心理臨床という分野で、先ほどの人間の成長過程におけるアイデンティティの問題や心理学的対人援助の方法をきちんと学ぶということです。日常的な活動の中で身につけている部分があるかも知れませんが、いろいろな難聴者を支援する立場にある人は接している難聴者に対して責任があると思うのです。

難聴者自立支援者研修プログラムのようなものが必要ですね。

まとまりがないですが、行政に難聴者の自立支援施策を実施してもらうために考えてみました。


ラビット 記
都心にもニューヨークのマンハッタンのセントラルパークのような公園がある。それほど広くはないが、それでも日比谷公園よりは広い代々木公園。




難聴女性が一人で生きること

2009年07月05日 15時41分30秒 | エンパワメント
090704-114708餃子.jpgNさん、こんにちは。昨日はお疲れさまでした。
懇親会ではカクテルをありがとうございました。今日が通信教育のスクーリングのため昨夜失礼しました。

少し感想を。難聴女性は来賓の挨拶にもありましたように二重の差別を受けています。このことが就労にもコミュニケーションにも大きな影を落としていますね。実は発表者お二人の報告もこの問題が背景にあるように感じていました。

「自立や情報保障を求める考えの基礎は人権です」といったので座が静かになりましたが、日頃から人権や差別について話し合って人権感覚を研ぎ澄ませないといけないです。そのためにも協会の役員には普段からの学習が必要です。

記念講演は聞けなくて残念ですが、彼女のようなフリーランスの仕事をする難聴者にもコミュニケーション支援が必要です。それは福祉施策としてではなく就労支援施策としてです。或る県の難聴の女性がデザインの教室の個人講師をしていますが、二人のような仕事をする難聴者がもっと現れて欲しいですね。

遠方のところお疲れさまでした。またよろしくお願いします。


ラビット 記




難聴者、中途失聴者手話講習会の行方

2009年06月19日 13時25分51秒 | エンパワメント
090612-085149.jpg行政の広報を見て中途失聴・難聴者向け手話講習会に申し込んでくる難聴者、中途失聴者は、難聴者協会の会員はまずいない。
皆、自分以外の難聴者に初めて出会う難聴者ばかりで、多かれ少なかれ、いろいろな悩みを抱えている人ばかりだ。

難聴者、中途失聴者対象の手話講習会はこうした人々が同じ難聴者等と手話を学び合う中で、抱えている問題を解決していく。
それが、自立する力を身につけるということだ。

この時、難聴者、中途失聴者の新たなコミュニケーション手段としていく手話を獲得する講習会であるが、さらに新しい役割を求められているように思う。
目の前にいる受講生は様々な問題を抱えているだろう人々だ。
福祉、就労、精神保健、教育などついて、様々な専門的支援を受ける権利を持った人々だ。ただそうした権利を有することも知らない。

難聴者向け自立手話講習会の二つの機能を考えてみた。
一つは、新たなコミュニケーション手段を身につける機能。
これは、初めて会う自分以外の難聴者が講師や助手、受講生なので、自分の悩みや問題を受け止めてもらえる人々という信頼関係の構築から始まる。

コミュニケーションは相互に通じ合うことが基本だ。筆談でもホワイトボードのコミュニケーションでも、簡単な手話表現でも通じ合うことを体験する中で閉じていた心を開いてもらい、通じる喜びを共有する。
これは、手話や読話の学習意欲にも他のコミュニケーション支援の利用の促進にもつながるだろう。

二つ目は他の専門的支援とつながる機能。
受講しながら、自分の抱えている問題を整理し、ニーズを解決する専門的支援機関のあること、そうした専門サービスを利用するために要約筆記や相談支援員がいることを学ぶ。
手話を学ぶ講習会の時間外にこうした問題に対応するのではなく、講習会の中に組み込んでいくのだ。

こうしたものを探求するには、難聴者向け手話講習会に関わった講師、スタッフ、聴覚障害者に関わる精神保健福祉士、社会福祉士などの協力が欠かせない。

何でこういうことを繰り返して言うのかというと、難聴者等支援事業を障害者自立支援法の機能訓練の制度に乗せるために、事業の位置づけ、学習目標、カリキュラムを新たに考えなくてはならないからだ。
関心のある人は連絡乞う。


ラビット 記




今後の難聴者支援と要約筆記のあり方

2009年06月10日 15時30分30秒 | エンパワメント
090608-164400ピンクトラオムラント.jpg難聴者は聞こえない、話されている言葉が分からない、書いて欲しい、書いて伝える人、要約筆記が必要という理解はこれでいいのか?

