難聴者の生活

難聴者の日々の生活から、人工内耳など難聴者のコミュニケーション、聴覚障害者の制度改革について語る。

聞こえなかった「先生」の声 小・中学校時代 

2008年02月17日 04時50分42秒 | エンパワメント
080215_1910~001.jpg昨日、朝10時5分からのNHKで「ネット54『ふるさと発たまごが教えてくれたこと~兵庫県狭間小学校・3年1組の子どもたち』」(*)を見て、いろいろ考えた。

子供たちが、先生の指導のもとで紙粘土で作った「たまご」を自分と思って育てることを通じて、自分を育ててくれた親たちのことと考えさせる授業の記録だった。


映像は今の小学校の姿をリアルに映し、子供たちの表情にも一人ひとりの個性が表れていた。教師歴26年(23年?)の福井先生(#)がこどもたちをさんづけで呼んでいたのも新鮮だったし、子供たちとの言葉のやりとりをしながら、考えさせていく授業を受けられる子供たちがうらやましかった。
(#)http://honeyfm.no-blog.jp/cafe/2008/02/post_bd02.html

小学校に入学する前に難聴が発見されたが、小学校の授業はほとんど分からないままだったようだ。先生の言葉の記憶が全くないからだ。テレビの言葉は、難聴者の大人の自分はテレビの字幕を通じて分かったが、子供の時は分からない。

先生に導かれて、生き方、自分の心の持ちよう、夢を持つこと、自分と社会との関わりなどを学ぶことなく、小学校時代が過ぎてしまった。これは「小学校時代を過ごした」ではない。
仲間と遊ぶのもカンだったようだ。クラスメートの顔や名前がほとんど浮かんでこない。Nというワル、回転塔の女王、Bさんといういつもいじめられていた女子がいたことは思い出したが、担任の先生の顔が浮かんでこない。それより言葉が浮かんでこないのがさびしい。


子供たちは、自分と対等の視線で投げかけられた言葉に反応する。自我、協調、連帯、人間愛ということを学ぶ。言葉が届かなかった子供は孤独だ。一人で成長しなければならない。先生や他の子供たちの動きを見て何かを察する。遠足の日にランドセルを背負って行ったり、弁当を忘れたりするのは再三だった。情報や知識を補うた
めに図書館に通い詰めていた。図書カードは裏表とも1ヶ月足らずで埋まった。


難聴児の授業に言葉を届けるのは、教師の責任だ。
教師が発した言葉をパソコンボラティアがPSPで字幕表示が出来ても、どのように伝えるかはボランティアではなく、教師が考える必要がある。耳で聞く言葉を目で見るのは違う。脳生理学や言語学者、要約筆記筆記者など専門家の探求が望まれる。
子供の文字を読む力は初めはおぼつかないがすぐに向上する。そのうち自在に字幕を見ながら授業の理解が進むだろう。


この番組を見た後で、電車の中で左耳に補聴器をした就職活動中らしい女子学生を見た。何故か目がうるうるしてしまった。心でガンバレヨー、ガンバレヨーとテレパシーを送ってしまった。


ラビット 記
(*)http://cgi4.nhk.or.jp/hensei/program/p.cgi?area=001&date=2008-02-16&ch=21&eid=33405





職場のコミュニケーションと人工内耳

2008年01月24日 23時24分40秒 | エンパワメント
071030_1915~001.jpg今朝、昨日の会議に欠席した上司に内容を報告した。

それはどういうことかと聞かれて説明をしたら、後ろ向きに座っていた女性社員が補足してくれた。
難聴者には、後ろ向き聞いて返事するくらいならともかく、話に加わるなんて考えられない。


上司に口頭で報告したが、人工内耳を装用し補聴器を変えてから、話しかけられることも話しかけることも多くなったと思う。もちろんまだ聞こえていないが、み振りや表情でコミュニケーションをとるようにしている。

業務のコミュニケーションはメールや配布された社内資料くまなく目を通し、予備知識を十分に蓄えて、口頭の情報に少しでも耳を澄ませて対応するのが良いと考えてきた。

毎週一度の課内会議に要約筆記が付くことでその場のやりとりが分かるだけでなく、会議後のコミュニケーションにも役にたつ。
会話の背景となる知識などは一定の長い期間に身に付くので、入社した時から要約筆記は必要だ。


出来るだけ周囲に語りかけることにより、良いコミュニケーションの前提となる親近さが生まれる。あるいは、誠実さを理解されることにより、その後の文字やその他の手段によるコミュニケーションにより、生の情報が得られると思ってはいた。
しかし、難聴者はその語りかけることがどうしても出来ない。


この一ヶ月の経験は、同僚との会話や電話に最新の情報や生きた知識がたくさんあることがわかった。

少しでも聞こえることがこんなにコミュニケーションに差があるとは考えてみなかった。
人工内耳は職場のコミュニケーションの改善に力を発揮するだろう。

しかし、人工内耳だけに職場の問題解決を期待するわけにはいかない。
難聴者のエンパワメントの場とコミュニケーション保障の制度が必ず必要だ。
職場の上司や同僚の理解、業務内容などに合わせて、自身をアピールするための難聴の説明方法や権利意識、コミュニケーション方法を身につける場、難聴者自身を勇気付ける場が必要になる。

