難聴者の生活

難聴者の日々の生活から、人工内耳など難聴者のコミュニケーション、聴覚障害者の制度改革について語る。

難聴のジャズシンガー 斉藤ひさこ

2008年09月28日 14時56分12秒 | エンパワメント
080927-185629.jpg080927-斉藤ひさこ190735.jpgジャズシンガー斉藤ひさこは突発性難聴で左耳はほとんど聴力がない。

美空ひばりの足と浜崎あゆみの左耳と二人の歌姫と同じ障害を持った私は二人と同じように歌うことに挑戦したいと言っていた。

11月3日、第3回グルーヴィジャズボーカルフェスティバルのコンテストに出場する。


ラビット 記




ダイバーシティ2008と難聴者

2008年09月28日 13時49分32秒 | エンパワメント
080927-183239.jpgハワイの風さんから、障害者のイベントに参加した感想が届いた。
実は、昨晩補聴器をして手話も堪能な難聴のピアニストや突発性難聴と大腿に人工関節を埋め込んだジャズシンガーに出会って、そのパワフルさに感動していたばかりだった。
その前に講演をしたのは難聴の大学教授だ。心理学の博士号を持つ。

難聴者はみな大きな力や個性を花開かせる可能性を持っている。それを引き出すのが運やたまたま巡り会った人ではなく、誰しもが可能性を発揮できるような体制、制度が必要だと痛感していた。
それが「中途失聴・難聴者エンパワメント事業」の障害者自立支援法による制度化だ。難聴者の苦しみの元を話す大学准教授の話を聞いたばかりの県の障害者福祉課長にこの考えを話したところ、顔がぱっと変わった。脈があるに違いない。


ラビット 記
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久しぶりに帰国した翌日、たまたま開いた新聞のページに興味深いイベントの案内があった。「ダイバシティ2008―障がい者と共に生きる」、キャリア戦略研究機構主催とある。お台場で障がい者のイベント?と思ったが、会場は神田とある。勇壮な主催者の名称にも心引かれたので出かけてみた。

ダイバシティはダイバーシティ(diversity=多様性)のことだった。そして、すばらしいイベントだった。
まず会場。従来、障がい者のイベント会場いえば、○○障害者福祉センターとか△△会館など公けの地味な(内輪向きの)場所が多いように思うが、今回はビジネス街の大通りにある洒落た貸しイベントホールだった。次に講師陣の多彩な顔ぶれ。前宮城県知事・現慶応大教授の浅野史郎氏、故国スーダンの障がい児教育のため尽力する全盲のサッカー選手、聴覚障がい者のプロボディボーダー、それに障がい者の雇用を積極的に推進するモデル企業の雇用担当者2名。

トップバッターの浅野氏は、「障がい者の地域参加、就労促進の鍵は、障がい者と接点のない一般市民の非専門家を、いかにこちら側(障がい福祉専門家・関係者)の側へ無理なく引き込むか、というテクニックにかかっている」と力説。厚生省障害福祉課と宮城県知事時代に得た豊富な実例を多数引用し聴衆を引きつけた。

全盲のアブディン氏は「見えないことで、損したことと得したことは?」という直截な質問に対し、「100人の人にすれ違っても彼らの表情がわからないことは損かな。でも、外見で人を判断できないからいつも深い会話ができる」と、完璧な日本語で『建前と本音』を使い分ける日本民族をチクリ。

重度聴覚障害(110dB)の甲地由美恵氏は「障がいのあるなしにかかわらず、海の波はだれにでも差別なく押しよせる。聞こえなかったからこそ海と出会い、ボディボードと出会えた」という。打ち込めるものが見つけられない障がい者には、「夢はあなたの手の中にある。あきらめないで」。手話は使わず口(読)話で育ち、波や風などの環境音を聞くために補聴器を使っている氏だが、「手話だろうと口話だろうと、コミュニケーションの方法を多く持っていれば世界が広がる」。自身、サーフィンの大会で初めてろうのサーファーたちと手話でコミュニケーションをとったときの喜びをシェアしてくれた。人工内耳については、「聞こえていたらボディボードとの出会いはなかった。聞こえないからこそ波に挑戦し続けてこられた。だから聞こえるようになりたいとは思わない」。
甲地氏は面前の口話通訳者(会場の質問をはっきりとした口形で講師に伝える)を読み取っての質疑応答で、会場には手話通訳もパソコン文字通訳もあり、難聴者もろう者も来場していた。聴覚障がい者の多様なコミュニケーション手段を目の当たりにした参加者個人の胸中はどうだっだったろうか。