難聴者は普通に社会の中で生活している。難聴者は、多くのニーズと様々な課題を持っている。
これを解決するには、要約筆記さえあれば良いとは言えない。

要約筆記は派遣事業が制度化されてから25年以上の歴史を持つが生活の中で要約筆記が身近に利用されているとは言えない。特に、まだ個人利用が多いとは言えない。
これは、要約筆記自体の社会的認知の遅れ、市町村で派遣制度が身近になかったということも技術が実用レベルになかったということもあるだろう。しかし、難聴者の意識もあるのではないか。

優れた要約筆記者がいれば自分はどの生活の場面でも社会のどんな分野にも対応出来る自信を持って、「使い倒す」人は少ない。
難聴者がやはり、難聴者が要約筆記を使うようになるには、それだけの理解と自覚が必要だ。とどのつまりはそうした意識に達していないということではないか。
聞きにくいのもあるが、難聴者は聞こえなくなると難聴者になるのではない。難聴という機能障害を持った人が、いろいろなことを経験したり学んで難聴者になる。

難聴者は、いろいろな支援を必要とする。情報バリアフリーの環境、相手とのコミュニケーションの取り方、補聴器機の使い方、福祉制度、セルフ・エスティームなどについて学ぶ中で、自立する力を身につける。

難聴者と関わる社会資源の人々、介護福祉士、ケアマネージャー、民生委員、保健師、学校教員、PTA役員、スーパーやデパート、電気店の店員などに難聴と難聴者の問題を理解してもらい、耳鼻科医、行政、情報提供施設、難聴者協会、補聴器専門店など専門機関につなげる役割を持つ人々が必要ではないか。

全国要約筆記問題研究会のホームページに、「報告書「要約筆記奉仕員の今後のあり方について」」が発表されている。
http://www.normanet.ne.jp/~zenyoken/katudo/reportarikata.pdf
http://www.normanet.ne.jp/~zenyoken/katudo/reportarikata2.pdf


ラビット 記




当事者研究の重要性 「難聴者」も必要

2009年04月25日 15時49分49秒 | エンパワメント
090419-170253野路菊.jpg本日開催されている「えにし」の会の情報に、
◇動く画像でアスペルガーのことがよく分かる
綾屋紗月さん&熊谷晋一郎さんのパワーポイント
が紹介されていた。

二人のことを紹介している記事(pdfファイル)
http://www.yuki-enishi.com/enishi/enishi-2009-1-5.pdf
二人の書いた本の紹介と書評
http://www.igaku-shoin.co.jp/bookDetail.do?book=62827
アスペルガー障害を当事者が説明した資料(パワーポイント資料)
http://www.yuki-enishi.com/enishi/enishi-2009-1-8.ppt

パワーポイントの資料の中に、「近年、教育現場や精神科、司法の領域などで、『扱いにくい生徒、患者、加害者の中に、発達障害を見逃されてきた軽症例がいるのではないか』という問題意識が高まっており、専門家に早期発見を求める社会的な要請が強くなってきた。」ことに対し、それは「本人の内面で起きている現象というよりも、外から判断しうる、みかけの特徴に拠っていることがわかる」として、当事者の立場から何が起きているのか説明することが示されていた。

これは、難聴者にとっても聞こえていない、聞こえないという表面だけでは分からない、内面でどのような情報処理をしているのか、どのような判断をしているのか、どのような心理を持っているのか当事者から説明することが重要と考えているので、非常に共感を覚えた。


ラビット 記
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大熊由紀子さんのえにしメールより

◆「えにし」の会での最新情報をアップしました。
えにしのホームページ担当、池上英隆さんが、
徹夜で,あすの「えにし」の会の配布資料やパワボ資料を
バージョンアップしてくださいました。
すでにアップしてあった
◇慶応義塾大学の権丈善一さんの
「小さすぎる政府の医療政策と日本の医療保険~
足りないのはアイデアではなく財源である~」
にくわえ、
◇立教大教授の高橋紘士さんの
「なぜ日本は小さな政府になったか~若干の歴史的回顧」
◇すべて真実を話す院長として知られる内野直樹さんの
「あたりまえのことがなぜできないのか」
の湯気のたつようなホヤホヤパワボ資料
◇動く画像でアスペルガーのことがよく分かる
綾屋紗月さん&熊谷晋一郎さんのパワーポイント