職場の理解、本人の努力、職務の内容如何によらず、コミュニケーション支援、雇用者との調整を含む就労支援を受けられる制度が必要だ。


ラビット 記



中途失聴・難聴者の集いに8人の「浜崎あゆみ」がいた。

2008年01月13日 11時06分04秒 | エンパワメント
080112_1548~001.jpg080112_1559~001.jpg1月12日、江東区文化センターホールで、第22回東京都中途失聴・難聴者の集いが開かれ、約300人が参加した。

ほとんど活動の経験がない実行委員がそれぞれの聴覚障害、コミュニケーション方法の違いを越えて、力を発揮した集いだった。
平成18年に失聴したばかりの実行委員は受付を束ねる、平成16年に失聴した女性は習得した手話で司会を務めた。サークルや地域の活動の経験しかない委員も各部の実行委員と一緒に務めた。副実行委員長は手話がすぐには出てこない重度難聴者だ。

実行委員会がスタートしたのは、通常よりも遅れに遅れ、約100日前。
手間や時間のかかることは極力止めるか簡素化することにした。普通式典では舞台に来賓に着席してもらうが止めて最初からホールの最前列に着席してもらった。なのでお茶も出さない(失礼しました)。祝辞も省略してしまった。

その代わり、浜崎あゆみの失聴宣言は中途失聴・難聴者の苦闘の証し、自立の支援を求める実行委員長の挨拶、私たちの主張であるアピール文の確認、参加者の意見発表の3分間スピーチを続けて行った。つまり、私たちの求めていることを来賓に最後まで聞いてもらう工夫だ。

3分間スピーチはもともと中途失聴・難聴者が人とコミュニケーションするのに消極的になっているので、人前で話すことでコミュニケーションするきっかけを得てもらおうと企画したものだった。8人が発表した。
一番に申し込まれたのは90近い呼びかけてもほとんど聞こえない方だが、地元の高齢者支援施設の廃止の中止、復活を語気強く述べられたのには驚いた。
2番目の高齢の女性が2年間学んだばかりの手話で、社会は難聴者に理解がない、趣味のサークルでも地域でも手話を使って話をして理解を求めている、みんなも手話使いましょうとたどたどしいが力のある大きな手話で発表した。
軽度難聴の女性は、職場の上司から難聴であることは見て分からないから人に言わない方が良いと言われて、社会に難聴の苦悩や社会の理解を訴え、ろう学校に勤める要約筆記者は子供たちの補聴器のおしゃれをスライドで紹介し、字幕、アニメ、手話付き胃部エックス線検査車の普及を訴えた方、青年部の衰退に問題提起する青年部長、などなど皆しっかりと障害と向き合い、前向きなスピーチをするのに驚いた。

私は8人の「浜崎あゆみ」をそこに見た。
来賓のすべての方に十分私たちの困難と何を求めているかしっかりと聞いて頂けたろう。

広島から参加してくれた昔の仲間がいた。
「東農大の大根踊り、楽しかった。いい運動になりました。ワタシも踊りたくなるような応援です。こんな素晴らしいつどい、いいですね。」

「(実行委員)長のご挨拶も浜崎あゆみさんを例に私達の気持ちをわかりやすく説明なさり、心にしみました。どの企画も新鮮で一緒に行った地域の人もさわやかでリラックスして楽しい集いだったと言っていました。本当にお疲れ様でした。ありがとうございました。」


ラビット 記

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東京都中途失聴・難聴者の集い アピール

私たちは、一人の人間として生きています。私たちは、聞こえない
だけです。
しかし、聞こえないことで大変苦しんでいます。聞こえないという
ことがどういうことなのか、自分でも受け止められないからです。

私たちは、人と話したり、見たり聞いたり出来ないのではありません。
補聴器や補聴支援システム、手話や筆談、ゆっくりとした話し方、
静かな環境があればかなりのことが出来ます。要約筆記や手話通訳
などが用意されればもっと多くの場面で話したり聞いたり出来ます。
テレビの字幕放送、駅や電車の電光掲示板などの文字情報は私たち
の生活には欠かせないものです。

私たちは、社会に理解と施策の充実を求めます。
2年前、国連で障害者の権利条約が採択されました。昨年は政府が
これに署名をしました。障害を持つ人々が普通の人と同じように
当たり前の生活をする権利を求める条約を私たちは歓迎しています。
昨年から要約筆記者の派遣事業が多くの区市で始まりました。
いつでも、どこでも無料で要約筆記が利用出来ることは私たち難聴者、
中途失聴者の社会参加の権利保障です。
社会に聞こえのバリアフリーが広がり始めています。もっと広げて
欲しいのです。

私たちは、東京都中途失聴・難聴者協会に集まって、仲間との連帯を
元に自立のために活動しています。社会のなかで聞こえで苦闘して
いる難聴者、中途失聴者のみなさんに、私たちの連帯と共感の手が
届くように祈っています。

聞こえなくても、ひとりの人間として生きていける社会を作ろう!