ITベンチャー企業アイエスエフで障がい者雇用にかかわってきた白砂祐幸氏は「(障がい者雇用の)経験がない、仕事がない、知識がない、金がない、人がいないという5つの「ない」は創意工夫で克服できる。障がい者雇用は長期的にみて、全社員の残業や無駄の削減、生産率と企業への信頼感のアップなど、プラスの効果をもたらす」という。同社はうつ病や産休・病欠からの復帰者、ニート・フリーター、ひきこもり者などの雇用も推進しており、メンタルヘルス不全が社会問題化している今日、さまざまなマスコミ(例:「30代のうつ―会社で何が起きているのか」NHKスペシャル)にも取り上げられている。

広い会場はほぼ満杯で、ぱっと見にも障がい者当事者、福祉関係者、大学生、高齢者、こどもたちが見うけられた。ボランティア100人を使って運営するなど、イベント主催・企画者の手腕を見せつけ、まさに障がい者のキャリア戦略を、文字通り多様な視点から掘り下げたイベントであった。今後も2回3回と続けていく方向にあるそうで、益々の発展を祈りたい。




アンジェラ・アキの「手紙 15歳の君へ」 難聴だった15歳の頃

2008年09月20日 21時57分26秒 | エンパワメント
080918-手紙232351.jpg080918-手紙232425.jpg一昨日、木曜日の夜、NHKでアンジェラアキの「手紙」が今年の中学校合唱コンクール女声の課題曲になって、各地の学校で予選に臨む様子が放送されていた。
http://www.dailymotion.com/swf/x692yl&related=1&autoplay=1,1,560,425

その歌の内容にもアンジェラの声の聴きやすさにも思わず引き込まれて聴いていた。
初めて人工内耳の音楽モードを使ってみた。ちょっとピーキーなダビンチと一緒だ。

ちょっと、このところ精神的に苦しい時期だったので、余計想い入れを持って聴いていた。
親しい人から心配や気遣いのメールもあって、思い切って話していた。
その日の午後、自分が何をすべきか、何でこんなに苦しい想いをしていたのか見えてきた。

問題が見えてくれば、その解決手法はいろいろある。


自分の15歳は中学三年生。その前年に担任の岡部昌子先生が補聴器をつけることをじゅんじゅんと諭してくれ、難聴のコンプレックスだった自分がどうしてかよくわからないが、こっそり詰め襟の学生服の中に補聴器をして登校した。
HRで補聴器をした自分をめざとく発見した先生は前に立たせて補聴器をしてきたことを誉めてくれた。皆に補聴器は難聴者が使う機器でメガネと同じ感覚を補償するもので恥ずかしいものではないことを説明してくれた。
自分の障害受容はこの日がターニングポイントだった。


>いい歌だよ。涙が出るくらい。
>
手紙  作詞・作曲 アンジェラ・アキ

拝啓 この手紙読んでいるあなたは
どこで何をしているのだろう
15の僕には誰にも話せない
悩みの種があるのです

(中略)

いつの時代も悲しみを避けては通れないけれど
笑顔を見せて 今を生きていこう
今を生きていこう

拝啓 この手紙読んでいるあなたが幸せなことを願います

みんなのうた(英語の詩がついている) 
http://jp.youtube.com/watch?v=McQNAEK8xAw

歌詞全文はこちらから
http://www.uta-net.com/user/phplib/Link.php?ID=70553
歌ネット
「歌ネットはストリーム形式にてJASRACの許諾を得て運営しておりますので、歌詞の印刷行為を禁止しております。」→画面上で見て下さい。


ラビット 記





難聴者のコミュニケーション力の獲得

2008年07月13日 02時57分21秒 | エンパワメント
080705-160529.jpg人工内耳の相談を受けていた会員の難聴者と、あるパーティーで会った。
彼と手話混じりで話すと、要領を得ない顔をするので、いつも筆談する事になる。
ちょっときつい言い方かも知れないが、私の手話が伝わったかどうか確認したいので私が示した手話表現をみて、声を出して言って下さいと筆談ボードに書いて見てもらった。

「補聴器と人工内耳は聞く仕組みが違う」と手話で表現するが、曲げた人差し指を耳の後ろにあて「補聴器」というが、これが補聴器を表しているということが分からないようだ。指文字は覚えているので、「ホ」「チ」「ョ」「ウ」「キ」と表して声を出してもらう。何度か繰り返して、人差し指を曲げて耳の後ろにあてるのが補聴器の表現と理解してもらった。
Vサインの指を同じように耳の後ろにあてて、「人工内耳」と言う。「ジ」「ン」「コ」「ウ」「ナ」「イ」「ジ」と指文字で表し、Vサインを耳の後ろにあてる。何度か繰り返して、人工内耳の表現だと言うことを理解してもらう。