など、いらっしゃれない方も、いらっしゃる方の予習にもご便利です。
http://www.yuki-enishi.com/enishi/enishi-00.html
をクリックしてくださいませ。






難聴者の手話と社会の変化

2009年04月16日 01時51分46秒 | エンパワメント
090414-083810.jpg難聴者の手話の利用はいろいろな意味で有効だ。手話が視覚的コミュニケーション方法であることから、聴力を失った人も意志を通じることが出来るし、補聴器などだけでは十分なコミュニケーションができない人も補聴器等の効果が得られない環境でも、意志を通じあえる。

また、同じ障害を持つものが集団で学ぶことにより、障害やコミュニケーションの状況が客観視出来ること、手話を使う意味、各種の社会資源、基本的人権などの学習を通じて、難聴者としての自覚を通じて、自立を促進できる。
難聴者が手話を学ぶことにより自立を促進する自立手話講習会の意義は大きい。

障害者の権利条約には、第2条のコミュニケーションの定義に、難聴者の使う音声、読話、補聴器と補聴支援システム、要約筆記と文字表記、字幕、手話など全ての方法が含まれている。
このことは、難聴者が自分たちに使いやすい手話を使うことは当然の帰結だ。

音声コミュニケーションしか経験のない難聴者の手話併用への意識の転換、日本語を基盤にした手話で学ぶ意義に確信を持つこと、自立のための手話講習会の手話指導の理論化、カリキュラム作成と指導者養成、自立手話講習会の行政への説明。確かに課題は多く、数年かかるかも知れない。

しかし、障害者を巡る社会の状況が大きく変化することもまちがいない。


ラビット 記




難聴者のための手話講習会

2009年04月11日 20時15分31秒 | エンパワメント
090409-084818.jpg090409-132149紫.jpg昨日が難聴者対象の手話講習会の1日目だった。
最初の「講義」はどうしたのか聞いた。

一人一人に自己紹介をしてもらった後、「こんにちは」や「男」、「女」という簡単な手話を教えたということだ。
時間があったら、OHPのロールに自己紹介分を書いてもらうようにしていたということだった。

これは、初めて手話を習う難聴者にとっては重要な「プロセス」だ。つまり、日頃は家庭でも地域、職場でも難聴であれば日常のコミュニケーションから阻害されている人たちが。ここでは、名前を求められ、自分のことをよろしくお願いしますという。

聞こえる人の手話講習会では単なる挨拶かもしれないが、難聴者向けの手話講習会では自分が「主役」、学ぶ主体ということを意識させる「支援技術」だ。

手話講習会の手話の「指導」と「支援」は切り離せないと担当者が言うのは長い間の経験だろう。
支援というのは一人一人に合わせて行われる。手話の学習における支援というものは一人一人の学習の「進度」や「コミュニケーションの意識」が重要だ。これは指導の専門性だ。

障害を持つ人に関わる支援をする際に一番必要なのは対象者を尊重すると言うことだ。人権擁護ということだ。これは社会福祉に関わる際の基本的立場になる。

難聴者向け手話講習会は、難聴者の使いやすい手話を教える専門性と自立を促進する専門性の両方が求められる。


ラビット 記





難聴者の手話の学習について

2009年04月09日 08時42分01秒 | エンパワメント
090407-110652.jpg090407-1107チューリップ蕾.jpg地方の会員から、これから難聴者向け手話講習会に
出かけるとメールがあった。
聴覚障害者情報提供施設が開いたり、難聴者協会が開いているのかその講習会の実施主体がどこか分からないが自治体の予算ならば健聴者の手話講習会の予算の流用だろう。

手話は、ろう者の使う言葉だ。地域社会に手話が出来る人が多ければ、聴覚障害者への理解が深まり、「社会参加が促進」されるとして、聞こえる人に対して講習会が開かれている。障害者自立支援法では、地域生活支援事業のその他社会促進事業になる。
手話奉仕員養成講習会がそれに当たる。厚生労働省からカリキュラムも示されているが、聞こえる人向けの講習会だ。