人工内耳後のコミュニケーションの変化を観察する(1/2)

2008年01月02日 23時51分51秒 | エンパワメント
080101_1201~001.jpg2007年12月4日に人工内耳の装用を始めてからもう1ヶ月になるところだ。
それは自分にとってはまだ人とのコミュニケーションの改善の入り口にたったに過ぎない。

補聴器だけでは聞こえない様々な音が聞こえ始めている。今日もテレビを見ていて、イチローのバットをスイングする風切り音、ボールが当るキンという音が聞こえる。左耳の聴神経の感度は毎日毎日高まっている。年末に設定した弱の弱に設定したマップもうるさいくらいだ。

補聴器と併用するといろいろな音が聞こえる。言葉も少し違って聞こえる。人工内耳のチリチリ、キンキンするのがまだうるさく感じている。

仲間と居酒屋のうるさい場面で相手の声が浮かび上がって聞こえた時も驚いた。同じことが職場でもあった。年末の仕事納めの慰労会のうるさい中で話している言葉が聞こえたので、皆に話しかけていく自分に驚いていた。人工内耳は人の話し声が充満している中で言葉が聞こえる効果があるようだ。

補聴器だけではコミュニケーション・レベルが非常に低い毎日の職場の中で、人工内耳はまだその力を発揮していない。
職場の会議は要約筆記の派遣があるのでまあまあ対応は出来ているかも知れない。しかし年末年始の業務体制の準備では部下や他の部署の同僚とも細かい打ち合わせは相手と電話でやり取りが必要で、上司に頼ってしまった。聞こえるものなら出かけていくがまだ人工内耳の装用を始めたばかりでとは言いたくないが聞こえない。うるさい場面でスポットライトに浮かび上がるように言葉が聞こえたようになるのを待つしかない。

今日も正月出勤した職場で仕事の手の空いた時に話しを引っ張ってみようと業務提携先の社員が結婚しているのを聞いて驚いたという話をした、それは普段の話の中で聞いて知っていたという。昔その会社の前任者がやはり結婚していたのをその本人の送別会の時に知って驚いたと振って、派遣社員のことを聞いた。
その反応が良く聞き取れずにそこで話しが切れてしまった。暇なんだから聞き返せば良かったが、補聴器時代の臆してしまう癖から抜けきれない。無駄話している中にも入るようにしてみよう。昼休みが良いか。

080101_1142~001.jpg
難聴者が、コミュニケーションの改善をしようと思ったら、何が必要か。自身のコミュニケーションの状態を客観視し、障害の内容を理解した上で、必要な対策をとることだ。
各種社会資源の利用、各種の機器の利用、補聴器や人工内耳の調整や更新、対人関係と自己の観察と自尊感情、モチベーションの高揚、情報収集と情報発信、思考と議論の訓練などやるべきことは多い。

難聴者の自立支援には、こうしたことをきちんと指導する人が必要だ。内容によって、それがピアメンターであったり、各分野の専門家だったりする。難聴者、中途失聴者のリハビリテーションプログラムは単に聴覚の代替えコミュニケーション手段の獲得だけではない、総合的な発達支援プログラムが求められている。今の我が国の障害者福祉には、これが抜け落ちている。


相手の言葉が分かるということは、自分が言葉で何を返していくのか、それが問われるようになることだ。
職場の真剣勝負の場に身を置いてこそコミュニケーション能力は研ぎ澄まされる。


ラビット 記
写真はニュータウンの高層ビルの直下にある地元の神社。おみくじの結ばれた枝には梅のつぼみが見えている。



難聴児の教育について

2007年11月30日 21時05分30秒 | エンパワメント
071111_1839~001.jpgハワイの風さんからの便りです

「成功する難聴者が持つ4つの特徴」というのは刺激的だ。
自分の体験を振り返っても、難聴は特別な障害でないこと、努力が必要なことは教わったが自信を持つこと、努力の具体的な方法は教えられなかった。

ろう者と違い、ピア・メンターやロールモデルになる難聴者との交流はない場合がほとんどだ。
中には血涙を絞るような努力をして、社会の一線にいる難聴青年もいなくはないが、コミュニケーション支援制度など社会資源の利用、開拓をせず、コミュニケーション・スキルの低いままでいる難聴青年の方が多いだろう。

普通に、社会の中で力を発揮できるように学校の中で力を身につけてもらいたい。エンパワメントで難聴者は力を発揮できる。


ラビット
………………………………
ラビットさん

昨日から明日まで、6年生のフィールドトリップで近くのキラウエア山へハイキングに毎日行っています。ハイキングコースがたくさんあるのです。一度ぜひいらしてください。


例の私が関わっている難聴の男の子のことです。

> アメリカの難聴の子供でも個人教授があるのですか?
難聴の為に学習が遅れてしまう点もあると思いますが、彼の場合、変な発音を笑われて以来友達ができずいつもポツねんとしています。休み時間なども一人でいることが多いです。
もしかしたら軽い欝か情緒障害があるかもしれません。授業にも身が入っていない様子。本当の学力はあると思いますが、勉強する気がでていない様子です。
難聴のために学習が遅れることは直接はないと思いますが、疎外感からやる気を失って徐々に学力低下、というコースは大いに考えられます。