いつも同伴されている夫人がいらっしゃるので、私の手話表現が分からないと夫人の方に視線を泳がせるが、私は彼の目から視線をそらさない。夫人も私が何をしようとしているか理解され、何もしない。こうなると、コミュニケーションの格闘だ。途中で止めるわけにはいかない。


彼は今まで通っていた病院と医師に義理立てして、その医師の勧める人工内耳の病院を考えているようだった。 
私は、カナダに行って考えたり、自分の体験から、人工内耳は手術する医者よりは良いST言語聴覚士に出会うことが鍵だと思ったので、「補聴器と人工内耳の病院は別でもかまわない」ということを、筆談の紙には「病院に義理立てするのではなく」と書いたが、彼は何度のその部分を指さして首を傾げている。この意味が分からないようだった。

「補聴器と人工内耳の病院は別、別でかまわない」と何度も手話と指文字で表し、彼に声を出してもらった。
とうとう、彼は「補聴器と人工内耳は別!」と大きな声で言う。何度も繰り返して言う。「補聴器」と「人工内耳」は「別」と手話を付けている。やっと得心がいった表情をしている。

補聴器の病院に行かなくてはいけないと思いこんでいたようだ。

彼と話している時に、途中で筆談に変えたら、こうまで理解してくれただろうか。彼が分からなくても笑わず、良い人工内耳ライフを送って欲しいとの一心で伝えた。伝えきった。彼も一所懸命に手話と指文字を食い入るように見てくれた。
パーティを終えた一般の人たちが私たち二人が汗を流して、「ホチョウキ」、「ジンコウナイジ」とやっているのを見て奇異に思っただろう。
彼は手話講習会にも通っているが、指と手の動きが単語を表していることに本当には理解できていなかったのかも知れない、ただ手と指がひらひら動いているだけだっただろうのか。


難聴者の手話の学習は、手話の単語や表現を覚えるだけではなく、この学習を通じて自立した難聴者に成長することを導くという目標を達成するために、様々な福祉支援技術を持った指導者が必要と思ったことだ。
これをもっと整理すれば、難聴者の自立生活訓練事業に位置づけることが出来るだろう。


ラビット 記
写真は、国際難聴者会議でカナダのろう者とコミュニケーションする日本からの参加者
どちらも全く聞こえない、筆談もままならないがしばらくすると通じたようで笑顔がはじけた。



スクーリングの要約筆記者(2)

2008年06月27日 19時33分58秒 | エンパワメント
080626-花か.jpg☆★さん、コメントありがとうございました。


会社の会議でも、スクーリングでも、要約筆記の利用者は戦闘モードに入っています。要約筆記を武器に健聴者とチャンチャンばらばら渡り合おうとしているのです。

現に、要約筆記者をつけてもらうために学校と戦って、自治体と戦って、スクリーングの会場に要約筆記者が来ることになったのです。
そこへ、何とかワイヤレスシステムを使ってもらわなくてはと思って、担当者と初めて接したわけです。担当者は、いまさら講師に頼めないと考えて断ってきました。講師はR大学学長でしたから遠慮したかもしれませんが、こちらは講義の内容が分からなければ単位が取れないと思っているから必死です。

「いや、どうしてもこれを使ってもらわないと聞こえない」と言って、「じゃあ試してみましょう」ということになりました。ほぼ満員の教室でみなが見ている前で渡り合うわけですから、気合いが必要です。普通だったら気後れしてそうですかと言ってしまうかも知れません。

要約筆記者も一人は私のただならぬ気合を感じ取って、パッと紙を取り出してやり取りを書こうとしました。しかし、もう一人はそうでなかったのです。紙は利用者が用意することになっていたので私は席に取ってきて戻ると、何やら話しをしていて、その一人が名刺を受け取りました。名刺まで受け取ってどうするんだと怒鳴りたい気持ちでした。
その要約筆記者は利用者が主体ということを忘れ、面前で利用者から主体権を奪ったのです。


要約筆記者が毅然として、利用者と一体となった態度をしないと、利用者が周囲から甘く見られます。
どんな状況でもこの利用者のコミュニケーションに責任を持って対応するという気持ちがあれば、笑って対応は出来ないと思います。

要約筆記者に癒しを求める利用者もいます。声を掛け合っている様子も見かけます。そういう場面もあるでしょう。

しかし、世の中、聞こえないものが一人で渡り合おうとしたら、気合が必要です。少なくとも一身同体になって欲しい。


ラビット 記




初めてのスクーリングの要約筆記

2008年06月23日 06時09分00秒 | エンパワメント
080622-スクーリング2.jpg080622-スクーリング1.jpg雨の中、会場となる大学に急ぐ。新しい校舎だ。会場に入ると500人は入るかという階段教室。