これに対して、難聴者は自らのコミュニケーション手段として必要なので、聞こえる人が学習するのと全く意味が違う。
しかも、中途失聴・難聴者は聞こえない人であり学ぶこと自体に支障がある。また多くの社会生活上の問題も心理的な問題も抱えているので、手話の学習のみでは本人が持っているそもそもの目的も果たせない。
これが、聞こえる人向けの手話講習会と一番違う点だ。


難聴者は、聞こえを補うために補聴器や補助具を用いるがたいていはそれだけでは不十分なので、視覚的コミュニケーションとして、読話、手話、筆談などを併用することが有効だ。
複数のコミュニケーション方法を併用することで、理解は高まるというメリットはあるが、手話は話をする相手が手話で話すことが必要で、読話も同口型異語が多いので読話だけの読みとりに限界があるなど短所も長所もある。
これらのことを理解して、学習の指導をする必要がある。

先日、難聴者に20年近くも手話を教えているという手話通訳者にあった。両親がろう者のいわゆるCodaコーダと言われる。
どのような考えで教えていたのか、言語としての手話か、自立のための手話か。

難聴者、中途失聴者向けの自立手話講習会の必要性と考え方を説明した。何かを打ち出してくれることを期待している。


ラビット 記




難聴者のセルフ・エスティームのあり方

2009年03月24日 21時44分02秒 | エンパワメント
090322-114913.jpgセルフエスティームは自尊心とか訳されているが、自分を大切に思う心、自分を大事にする気持ち、自分を正当に評価すること、自分に対する自信を持っていることとされている。

難聴者は、聞こえないことで自尊心が十分に持てないでいる。自分に自信をなくしているのが普通だ。特に、普段から人との関わりが持てない状態だとそうなりやすい。

そうした難聴者のセルフエスティームを高めることが難聴者の自立支援の重要な柱だと考えていたが、たまたま見た臨床心理医師のホームページを見て、大きな思い違いをしていることに気が付いた。
http://www.dr-kobayashi.com/selfesteem.html

人はそれぞれセルフエスティームを持っており、人それぞれ異なっている。人格ともいえると言う。
難聴者のセルフエスティームを高めることでコミュニケーションに積極的になり、社会活動も活発な人をイメージしていた。自立した難聴者はみなそういう人でなければならないかのように思っていたのだ。
聞こえている人であっても人付き合いを避ける人も自分の生活、活動をしている人もいる。

その人がその人らしい気持ちで自分を評価して、自信を持って生きていれば良いので、特定の型やイメージを持って接してはいけない。

やはり、難聴者の自立について、専門家のサイコ・セラピストやソーシャルワーカーと共同して、研究しなければならないと気が付いた。


ラビット 記




難聴は「聞こえ」の障害ではないこと。

2009年03月01日 00時08分18秒 | エンパワメント
081109-123038.jpg難聴というと、あるいは聴覚障害というと「聞こえ」の障害と思われてしまう。

確かに耳で聞くことが困難な障害だが,それは難聴者の抱えている問題の一つにしか過ぎない。だから、「聞こえない」というと、一般的に治療するとか物理的な対策を思い浮かべる。
音を大きくする、大きい声で話す。補聴器を装用する。補聴援助システムを使う。

しかし、難聴というのは聞こえの障害ではないのではないか。そういうと誤解を招きそうだが、自分で問題解決できるという力を与えられておらず、自分の生き方に自信が持てない障害ではないか。

コミュニケーションの障害とも言われ、その結果、心理的にも精神的に問題を抱えている人が多い。しかし、補聴器を付け、磁気ループがあり、手話も使えるようになっても、まだ自立していくという気持ちを持てない人も多い。

社会の壁があるからだろうか、社会の壁は聞こえる人でも他の障害者でもある。難聴は、いろいろな障害、壁が複合的に作用しているのだろうか。

難聴は、聞こえの障害ではないと位置づけないと難聴者の支援は始まらない。


ラビット 記





難聴「者」になる

2008年12月12日 08時53分43秒 | エンパワメント
081210_Xmas1358~0002.jpg難聴に対して、最近考えていることは、難聴である人は様々な体験や知識を得て、難聴者になるということだ。

難聴者になることを周囲の人や福祉サービスが支援出来ないか、難聴者支援の方法や内容を体系化しなければならない。
それには、難聴者自身の探求と提案が不可欠である。


最近の要約筆記に関する議論には、物足りなさを感じている。いつまでも難聴者の願望に基づく技術論から論じるのではなく、一人で社会参加の場面に臨む時どのような技術が求められるのかを中心に据えるべきだろう。