私の役目はとにかく、私も難聴であるけど、情報保障さえちゃんとしてもらえば普通社会でちゃんとやっていけることを彼に伝えることだと思っています。

情報保障の一つとしての手話も言語の一つとして把握し誇りに思ってもらいます。クラスメートにも手話に関心を持ってもらうためいつでも手話を使っています。

勉強への意欲はこうした環境を整えてから初めて起こることです。聞こえないことをノーマライズする。
つまり聞こえなくても人間としての価値は減らない、ということを彼自身を含め周りのピアにも理解させること、が私の役目です。もちろん勉強も手伝いますが。


難聴児の親や先生方への講演会ではぜひ、上記のようなことに加えてセルフエステイーム 、ピアサポート、メンター、ロールモデルなど心理的側面についてもお話ください。

私も聴講(参加)してもいいですか。


先日送信されて来たHLAAのニューズレターに、今年のHLAAオクラホマ大会であったシンポジウムの記録がでていまして、それはまさに、一般社会にうまく適応し成功している難聴者の条件は何か、といったテーマでした。
パネラーの一人、クリコス博士の発言によれば、適応能力があって成功する難聴者には大別して次の4つの特徴があるといいます。

1)自覚と認識ーー自分が難聴であること、難聴がもたらすチャレンジ(障壁)の両方を認識している。

2)問題解決への責任を負うーー難聴になったのは自分のせいではないが、難聴であることから起こる問題に対しては自分に解決する義務があるという姿勢。
周りのせいにしない。問題解決への所有責任を持つ。

3)必要で適切な援助を周囲に求めるーー問題解決のために行動を起こす。つまり、周囲(カウンセラー、友人、家族など)にヘルプを求めたり、新しい知識を学ぶ(本、後援会
> 、ピアサポートグループなどに参加する)。

4)外交的、楽観的、リラックスしているーー難聴だからといって人間としての価値は減らないという自尊感情(セルフエステイーム)を持っている。心配したり悲観ばかりしない。

クリコス博士がいうには、上記の4要素を持っているかどうかは聴覚障害の軽重に全く関係ない、ということです。
難聴の度合いが軽くても悲観的で落ち込む人はいるし、重度の聾者でも立派に社会で適応できている人がいるのを見れば明らかですね。


こういった4条件を備えるには、障害の程度よりも性格と難聴になった年齢がむしろ関係しているといいます。そして、積極的な家族や友人のサポートがある難聴者の方がより適応能力が優れている、ということです。

ということは!!!難聴児には明るい未来がもう開けているのです。若いうちから難聴なのでそれだけで適応能力が備わっている、ということです。
それに、両親や周りの人の難聴に対する態度次第(周りのサポート)ではいくらでも楽観的、積極的な大人になれるということです。

いまから悲観しているご両親へは叱咤激励をしてあげなければなりません。
難聴児にいくら優れた積極的な資質があっても親がそれを潰してしまうようじゃ元も子もありません。

ロールモデル、メンター、親の積極的楽観的な態度、サポートすべて必要です。
そういう社会環境を小さいときから作ってあげることが親としての最大の責務と思います。


おっしゃるとおりで日本の難聴児教育はいまだに補聴器のフィッティング、人工内耳、スピーチ訓練ばかり科学的な面ばかる強調していて片手落ちです。
心理的社会的側面を取り入れたバランスのとれた教育システム、養育環境を確立することが急務です。


ハワイの風




アメリカの難聴児への多角的な支援(エンパワメント)

2007年11月27日 22時52分24秒 | エンパワメント
071127_2226~002.jpg071127_1520~001.jpgサンフランシスコの風さんが、ハワイに移住して、初めてのメールが届いた。

引っ越したばかりで始めたのが、難聴の中学生の男子に個人教師をするという。
こちらも来年の始めに、難聴学級の先生と親に対して講演を頼まれているが、権利条約のインクルーシブな教育の方向は難聴児の場合、どういうもになるのか具体的なイメージが浮かばないこともあり、何を話すべきか迷っていることを伝えたら、早速返事がきた。

個人教室と言っても、自宅で教えるのではなく、難聴児の通う中学校で普通教科の先生や特別クラスの先生と個人別教育計画の策定に加わり、教室内で特別指導もするという、補助教員のようなかなり幅のある役割を持つらしい。

こうした対応が取れるアメリカの教育システムは、その資格や費用の負担はどうなっているのだろう。
聴覚障害者に対するカウンセリングの資格を持っている彼女にはぴったりたが。
我が国の難聴児教育はろう教育と違って当事者団体の関与はないに等しい。
我が国ではかなり重度の難聴児のみ難聴学級のクラスに編成され、聴覚活用だけを強いられて、難聴者としてのロールモデルを与えられていないような気もしている。


ラビット 記

…………………
ラビットさん
私の仮の仕事は内容によってはカナダバンクーバー大会まで続くかも知れません。

私が個人教師をするのは中学生6年生(アメリカの中学は6、7、8年の3年間)の男の子で、去年までは小学5年にいたので担任も授業も皆同じでクラスの規模も小さかったのでそんなに遅れが見られなかったのですが、今年に入って様々な専門教科とその数いる教師、クラスのたびにかわるクラスメートと教室、といった変化が原
因なのか、学力が急に落ち込んでいるのです。
先週と今日見学したところ、上記のような要因もさることながら、休み時間やお昼休みに友達と一緒にいないでぽつんとクラスにいるところを見ると、どうも難聴のため仲間から疎外されている?感じなのです。
それか、本人がうつ状態になっている可能性もあります。