受付に受講証を出すと私の名前を見て、最前列に案内される。前から2列目にする。要約筆記者が入れ替わるスペースはないので、左右に要約筆記者が座るよ うにした。

いろいろ「配慮」をしてもらった方が来られたので御礼を言って、ワイヤレスマイクを使ってもらいたいと言うと、即座に事前に連絡を頂いていないので今回は要約筆記だけでお願いしたいと断られる。確かに事前に連絡していなかったが、講師の先生に伺いもせずに断られるとは思っていなかった。
ほぼ会場一杯の 学生の注視を浴びながら、いやこれがあるとよく聞こえるんですと食い下がる。声が大きいので要約筆記とか補聴システムとか皆に聞こえたに違いない。

要約筆記者は来ているのかと聞かれるので入り口にいると思うと言って移動する。
こちらは私との話を書いて伝えてくれる要約筆記者ですと言うが、要約筆記者に名刺を渡そうとする。一人は断ったがもう一人は受け取ってしまった。講義が終わった後名刺をおいて行くかと思ったら持って帰った。要約筆記者はこういうことをすることが利用者の主体性を奪うことになることに気が付いていない。

会場のワイヤレスマイクが受信出来るかもしれないのでテストをすることにした。また最前列で聞こえる聞こえない、補聴器に直接受信するのでハウリングはしないとか説明した。担当とは要約筆記者が書いているのを見ながらやり取りする。これでもう今回の同級生に、難聴の中年の男がいることがバレバレになった。

最初の講義は、ルーテル大学学長の市川先生だ。マイクは聞こえるかと聞いたもらった。OKだ。社会福祉は地域のインフォーマルな力を引き出すことだ、「いきいきサロン」が今ブームだ、高齢者、児童、障害者と分野別ではなく、住民の視点で横断的にとらえる必要があるとか、一気に1時間半の講義が終わった。

要約筆記を見ながら、自分のノートに要点を書く。「介護」の文字が多いので、「介」に丸で囲んだ略字を決めた。もう少し大きい字で、こちらに寄って下さいとか指示する。もう一人の方は笑顔の連続だが普通の顔でいて下さいと言おうとしたが言えなかった。笑みで対応されるとこちらはボランティアを受けている感じになって、サービスを利用しているという立場が消えてしまう。きりりとしていて欲しい。

その後もいろいろあったが、最後に市からの業務時間確認書にサインをして初日は終わった。


ラビット 記




難聴者のコミュニケーション、表現力

2008年06月20日 20時13分50秒 | エンパワメント
080620-084656.jpg080620-花1.jpg難聴者の生活」は、日々身辺で起きていることをどう見ているか、どう感じているかをつづったものだ。
通勤電車で入力してすぐ投稿する場合も、何週間も何度も見て、推敲して、書き直して、保存してを繰り返した挙句に投稿するものもある。
先日、会社の業務の状況を振り返ってみたが、日曜日で一人勤務していることをどうして仕事が出来るのかと考えてみたのは後者だ。

仕事にせよ、活動にせよ、自分で描写するというのは、確かに新たな思考力を育てることになる。梶原しげる氏のサイトに同じことが書いてあった。
断片的なことばかりだが、いずれ、それが収斂して新しい知見になるのが興味深い。

著者の梶原しげる氏は以前「老会話」の著書を表し、東京都中途失聴・難聴者協会で「コミュニケーション」をテーマに講演を依頼した方。聞こえない人に講演するのは初めてとか、どうやってコミュニケーションするかいろいろ工夫されてこられた。


ラビット 記
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会話力とは、相手の言葉と表情を観察して、真意をを正しく受けとめ、多彩な語彙や表現で相手の心にしっかり言葉を届ける能力。だから、思考する力なしには成立しない。
【7】片っぱしから描写して思考力を鍛える
http://business.nikkeibp.co.jp/article/nba/20080512/156150/

9.「高齢化社会の話し方、聴き方、接し方。魔法の会話術“老会話”」
急速な高齢社会に向かって進む日本。バリアフリーの住宅やお年寄に優しい街づくりが進むなか、高齢者との会話、コミュニケーションの取り方はほとんど省みられていません。
加齢により、誰しもが、多かれ少なかれ、視聴覚など感覚器官や、脳の記憶、検索能力、集中力に問題を抱え始めます。そんな高齢者のコミュニケーション能力の衰えを肯定的、共感的に受け止め、円滑なコミュニケーションを可能にする会話術が「老会話」です。
「老会話」はスムーズな親子関係を取り戻すにはもちろん、これからの消費の主役となる中高年を相手にするビジネス、接客に大きな力を発揮するため書かれた、日本初のスキル本です。対高齢者コミュニケーションに必須な心と技術「老会話」について熱く語ります。」
http://www.creative30.com/kajiwara/koen/index.html