障害者の権利条約で、難聴者の関わる場面は確実に増える。それも、主体的に関わる難聴者が増える。物言う団塊の世代は高齢になり、補聴器装用も要約筆記利用も積極的だ。聞こえる難聴者は文字だけで通訳する要約筆記をどのように見るか。要約筆記者は毅然としていられるか。

難聴者自身が要約筆記を利用している場面がどのくらいあるのか、それぞれでどのような要約筆記が求められているのか、難聴者に必要なのは「文字化された音声」だけでよいのか。難聴者はみな「自立」できているのか。


ラビット 記





難聴者向け訓練事業の法的根拠(1)

2008年11月19日 13時27分44秒 | エンパワメント
081117-084534.jpg難聴者向け訓練事業の法的根拠(1)
難聴者は、エンパワメントとして、同じ障害を持った難著者、専門家の助言、指導をきちんと受けないと難聴「者」になれない。

障害者自立支援法では、自立訓練給付が事業化されている。
難聴者はどの事業に適用できるか、ある県の職員に聞いてみた。
機能訓練が適用になるのではないかということだ。
別添の資料は省略したが公開されていたら、提示したい。


ラビット 記
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 障害者自立支援法第5条に各事業の内容が定義されており、第13項【注1】で「自立訓練(機能訓練or生活訓練)」を定義しています。

 【注1】法第5条第13項
    この法律において「自立訓練」とは、障害者につき、自立した日常生活又は社会生活を営むことができるよう、
   厚生労働省令【注2】で定める期間にわたり、身体機能又は生活能力の向上のために必要な訓練その他の厚生労働省令で定める便宜を供与することをいう。

 【注2】障害者自立支援法施行規則第6条の6
    自立訓練のうち身体機能の向上に係るもの⇒自立訓練(機能訓練) →身体障害者 【注3】
    自立訓練のうち生活能力の向上に係るもの⇒自立訓練(生活訓練) →知的障害者・精神障害者 【注4】

 【注3】「平成20年4月からの介護給付費等に係る支給決定事務について」第2のⅡの(11)
 【注4】「平成20年4月からの介護給付費等に係る支給決定事務について」第2のⅡの(12)

 よって、難聴者に関わる自立訓練があるとすれば、機能訓練のほうです。

 ちなみに、平成18年9月以前の「生活訓練事業」が平成18年10月以降はどの事業になったかは、別添の資料をご覧ください。また、障害者自立支援法の各事業の概要も、別添の資料をご覧ください。




難聴者のエンパワメントの実践と施策化

2008年11月17日 08時33分37秒 | エンパワメント
081116-144749.jpg081116-205159.jpgKさん、
久しぶりの再会でしたね。ご返事が遅くなってすみません。名前は思い出せなかったですが確かに会ったことのある顔でした。

今の私は、難聴者がもっと力を付けるためにはどうしたらよいかを考えて実践しています。それは難聴者のエンパワメントです。エンパワメントとは障害者など人の本来持っている力や意欲を引き出すための働きかけです。
難聴者協会は日常的に難聴者に対してエンパワメントをしていますが、それをきちんと理論化し、対人援助技術として体系化して、それを施策化することに取り組んでいます。

一昨日の土曜日には、地域の難聴者の会で、難聴である人は難聴者になるために学ぶ必要がありその施策化が必要と話しました。
妊婦は母親になるために母親学級を受けるのと同じように難聴者は難聴者学級を受ける必要があるということです。

ここで言う難聴者とは難聴であることを自覚的に受け止め種々のコミュニケーション方法があることを学習し、対応方法について学んだ人です。母親学級は父親の受講が必要なように家族の受講も必要ですね。

講演は、最初は聞こえない人同士がどうしたらコミュニケーション出来るか、ウチワと簡易筆談ボードで行う方法を紹介しました。難聴の講師と会場の参加者が文字でコミュニケーション出来たのですが、筆談ボードを持っていない方が半数もいたので参加者同士で筆談の機会を作れば良かったと後で思ったことでした。

