老い生いの詩

老いを生きて往く。老いの行く先は哀しみであり、それは生きる物の運命である。蜉蝣の如く静に死を受け容れて行く。

322;2つの笑い

2017-08-21 17:00:34 | 老いの光影
2つの笑い元教師

いまはまだら認知症で86歳の女性
週に3回デイサービスを利用されている
スタッフの言葉や動きを
よく人間観察している

或る日
ふと私に呟く
心から笑っている人の顔は
気持ちが安らぐ
仕事の笑いは
嘘の笑い つくり笑いなので
気持ちが伝わらない

言葉も同じ
同じ言葉を話されても
気持ちが伝わらない言葉もあれば
本当に心配してくれている言葉もある

ひとりで暮らしていると言葉を忘れてしまう
デイサービスに来ると
人間の声が聴こえる
コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

321;北條民雄“いのちの初夜”(ハンセン病文学)からみた介護論(4)

2017-08-21 11:48:53 | 文学からみた介護
北條民雄“いのちの初夜”(ハンセン病文学)からみた介護論(4)<
編集委員 大岡信 大谷藤郎 加賀乙彦 鶴見俊輔『ハンセン文学全集』1(小説)皓星社:北條民雄「いのちの初夜」3~28頁


(4)

隔離収容施設に入所し、最初の夜(初夜)を迎え悪夢から目が覚めた尾田、
全身に冷たい汗をぐっしょりかき、胸の鼓動が激しかった。
深夜の病室を見渡すと、「二列の寝台には見るに堪へない重症患者」の光景が眼に映り(22頁)、
癩菌は容赦なく体を食い荒らし死にきれずにいる癩病患者の生き様に、
尾田は「これでも人間と信じていいのか」と感じ、まさに「化物屋敷」であると(23頁)。
小説を書いていた佐柄木は、筆を止め「尾田さん。」と呼ぶのであった。
同室の癩病者(男性患者)は、癩菌が神経に食い込んで炎症を起していて、一晩中呻きやうな切なさですすり泣いている。
「どんなに痛んでも死なない、どんなに外面が崩れても死なない。癩の特徴ですね」と、佐柄木は話す。(25頁)
ある癩病患者(男)は、咽喉に穴があいていて、その穴から呼吸しながら五年生き延びてきた。
頚部には二、三歳の小児のような涎掛けがぶらさがっていた。
癩重病患者が棲む(住む)隔離収容施設(病院)の内部は、異常であり怪奇な人間の姿が繰り広げられていた。

佐柄木は、癩病者として生きていくことへの思いを、興奮しながら尾田に語るのである。

「人間ではありませんよ。生命です。生命そのもの、いのちそのものなんです。
・・・・ただ、生命だけが、ぴくぴくと生きているのです」
「廃人なんです。けれど、尾田さん、僕らは不死鳥です。
新しい思想、新しい眼を持つ時、全然癩者の生活を獲得する時、再び人間として生き復るのです」(26頁)。


佐柄木が尾田に熱心に語ったところは、この小説の核心部分である。
癩病患者としての苦悩や絶望から抜け切れないのは、過去の自分を探し求めているからだ。
癩病に罹ってしまった自分は、
(もう)人間ではなく、「癩病に成り切る」ことで、再び人間として不死鳥の如く蘇る。
尾田は癩病を宣告され、病室に案内された後も死のうと思い松林の中に行ったものの死に切れない。
同室の重病癩者から見れば、(現在の)尾田はまだ軽症ではあるが、彼らの姿はやがて自分も同じく癩菌により体が蝕まれていく。
死への不安、苦悩、絶望を抱き、悶々としながら癩病者が棲む病院で、
初日の夜を迎えた彼は、
黙々と重病患者に対し献身的に尽くす佐柄木から、
癩病者であっても「いのちそのものなんです」「癩病者に成り切ることです」「きっと生きる道はありますよ」と話しかけられた。
尾田は、癩病者として「生きて見ること」を思いながら、夜明けを迎えた。


「苦悩、それは死ぬまでつきまとって来るでせう」(28頁)。
佐柄木は盲目になるのがわかっていても癩病者として生きている人間の「いのちそのもの」を、
新しい思想、新しい眼で捉え、書けなくなるまでペンを持つと語る言葉に、
尾田と同じくこれからどう生きていけねばらないのか考えさせられた。

癩病が進行しこの世とは思えない「人間ではない」姿になっても、それでもなお生きており、「いのちそのもの」であること
そして再び人間として生きていく癩病者の「いのちそのもの」を感じとった初めての夜、尾田にしてみればまさに『いのちの初夜』であった
コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

320;犬助け

2017-08-21 04:03:36 | 犬と人間
犬助け

今日は人助けではなく犬助け
那須アウトレットに行こうと
ラパンショコラを運転していたら
目の前に柴犬似の雑種犬が
舗装道路にうずくまっていた
ショコラから降り犬の傍に近寄った
「犬君」と声かけても反応なし
体を揺すってもピクともせず
死んでしまったのかな、と思いきや
犬は突然目が開き
よろよろしながら立ち上がった
「あっ! 生きている」
嬉しくなった
が、極限の空腹のせいか
歩くもふらふらであった
私の足元にすり寄り体をつけてきた