国際難聴者会議の内容

2008年06月02日 22時30分33秒 | エンパワメント
全難聴国際部の国際会議ツアーの案内のページ
http://www.zennancho.or.jp/international/001index.html

国際会議の全体会と分科会の内容(邦文)
http://www.zennancho.or.jp/international/bunkakai.pdf

技術的なトピックスもあるが、難聴者が他の障害者に比べて、アドボカシー(権利擁護の主張)が弱いこと、職場での困難に打ち勝つ方法など、興味深い内容が続いている。
以下は、一部だ。


ラビット
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>W18.Defining and Deploying Self-Advocacy for the Hard of Hearing
>「難聴者のためのセルフ・アドボカシー」
>Kurt D. Lynn カナダ難聴者協会オンタリオ支部理事長
>障害者団体の発展には優れたセルフ・アドボカシー( 自分の権利を合理的に主張すること)の 能力が不可欠で、70年代よりその合理的な方法論についての研究が進められてきた。だが聴覚障害者団体はその中でも遅れをとっている。各種障害者団体のセルフ・アドボカシーの基準、方法、テクニック、訓練プログラムを紹介しながら、難聴者にふさわしい訓練プログラムを考える。
>
>W19.The Fight for a Deeper Understanding and Equal Opportunities for
>People with a Hearing Loss
>Speaker: Lotte Romer
>「難聴者に対する深い理解と機会の均等への試み」
>
>W20.The Impact of Technology
>「現代技術の影響」
>Jo-Ann Bentley カナダ聴覚協会 コミュニケーション機器プログラムマネージャー
>最新技術はおろか、すでに永く市場に出回っている機器さえ有効利用できていない聴覚障害者が多い。特に高齢の難聴者のために現存の補聴援助機器を有効利用することで彼らの生活の質を向上させる方法を紹介する。
>
>W21.Making the Best Use of Your Time with an Audiologist
>「オーディオロジストとの時間を最大限に有効利用するために」
>Marcia B. Dugan 元全米難聴者協会HLAA 理事長、前IFHOH 会長、
>Living with Hearing Loss 著者、元NTID ロチェスターろう工科大学広報課長、オーティコン社会功労賞受賞者
>
>P3.The United Nations Convention on the Rights of Persons with
>Disabilities and Its Importance for Hard of Hearing People Worldwide
>国連障害者権利条約と世界の難聴者に対する重要性
>Jan-Peter Stromgren (IFHOH 会長)
>Marcia B. Dugan (IFHOH 前会長)
>Charlotta Goller (スウェーデン難聴者協会政策委員、IDA メンバー)
>2006 年12 月に採択された同条約が誕生するまでの歴史的背景、IFHOHの取り組み、条約の難聴者に対する意義を分析する。





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難聴者のセルフアドボカシー(2)

2008年06月01日 02時37分00秒 | エンパワメント
080531-082434.jpg中途失聴・難聴者向けの手話講習会に、こうしたセルフアドボカシー能力の重要性を気付かせる講義を入れ、聴覚障害の基本的理解と合わせて、手話の習得とこうした学習が相乗効果をもたらすようなカリキュラムが必要だ。読話講習会も同じだ。
コミュニケーション手段の習得を自己目的にしない方がよいということだ。


ラビット 記
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自分の聞こえない状況をいかに仔細に分析して客観的に説明するか、これはロールプレイなどで試しに実験してみるとわかりますが、結構練習と訓練がいります。いきなり今日明日からできるような能力じゃないです。
自己をいかに客観的に見られるか、という訓練をしながらも、適当な息抜き(ストレス解消法、難聴のピアのサポートグループ)をすることがセルフアドボカシー能力の発達に必要です。難聴者がお互いにこういうことを訓練できるピアサポートグループができたらいいですね。

それからこの到達度レベルは一個人のある時点での固定的なレベルではないです。
本人のその日の調子によって(例:風邪をひいていたり、疲れていたり、お酒のあとで勇気が倍増しているなど)、あるいは周りの環境によって同一人物でも 入門者になったり上級者になったりしますね。

上級レベルまで行くには本人の日ごろの訓練・努力もさることながら、相手が「ある程度理解してくれそう」な周囲であることが感じられないと訓練の成果も発揮できませんしそういう気分にもなれません。やはりコミュニケーションは双方通行ということですね。