それから、自分はどうやって難聴者になったか、難聴者になるということはどういうことかについて話しましたが、この難聴であるということと難聴者になるということは違うということがポイントです。
難聴であることを前向きに受け止め、難聴に対して対応を考えることが出来る、社会の変革を求める人が難聴者ということです。つまり自覚的に難聴を受け止め、難聴と対応できる人が難聴者になるというような話をしました。

このためには、難聴者になるための「難聴者学級」が必要です。このことを自立支援法下でも出来ないか、厚生労働省に求めることにしています。
Kさんの難聴者協会を設立した大先輩が難聴老人大学を創設して実践されていたのを思い出しました。

こうした話でしたらいつでもしますので、呼んでください。


ラビット 記





難聴者運動と心情の相互理解はエンパワメントから

2008年10月03日 23時25分55秒 | エンパワメント
081003-194904.jpg081003-220647.jpg難聴者エンパワメント事業は、障害者自立支援法の生活訓練事業で行おうとすると、エンパワメントする考えの理論化、指導方法の検討とプログラム化、既存事業との整理(整合性と差別化)、カリキュラム作成と指導者養成などを経て、行政の理解も得なくてはならない。

これは、きちんと研究委員会を立ち上げて3年くらいかけて事業化を目指す必要がある。

この重要性を理解した人が、難聴者で福祉援助技術を持った人、経験のある人を結集したい。


ラビット 記
涼しくなったが屋外で飲む店は盛況だ。




難聴者のコミュニケーションの齟齬と心理的影響

2008年10月03日 23時04分54秒 | エンパワメント
081003-085239.jpg昨日の職場でのコミュニケーションの状況。
●朝、電車のアナウンスが聞こえず、乗り過ごしてしまった。
よく見て気をつけていればいいのだが。でもだ。タクシーで800円も使ってしまった。

●職場で談笑している様子を目の前に見ているのに何を話しているか分からない。
仕事の指図だったのか、ちょっとした冗談だったのか。これまで知らないで仕事してきたので、いまさら分からなくてもといえばそうだが。

●自分より若い後輩が新しく配属された今後チームリーダーになる人とうなずきあって談笑している。
その人が配属されて二日目だがまだ話すことはないので談笑にも至らない。しかも風邪気味だとかマスクをしているの声もかけにくい。
自分の影が薄くなったと感じてしまった。

●間違ってファックスを送ってしまった本社の女性から確認の電話を受けた。
ファックスの内容の説明が良く聞こえず再送信を依頼した。若い女性に格好つけてもしょうがないが、よく聞こえないのでと言えなかった。
この女性は入社時の交流会で筆談で話した相手だ。折り返し「私が犯人です」と電話したら笑ってくれた。

●夕方、職場の上司と大きな声で言いあいになる。業務連絡する書類に他の目的の書類を使用したと皆のいる前でとがめられたのだ。周囲の人が心配そうに見ていた。同じフロアーの管理職が間に入ってくれた。
こちらはそんないい方しなくてもと思っていたのに、素直に間違いをどうして認めないのかと言われたのでカチンと来た。

朝から、コミュニケーションの齟齬から疎外感を強めていたところに、こういう連絡があったので課内に周知しておいたと報告しておいたのにとがめられたので素直にそうでした、スミマセンと言えなかった。

今日のコミュニケーションの状況
○昨日の電話で異動した女性が出た。久しぶりなので元気ですかと聞けばいいのに出来なかった。聞こえなくて会話がちぐはぐになったらどうしようかと躊躇してしまったのだ。
今朝たまたま健康診断で来社していて声をかけられた。昨日は久しぶりだったのに恥ずかしかったので会話できなかったよと言ったら、笑って腕をつついてきた。帰りに手を振ってくれた。

○朝、派遣社員におはようと言ったら、たまたま身をかがめていた時だったので耳元で「おはようございます」と言うのが聞こえた。今までは離れて挨拶していたので小さな声の挨拶が聞こえなかったのだ。

○朝の電話で電話モードの人工内耳で聞いたら昨日よりよく聞こえた。言葉も分かった。
しかし補聴器の電話用の設定で聞くとよく分からずそれで昨日あれこれ電話での会話に消極的になっていたときづき、普通のモードに戻した。

毎日、こういう状況が朝から退社時まで続くので、仕事とコミュニケーションのことで、難聴者は精神的にも疲れるのだ。
これで会議の時に要約筆記が来ないとなれば、とても感情のコントロールに自信がない。


ラビット 記