いずれにしても私の仕事というのは、専門教科の先生方と協力して、彼のためにさらに補助チューターとして手話を使ったり、専門教科の先生にどういう風に話したら難聴児が聞き取りやすいかとか、補聴援助装置の正しい使い方とかを説明したり、場合によってはその子を教室の隅に呼び出して苦手科目のところを特訓してあげたり
、手話を教えたりとかなりフレキシブルな業務内容です。

特殊学級にも通っている子なのでそこの先生とも話し合って彼の特別プログラムをこれから考えるところです。

なお、これは日本でも最近始まった特別支援教育?だったか、そういう個人別教育プログラムと大いに関係しています。
その子のために年に最低一回は関わる教員すべてによる(それと親)個人教育計画ミーテイングがあります。私はそれにも参加して難聴者の立場から意見を言うことになります。

そうですね、小さいお子さんの場合、親がまず障害をどう受け止めているかでその子の受けられるプログラムがかなり決まってくる場合が多いです。

私が働く学校はかなり僻地なので、その子の親が難聴児学級の或る都会へ通わせたくないのです。何しろ片道バスで2時間かかるので。
ということで普通学級の中でなんとかがんばってくれという親の希望なのです。
障害が恥ずかしいとかそういうことではないのですが、ただでさえ気難しい12歳前後の中学生のことなのでどうなりますやら。

音入れのレポートして下さい。

ハワイの風より




ドロップアウトを水際で救うメンター制度(3)

2007年11月08日 08時46分01秒 | エンパワメント
071104_1222~001.jpg071104_1211~001.jpg
欄外 高校アカデミーについて

カリフォルニア州には現在約200の高校内アカデミーがある。産学共同を実践することから、パートナーシップ・アカデミーともいう。60年代末フィラデルフィア(ペンシルバニア州)に起こり、カ州では80年初めに誕生。地域産業と提携し、専門教師の配置、少人数クラス編成、実技重視のカリキュラムに特徴がある。メンタープログラムを始め、ビジネス研修制度、校外研修、社会人ゲスト講師招聘など、地元企業がアカデミーのカリキュラム編成に深く関わる。
ユニークなアカデミーには、ロサンゼルス近郊ハリウッドにある高校のクッキングアカデミー。著名な料理専門学校が近くにあることからできた。カ高校などシリコンバレーに近い高校では、ほとんどがコンピューターや電子工学系のアカデミーである。

アカデミー入学は生徒の自由意志に基づく。ほとんどは、低出席率、低い成績評価(4段階評価で2・5以下)、無気力・無関心、経済困窮家庭の子女。行動に問題のある生徒については、
1.生徒自身への警告、 
2.教師と話し合い、
3.両親を呼び、アカデミー監察下に置く、
4.一学期間停学、の順に措置が取られる。

行動規範の元になるのがアカデミー規律。
1.他者に対する尊敬の念、2.自主性、3.誠実。
毎年授与される「アカデミー賞」には3賞あり、一つはアカデミー規範に優れた生徒に対するもの。残り2賞は,ベストアチーブメント(最優秀賞)とベストインプルーブメント(最も著しい成績向上)賞。

アカデミーの運営費は、登録生徒数と彼らの最終成績による。80%の出席率を満たし、90%の目標達成を果たした生徒に対し、カリフォルニア州政府、高校の所在する管轄学校区、参加企業とで折半する。







ドロップアウトを水際で救うメンター制度(2)

2007年11月08日 08時40分14秒 | エンパワメント
071104_1221~001.jpg071104_1221~002.jpg>ドロップアウトを水際で救うメンター制度
>
> これが教育雑誌に掲載されたときの本当のタイトルです。

ラビット 記
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「メンタープログラムでは、まず学期の初めに、どんな社会人にメンター(先輩)になってもらいたいか、生徒に希望を書かせ、その後約一ヶ月ほどで各生徒の希望に合ったメンターを探します」。

毎年新学期はメンター獲得に必死の毎日。だから、「自らメンターを見つけてきた生徒には、ボーナス点をあげて成績に加算します」。今年は53人中9人が自分でメンターを見つけてきた。

今年度(02年9月―03年6月)のメンターの主な顔ぶれは、ハイテクや教育に強い地の利を反映して、コンピュータープログラマー、財政アナリスト、医者、大学教員、心理カウンセラーなど。中には、公園管理者、政治活動家、スポーツライター、カイロプラクター、探偵、陸軍士官、理容師、音楽家などと創造的な職も見える。