せっかく上級レベルの能力がありながら全く無理解な周囲のせいで落ち込んでしまい入門レベルの行動しかとれていない人もいるでしょう。
逆に今は入門レベルの対応しかできていない難聴者でも理解ある周囲に囲まれていれば機会を得るごとに徐々に上級レベルの対応ができるようになるかもしれ ません(まれだとは思いますが)。

いずれにせよ、まず私たち難聴者がアドボカシー能力を育てなければ周囲は変わらないでしょう。


以前ラビットさんが、よく聞こえないのにわかったと言ってしまう背景には、もう少し先まで聞けばわかるかもしれないという期待感があるから、ということ を言っていましたが、これは難聴者と話者との関係の深さ(浅さ)と誤った自己認識を示しているように思います。
話者に対して100%満足のいく話し方をお願いできないような浅い関係だということ。

あるいは会社の会議などの場合、目立ちたくない、注文の多い難聴者と思われたくないなど、日本的な「出る杭は打たれる」または恥の精神文化も寄与しているでしょう。

誤った自己認識、というのは90%だけ聞こえても10%をたくましい想像力と過去の経験から「穴埋め」して理解した「つもり」になっている悪い癖のことです。でも90%の理解でも100%わかったと本当に思っていたら、それは難聴者が自己イメージを傷つけないために永年かけて無意識に発達させてきたサバイバル能力なのかもしれません。
知らぬは仏ー難聴者のみなりけり、なのですがね。


余談ですが、にどう聞こえて聞こえないのか周囲の健聴者に説明する手段として、当地ではSound HearingというCDが出ています。軽度、中度、重度、ろうの4段階の聴覚障害の聞こえ方を音で(文章で)デモンストレーションしているので、耳栓 したりせずとも実感をもってわかってもらえます。
私はよくこのCDを使って健聴者に4段階の聞こえ方を試してもらいディスカッションしてもらいます。「肩がこった」とか「軽度でもこんなに聞こえにくい とはしらなかった」とか「不安になった」とか様々な反応が出て有益です。日本にもこういうCDがいいなと思いました。






難聴者のセルフアドボカシー(1)

2008年06月01日 02時03分02秒 | エンパワメント
080531-160414.jpgハワイの風さんから、セルフアドボカシーについて、メールがあった。

難聴者が、自分の障害を以下に説明し、対処方法をコントロールするかというのはやはり「学習」が必要だ。
障害者自立支援法の個別給付の「自立訓練」の難聴者版を早急に作らねばならないと感じた。


ラビット 記
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難聴者が聞こえない状況をきちんと説明できないことが「周囲の無理解」を生みだしているということは大いにあります。そして周囲の無理解にさらに拍車を かける。。。
これまで、あのサムトライチン教授や他のHLAAのセミナーで学んだこと、ラビットさんのブログを元にわたしなりの考えをまとめるとすれば、以下のよう になります。

セルフアドボカシー(自分の障害やニーズ、権利について周囲に理解されるように説明できる)能力の到達度レベル
◯入門レベル―よく聞こえなかったときに、「は?」「え?」「なに?」「ん?」としかいえない。ひらがな5文字でしか反応できないのはちょっと。。。

◯初級レベル―「ワラマラ?」「にょにょにょにょ?」のように、どう聞こえたかそのとおりを反復する。少なくともどう聞こえたのかは話者にわかる。話者は同じ文章を繰またり返し言うかもしれないが、聞こえ方はおそらく変わらない。

◯中級レベル―「明日は○▲□×」と聞こえた場合、「{明日は}までは聞こえたのですが、その後がわかりません。{明日は}から後の部分をもう一度言っ てくれませんか」と、どの部分が聞こえてどの部分が聞こえなかった(わからなかった)かを説明する。打ち解けた間柄ら、「えっ?明日は何だって?」
いずれにせよ話者は、ああそうか、後半部分だけ聞こえなかったのだな、と理解できる。でも「ワラマラ」のようにあまりに短い文ではちょっと無理。

◯上級レベル―何回聞いてもナンセンスに聞こえる場合、「なんかまだよく分からないので、別の言い方で言い換え(パラフレーズし)てくれませんか」「これに書いてくれますか」。うまく対応してくれたときには「おかげでわかりました。どうもありがとう」と。お礼を言われて悪い気がする人はいない(次にも 同じことをしてくれる可能性が高まる)。