このプログラムがなければ接することのない他の人種や年齢層、居住地域の人に出会うことで、「アメリカ社会に残存する差別や偏見の根を取り除くよい機会です」。


メンタープログラムの活動には、前・後学期ごとに各一回ずつあるピクニックや合同昼食会(写真参照)などがあるが、他は各メンターと生徒の創造性と自主性に任されている。会社で生徒に簡単な仕事を手伝わせたりするメンターもいる。
学校側もこのような校外活動を支持しており、生徒が希望書を提出すれば認められる。それまでふらふらしていたある生徒が、ある日から突然態度が真剣になった。聞けば、メンターに連れられて、会社の重役会議に出席し、数人の経営陣が、何兆円もの資金を運営するのを目の当たりにしたという。別の生徒で、メンター個人所有の
飛行機に乗せられ態度を変えた者もある。

「多くの生徒は、仕事や実社会で成功するための条件について誤った考えを持っています。メンターはその誤りを正し、社会の実態を知らせる格好の人材源。
地位や人種の違いを越えて、成功への真の鍵=知は力なり=を伝えてもらうのがこのプログラムの狙いです」。

学校と社会は切り離された場所ではなく、むしろ互いに利益を分かつパートナーになりうることを、メンタープログラムは示している。本当の「社会」勉強は、社会に出てからでは遅いのかも知れない。

(以下、続く)



ドロップアウトを水際で救うメンター制度(1) 難聴者のメンター制度へ

2007年11月08日 08時33分58秒 | エンパワメント
071104_1212~001.jpg071104_1214~001.jpgサンフランシスコの風さんが日本の教育雑誌に投稿した記事を本人と編集者の了解を得たので、紹介する。

> これが教育雑誌に掲載されたときの本当のタイトルです。「ドロップアウトを水際で救うメンター制度」

「教職課程」(協同出版、2003年)より

ラビット 記

写真は勤務先駅に隣接する小さなガーデンプレイスの花

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水際の生徒救うメンター制度 

 現代アメリカ教育界の頻出用語に、「アト・リスク(at risk)スチューデント」というのがある。不登校や非行を実行するまでには至らないが、学校にいて常に成績評価の最底辺をさまようドロップアウト予備軍のことだ。
データの日米比較はともかく、その対策のために米国の高校ではどんな努力がなされているか、ひとつの例を紹介しよう。

ある日、社内の回覧Eメールに「アト・リスク生徒のメンター募集」というのがあった。
募集先は地元カールモント高校(以下カ校)のビジネスアカデミー教師トム・ムーアとなっている。紹介文には、「あなたの仕事や実社会での経験を高校生に伝えてみませんか。今まで成功したことがない生徒にもやればできることを教えてあげて下さい」とある。義務は一ヶ月に最低1,2時間程度、生徒に会う時間があればよい。人
生の先輩として、ドロップアウト寸前の生徒が、刑務所や路上の住人にならないように手助けすれば、底辺層救済にかかっている税金(生活保護など)を減らすことにもなる、などと社会経済的メリットも説明している。

カ校は筆者のクライアントである障害生徒が何人か通っている高校だ。早速ムーア先生(以下ム先生)を訪ねてみた。

「アカデミーというのは、アト・リスク生徒のための、いわば高校の中の高校です。数学・英語・社会など基本教科は普通カリキュラムのまま、残りはコンピューターなどの実技訓練に力を入れます」とム先生。生徒は約140人おり(カ校全生徒数は約1,600人)、3年間通して同じ教師が担任になる。クラスの規模も普通クラスより小さい
。ム先生は3人いるアカデミー教師の一人で、2年生の必修科目、メンタープログラムの担当者である。
(以下、続く)



人工内耳とメンターについて

2007年11月06日 12時47分22秒 | エンパワメント
071104_1211~001.jpg071104_1220~001.jpgサンフランシスコの風様

早速、メールをありがとうございました。


手術する日は11月○日です。その3日後には会議があり、その翌日はセミナーで講義がありますが、医者に聞くと耳の上に絆創膏を貼っておくから大丈夫というくらいです。

ドナさんとマルシアさんには、手術を受けることをお伝えしておこうと思ったので、よろしくお願いします。

昨日、ハイブリッド人工内耳というのをウェブで見つけて、ブログにも紹介しましたが、日本で認可されるにはまた数年か5、6年はかかるでしょうね。

元SHHHのマークロス博士の論文
種々のインプラント技術
http://www.hearingresearch.org/Dr.Ross/Implants.htm


メンタリングの話は、サンフランシスコの風さんのご主人がメンターなのかあと思って、昨日見ていたのですが、私がどこかのサイトからコピーしたみたいですね。ググッて逆探知します。ありました。
http://www.jamjapan.com/jp/columns/i_media/Mentor.html

これはブログでは、urlだけしか紹介できないですがメンターを理解するには良いですね。

サンフランシスコの風さんの教育雑誌に投稿したものというのはそちらの?
これが日本の雑誌だったら、そのまま載せるわけにはいかないですね。

いろいろ、お気遣いありがとうございます。

ラビット

写真は勤務先の駅に隣接した小さなガーデンプレイスの花です



障害者の権利条約とメンター

2007年11月06日 08時43分14秒 | エンパワメント
071104_1218~001.jpg071104_1221~002.jpg障害者の権利条約のメンタリングに関する部分を伝えたところ、早速サンフランシスコの風さんから、メールがあった。