しかしながら、こうまでして聞き返さなければならないような状況を生み出す以前に(会話が始まる前に)、話者に、自分が難聴であること、どのように話してほしいか、話者が途中で話し方を変えたりするかもしれない(長い話になる)場合には{ゆっくり、はっきり、顔を見て等}話してほしい、という合図 (例:ドラえもん人形を高く掲げる)を送るという取り決めをしておく、会議などの場合は会場と席の下見と話者への事前自己紹介(メールでOK)、町中の銀行、郵便局、病院でなら職員に同じことをあらかじめ説明、などなど。。。

巷で見知らぬ人から声をかけられた場合はこのような対応は難しいが、その人と是非話をしたければ、やはり同じように事前説明する。あまり重要でない人(会話)なら来たるべきアドボカシーのストレスを避けるため「すみません難聴なのでよく分かりません、ごめんなさい!」といって逃げ去る。少なくとも変人とか狂人とは思われない。

会話(話者)の重要度によってアドボカシー能力を使い分ける(蓄える)のもストレス管理(息抜き)の立派な方法だと思います。私たち難聴者もただの人 間。いつでも完璧にアドボカシー能力を発揮きるわけじゃないですから。





難聴者のエンパワメント 地域社会のセーフティーネット

2008年05月27日 21時09分33秒 | エンパワメント
最近、地域に、社会に難聴者の救えるセーフティネットがあればと思うことが続いた。

聴覚障害者のコミュニケーション教室に、都外から参加した女性が7年前に難聴を理由に会社から退職をほのめかされ、3ヶ月の間泣き暮らしていたが、このままではいけないと気付いて、手話サークルに入って、ろう者と出会って、立ち直りのきっかけが得られたということだ。

その3か月はつらかったと思う。問題はその間誰からも支援がなかったことではないか。仕事の問題ならハローワークや心身障害者福祉センターに相談にいかなかったのだ。難聴者協会にもとう問い合わせなかったのだ。

失聴したばかりではそういうところに行くどころではないかも知れない。しかし、周囲も手を差し伸べなかったのは何故か?
病院も地域社会も家族にもかかわらなかったのは重大な問題だ。


ラビット 記




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難聴をリアルに見つめる

2008年05月03日 08時40分16秒 | エンパワメント
080502_1517~001.jpgOさん、
昨日の職場はいろいろなことが重なって最悪でした。

月末に作ってもらった人工内耳のマップが人の声がまったく聞こえない。
そういう時に限って、派遣社員や上司が風邪か何かの感染症というのでみなマスクをしてしまったので口も読めない。
上司も体調だけでなく機嫌も良くない。

トラブルの元になりそうなことを連絡するためにメールしようとしたら、そんなのより電話しろ、間に合わないという。明確に伝えるためにとメールを書いたのは聞こえないので自分でも明確に聞きたいということもあったがそれは無視された気持ちになる。しかもそれはもう電話したと言う。口ではそうですかと言うしかない。「電話したから大丈夫です」と言えば良いのではないか。ストレスはたまる。


1日は会社の一泊研修で要約筆記を付けてもらう問題で管理部長と話し合ったが、守秘義務の話でもなければ、費用の問題でもないと言う。私の日頃のコミュニケーションが困難な説明を聞くと四六日中要約筆記を付けなくてはいけないかのようだ、みんなと一体になるのが研修の目的なので、講義部分は自分の聞こえる範囲で(そんなに聞かなくても良いのではないかと言うのと同じ)、要するに自助努力が足りないと言わんばかりだ。
結果的には要約筆記を認めてくれたが本当に困っていることが理解されないままなのが悔しい。


難聴者が日頃感じるのはその場の言葉が聞こえないというよりは、「疎外感」、「孤立感」ではないでしょうか。
その場にいながら起きていることが分からないので、判断も行動も出来ない。
そのことが「疎外感」や「孤立感」になります。
しかし、それだけではなく、「焦燥感」や無理解に対する「怒り」にすら転化されようとします。

こうした心の動きを何があってこう感じたのかその時々の言動を記録しておくことは事態に対する対応を考える際に大切です。
思い出したくないかも知れませんが、思い出す過程も大切です。覚えておかなくてはならないと意識することが冷静に考える元になります。


毎日、目の前で交わされる会話が何かわからないまま見て過ごすのが1日だけでなく、毎日、何年も続く苦悩は、聞こえる人には分からないでしょう。


ラビット 記




難聴者のサークル活動の意味

2008年04月14日 23時00分11秒 | エンパワメント
080414_1919~001.jpg080414_1918~001.jpg難聴者協会の中にはいろいろなサークルがある。
手話や読話のコミュニケーション学習に関わるサークルもあれば歌や書道、読書など文化やスポーツなどの趣味サークルもある。
協会外にもいろいろな「会」かある。