アメリカのメンター制度の充実さを知り、日本でも難聴者に対するメンタリングを始め、制度化したいと思うようになった。
相談支援員が対象者を個別に一定期間支援するイメージだが、メンタリングには障害、難聴者、社会福祉に関する一定の知識が必要だ。
メンターの条件やメンターに対するスーパーバイザー(助言)も必要だ。

また今年と同じような勉強会を開こうと申し出てくれたので、実現したい。


ラビット 記

…………………………………
ラビットさん、
今月手術を受けられるのはラビットさんのブログから存じていましたが来週とは知りませんでした。
納得行くまでリサーチされた後の決断なのだとお察します。
今のお気持ちはいかがでしょうか。心身ともに休めて万全の体制で臨まれることをお祈りします。
マルシアさんとドナさんに送る文を翻訳しますので送ってください。

ラビットさんが送ってくださったメンたリングの話はわたしが書いたものではありません。。
最初のギリシャ神話は興味深かったです。第2話はシリコンバレーにお住まいのビジネスウーマンとお見受けしました。ビジネス界でもメンターが役立っているとは知りませんでした。どなたから届いたものでしょうか。
でもよく考えて見れば、どの世界でも成功している人の陰にはメンターやロールモデルが少なからずいるものです。
当たり前のことではあるのですが、アメリカではあらゆるところでこれがきちっと制度化されており、一般市民のレベル、例えば市民ボランティア団体などでもこれがあります。
薬物やアルコールにはまった人がきっぱりそれをやめるのには必ずメンターの支えがあって、それなしでは完全脱薬・断酒は成功しません。心身障害者サポートの分野は言わずもがな、ストレスの多い教育界などでもそうです。
ちなみにわたしの主人はカリフォルニアでは10年以上教師をし、若手教師のスーパーバイザーもした経験がありましたが、最近引越ししたハワイ州の教育制度下では今年は教師1年生とみなされ、あちこちの新人研修に出かけていますし、彼にもベテランメンターがつきました。困ったことや慣れないこと、わからないことがあると早速
このメンターに相談しています。日本でも単身赴任のサラリーマンにはこういった制度があるとメンタルヘルスによいと思います。

メンターがいるのといないのとではストレスのレベルや客観的な自己評価ができるかどうかに差が出ますね。学校でも下級生に上級生のメンターがつきますし(希望者)メンターになるには教師の面接などでやる気をちゃんと問われます。

ちなみに昔、わたしがとある日本の教育関係雑誌に寄稿した校内メンタープログラムの記事を添付します。

ところでメンターの話のついでに。今年3月に情報センターをお借りして聴覚リハビリテーションのワークショップをしましたよね。。あれの第2弾をやりたいのですが、来年の3月後半か、6月か7月にいかがでしょうか(夏が第一希望)。
同じ参加者を中心にすでにメンター的な位置にいる人を対象に、ピアカウンセリングか聴覚障害者のリハビリテーション(コミ対策)について、聴衆参加型ワークショップを考えています(前回はちょっと聴衆参加の部分が足りませんでした)。まだ実験段階なので人数もこの前と同じように最大12,3人程度がよいと思いますが、いかが
でしょうか。
そして将来的にはピアカウンセリング・メンタリングの基本を一般の聴覚障害者にも広く紹介していければ本望です。


では。
サンフランシスコの風


> おはようございます。
> お元気でしょうか。国際会議の準備も本格化してきました、
> お仕事はもう退職されたのでしょうか。
>
> 権利条約の仮訳の新しいのが出ました。
> 第24条3項(a)にピアメンタリングの言葉が出ています。
> 長瀬先生たちの訳文では
> 「(a)
> 点字、代替文字、拡大代替コミュニケーションの形態、手段及び様式、並びに歩行技能
の習得を容易にすること。また、ピア・サポート〔障害のある人相互に
>
> よる支援〕及びピア・メンタリング〔障害のある人相互による助言・指導〕を容易にす
ること。」
> とピア・メンタリングが定義されています。
> ますます、この問題をしっかりおさえることが重要になりました。
>
> ところで、下記の文章はサンフランシスコの風さんから頂いたもの
> ですが、ブログで紹介してもよろしいでしょうか。
> いつ頂いたのか、ちょっと不明なのですが。
> 自分のブログとメンターでサーチしても出てこないので、まだ紹介していないものです 。
> 見出しのように、分けて紹介したいと思います。
>
> 最近のブログをご覧頂ければお分かりのように、来週、人工内耳の手術を受けます。
> ドナ・ソーキンさんとマルシア・デューガンさんに手紙を書きたいのですが、手紙の翻
> 訳の労をとって頂けますでしょうか。
>
> ラビット
> -----------------------------
> Mentor(メンター)の意味を理解して、自分にあったメンターを探す
>
(以下、略)



難聴者の聞こえる人とのコミュニケーション

2007年10月30日 09時08分59秒 | エンパワメント
071021_1634~001.jpg要約筆記の付いた会議をしている最中に自分の仕事でミスがあったことが電話でわかった。