難聴者等のサークルや「会」の活動はいろいろな意味で重要だ。

一つは難聴者自身の自発的な意思による活動への参加の具体的な表れということだ。
自らの意思による参加という行動は自立への第一歩だ。

二つ目は、コミュニケーションへの積極的な意欲の表れだ。
集団への参加はコミュニケーションを生む。その中に所属すれば意思の疎通のために、様々な形でのコミュニケーションが必要になり、難聴者としてのコミュニケーションに対する姿勢が醸成される。
相手にも自分にも分かるようなコミュニケーションの仕方、理解の仕方を考えるきっかけになる。

三つ目は、難聴者としての自己を客観視する機会になる。
難聴者の集団と言えども、メンバーに社会の中にいる難聴者像を見い出すのだ。コミュニケーションの非成立状態の難聴者の言動、明確な意思表示の出来ない難聴者の心理等を見ることで、自己を客観視することになる。

四つ目は、集団の中の協調性や指導力の発揮など一般社会でなかなか発揮しにくい能力の開花や向上がある。

五つ目は、難聴者であっても自分の好きなことを通じて自己表現出来ることだ。

五つ目が一番重要かもしれない。


ラビット 記
夜の繁華街で火事!?



難聴者のバイオグラフィ 自己発見のために

2008年03月19日 22時29分50秒 | エンパワメント
080315_0849~001.jpg080316_2111~001.jpgひまわりさん、コメントをありがとうございました。

「障害を乗り越える」というのはあくまでも過程であって、結果を指すとなればまだまだ先になるのでしょう。
5、6年前に、自分のエンパワメントのために、出生後から教育暦、活動暦を年表にしたものを作っていたのですが、昨年たまたま、定年を間近にして勤務先のライフプランセミナーを受講したことから定年後何をしたいのか、何をしなければならないのかを昨夏に考える機会があったことから、年表を少し整理をしていました。

手話講習会の修了式みたいな場ですから、本来はお祝いの言葉や難聴者のコミュニケーションの本質みたいなことを話せばよいのでしょうが、自分の厳しい現状を聞いてもらい、そこから何かを掴み取ってもらう方が良いと考えて話しました。

ホワイトボードに、横軸に過去、現在、今後。縦軸に、聴力、コミュニケーション方法、仕事、家族、財産、社会環境などをおいて、それぞれの項目がどう変わってきたか、どう変わっていくかを記入して、説明したのです。

        過去          現在        今後
聴力     70dB前後        100dBくらい   右はさらに低下
    
       補聴器中心      補聴器は困難   補聴器と人工内耳の併用
コミ方法  補聴器と指向性マイク    要約筆記      補聴支援機器
     磁気ループ、手話、読話    補聴器       字幕、要約筆記     

仕事     課長のちスタッフ   スタッフ       定年延長はない
                  ラインにいない

(以下、略)


ラビット 記




難聴者支援に手話とろう文化が重要という考え

2008年02月28日 12時59分06秒 | エンパワメント
080226_2226~001.jpgハワイの風さんから、2ヶ月ぶりのメールが来た。

難聴者にとって、リアルタイムのコミュニケーション方法として手話は有効なものだ。

読話や人工内耳の聞き取りにとても有効であることは経験的に知っているが、新生児の聴覚スクリーニングによって、乳幼児の人工内耳適応が増えていることは知っていたが、手話とろう文化の衰退につながっては難聴者も困るというのは意外だった。


ラビット 記
久しぶりに見た浜崎あゆみさん

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手話と聾文化が廃れていくことには私も危惧を感じます。
聾と難聴の問題は焦点とサポートの仕方は違うとはいえ、互いにともに進化していかねばなりません。難著者支援に、トータルコミュニケーションという意味からも、手話と聾文化が生き残っていってくれないと困るのです。

アメリカでも、早期発見/介入と人工内耳などの発達で、純粋な意味での聾者は減りつつありますが、手話文化の発展には目を見張るものがあります。今やどの大学、短期大学でもたいていは手話が、選択外国語の一つとして、スペイン語や日本語、ハワイ語など(ハワイ州)と平等に扱われています。

日本でのトータルコミュニケーションの普及の現状はまだ厳しいでしょうか。カリフォルニアでは言葉がまだ出ない赤ちゃんにも手話を先に学ばせることでその後の音声言語の発達にもよい影響がある、という学説が普及しており、赤ちゃんと親のための手話教室までありました。

私もハワイ島の赤ちゃんをつかまえては、ミルク、チーズ、ジュース、もっと、などの手話単語を教えています(これがまた人気です)。