製造を依頼すべき工場にデータが行っていない。違う工場の製造課長がサンプルの中身は何か問い合わせてきたので、連絡ミス判明したのだ。

PHSの電話が良く聞こえないのでなかなか要領を得ない。内容を思い出したが問題がつかめないでいると、受注担当は難聴の私に何とか知らせようと私のメモのある連絡書に書いてあることをいろいろ話してくる。何度も繰り返してくれる。
ようやくコードの製造工場が違うのでデータに反映していないことがわかった。

しかし、商品名が全部聞き取れない、どうやって連絡しようかと考えているとその連絡書をファックスしてくれると言う。

071021_1640~001.jpg
ファックスしてと自分が言う前に言ってくれた彼女に感謝したい。相手が聞こえまいと聞こえようと伝えようという気持ちが大事だ。

職場の仲間は、今は電話があると保留にした番号は指文字で知らせてくれる。


聞こえないので困ることはあるが、どうしたら分かるかを説明すれば理解してくれる。その説明は自分で出来ること、会社の負担になること、社会資源の利用があることなどを説明出来ることが大事だ。

この周囲に理解を得る力、コミュニケーションを上手にする方法は難聴者は学ぶ必要がある。しかし、そうしたことを系統的に学ぶがない。最近あちこちの協会でエンパワメント的な取り組みが見られるようになった。


ラビット 記
亡き父の母校、岩手大学の正門と構内にある宮沢賢治の資料館



難聴者協会の活動の転換

2007年10月30日 08時14分36秒 | エンパワメント
071028_1254~001.jpg協会の各部の活動報告を聞いているといろいろなことが考えさせられる。

普段は普通の難聴の青年、おばさん(一般名称です。念のため)が難聴者協会の会議ではおっと思うようなしっかりとした意見や提案を聞き、驚く。

就任してまだ2年目の若い部長が積極的に意見を出すようになった。
長く手話講習会の担当をしている部長の代理で参加した人は個人的意見だがと言って、受講生が減少しているのは協会の会員にも影響がある、各自治体に積極的にPRを要請すべきとか、しっかり問題点を突いた発言をしてくれた。

青年部と福祉対策部の開いたコミュニケーション力を向上させるためのワークショップや高齢者の部の担当した高齢難聴者対象の携帯電話講座がどちらも大好評だとか。
携帯講座はメーカー3社が直接説明してくれたので難聴者のニーズも伝えられただろう。
ワークショップは自己尊重(セルフエスティーム)や調和(アサーション)がキーワードだったということだ。


071028_1254~002.jpg
皆、要約筆記や磁気ループを利用する中でコミュニケーションが出来るようになっていく。元々彼等が持っていた力が発揮されている。

これは立派な自立支援だ。

要約筆記が個人であろうと集団の場であろうと、自立のためのコミュニケーション支援だ。
これを特定の団体に対する支援はしないとしてサービスを拒否することは難聴者が自立を目指す集団の活動自体を否定することで本末転倒だ。活動の中で皆自立する力を身に付けるのだ。

月末の今日、都議会に陳情書を提出することにした。


ラビット 記



障害者権利条約の内容について  「ピア・メンタリング」

2007年10月11日 12時07分36秒 | エンパワメント
071006_1031~001.jpg障害者権利条約の第24条教育の第3項(a)に「障害者相互による支援、助言を容易にすること」(政府仮訳)を保障しなければならないことが記されている。

これは、同じ障害を持つ人の「ピア・サポート及びピア・メンタリングを容易にすること」(川島・長瀬仮訳)のことだ。


ピア・メンタリングは聴覚障害者のエンパワメントにはまだ馴染みが薄いが、自らの経験や知識を元に助言や指導する活動で、企業活動でも女性起業家によるメンタリングが活発に行われている。


難聴者、中途失聴者などが協会に所属して活動している場合、障害の受容、多様なコミュニケーションの方法、聴覚障害者の福祉制度、耳マーク普及などの社会啓発活動の意義などを学んでいる。

しかし、多くの場合は会員の仲間から学ぶが系統的に学ぶ場がない。
また、活動の経験はあってもそのことをどのような立場でどう伝えるかは知らないでいる。


071006_1032~002.jpgギャローデッド大学には、難聴に関わるピア・メンター養成講座があり、社会的、心理学的に分析された難聴者の置かれた状況、技術的サポートなどを専門家から学ぶ。
http://blogs.dion.ne.jp/rabit/archives/5357335.html (2007年4月1日)を参照。

http://www.peers4access.org/about.html

ろう者はろう学校でアイデンティティを育み、コミュニティを形成するなかで学ぶが、難聴者にも系統的に概観を学ぶ必要な場が欲しい。


権利条約に記されたことで、わが国でもこうしたピア・メンタリングの講座が必要な時期に来ている。


ラビット 記



難聴者のエンパワメントを再カテゴライズ

2007年09月28日 11時13分58秒 | エンパワメント

070922_2055~001.jpg難聴者のエンパワメントに関する記事を、「エンパワメント」再度カテゴライズした。

記事の大分類(カテゴリー)の「エンパワメント」で、記事を一覧できる。
または、下記から。
http://blogs.dion.ne.jp/rabit/archives/cat_249817.html

キーワードは、セルフ・エスティーム、エンパワメント、ピアメンター、精神対話士など。

サンフランシスコの風さんの問題提起が新鮮だ。

ラビット 記