薄く剥がれた青色の首輪をしていた

(野良犬ではなかった)
毛並みは艶もなく老犬であった
老犬になり心無い飼い主が遺棄したのであろうか
そうだとしたら許せない


助手席にいた妻は
「家に戻りドッグフードと水を持って来ようよ」
と話しかけられ
私はショコラをUターンさせ自宅に戻った

ドッグフードと水を持ち
元の場所へ戻る
犬君では味気ない呼び方なので
「清水」と呼んでみた
缶蓋の容器にドッグフードを入れ
老犬の前に置いたが
警戒し食べようとはしない
妻が掌にフードを乗せ口元に差し出すと
安心したのか老犬は食べ始めた
体が衰弱しているとき
人間も介助により口元へ運んでやると
病人は口にする
掌には温もりがある
喉も乾いていると思い
容器にペットボトルの水を灌ぐ
老犬の体に水が沁み込んでいく

老犬は舗装道路の端を歩き
足元もふらつきはなくなってきた
交通事故に遭わないよう
後ろ姿を見送った
コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

319;あると思うな親と金と時間

2017-08-20 16:59:31 | 老いびとの聲
川の流れは時間の流れと似ている。
もとの水にあらず(方丈記)、
今日の時間は明日にはあらず

あると思うな親と金と時間   

 齢(とし)をとったせいか{嫌だねこの言葉}
今日は日曜日であるのにもかかわらず
早起き鶏よりも早く目が覚め 3時に起きてしまった
妻は「眠り姫?」なので
私が寝床から 静かに起き出しているつもりなのだが
「眠れない。日曜日くらいゆっくり寝せてよ」と小言を頂く
隣りに寝ているbeagle・gennkiまで起きだす


今年は真夏がなく過ぎ 秋に移り往くのか
陽は短くなり 5時過ぎてようやく明るくなる
春分の日を過ぎると これから陽が長くなり 心楽しくなる
秋分の日が近づくにつれ これから陽が短くなり 心寂しくなる
齢を重ねていくほど 
時間は早く通り過ぎてしまう、と感じる
過ぎた時間は戻らず 
残された時間は少なくなるばかり
人生は砂時計のようなもの
「あると思うな親と金」
それに時間を付け足し

「あると思うな親と金と時間」
徒に時間を浪費することなく
明日なき今日{いま}を生きていこうとしようか

コメント (2)
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

318;北條民雄“いのちの初夜”(ハンセン病文学)からみた介護論(3)

2017-08-20 11:56:57 | 文学からみた介護
北條民雄“いのちの初夜”(ハンセン病文学)からみた介護論(3)
編集委員 大岡信 大谷藤郎 加賀乙彦 鶴見俊輔『ハンセン文学全集』1(小説)皓星社:北條民雄「いのちの初夜」3~28頁

(3)

重病者に献身的に尽くしている佐柄木の姿を目の当たりにしながら、
尾田は彼に親しみと同時に嫌悪を感じながら、
病室から飛び出し、病院の裏にある松林へ這入った。
枝に巻き着けた帯に首を引っ掛け死のうとする。
歩く人の足音が聞こえてきたので、
あわてて帯から首を引っ込めようとしたとたんに、
穿いていた下駄がひっくり返り危く死に損なった。
「尾田さん」と「不意に呼ぶ佐柄木の声に尾田はどきんと一つ大きな鼓動」を打ち、
危険く転びそうになる体を支えた。
佐柄木は、「死んではいけない」と咎めることもなく
「僕、失礼ですけど、すっかり見ましたよ」
「・・・・やっぱり死に切れないらしですね。ははは」(16頁)、
「止める気がしませんでしたのでじっと見ていました」(17頁)。

続けて佐柄木は優しさを含めた声で彼に話かける。
「尾田さん、僕には、あなたの気持ちがよく解る気がします。
・・・・僕がここへ来たのは五年前です。
五年前のその時の僕の気持ちを、
いや、それ以上の苦悩を、あなたは今味っていられるのです。
ほんとうにあなたの気持、よく解ります。
でも、尾田さん、きっと生きられますよ。
きっと生きる道はありますよ。
どこまで行っても人生には抜路があると思ふのです。
もっともっと自己に対して、自らの生命に謙虚になりませう」(17頁)。

彼は尾田に「癩病に成り切ること」で「生きる道」が見つかると励ましながら、
佐柄木は重病者の介護に当たるのであった。
ここでもまた佐柄木の言葉から、生きるとは、介護とは、何かを教えられるのであった。

「じょうべんがしたい」と訴える重病者の訴えに、
佐柄木は「小便だな、よしよし。
便所へ行くか、シービンにするか、どっちがいいんだ」と問いかけるのである

彼の言葉(彼の排せつケア)から、あなたは何を感じましたか。
重病者は両膝の下は足がなく、歩くことができないこともあり、
「しょうべんがしたい」と患者から訴えられたら、
何も考えずに当然の如く尿瓶をもっていき排せつ介助を行なうのが普通である。

佐柄木は相手に「便所へ行くか、シービンにするか、どっちがいいんだ」と選択肢を与え自己決定を促していることである。
援助とは何か、援助のあり方について、佐柄木を通して北條民雄は教えてくれている。
「佐柄木は馴れ切った調子で男を背負ひ、廊下へ出て行った。
背後から見ると、負はれた男は二本とも足が無く、膝小僧のあたりに繃帯らしい白いものが覗いていた」(18頁)。

「なんといふもの凄い世界だろう」。
この中で佐柄木をはじめ多くの癩病者が「生きるといふのだ」と尾田は胸に掌をあて、何もかも奪はれてしまって、唯一つ、生命だけが取り残されたのだった」(18頁)と感じるのであった
コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

317;上手な介護サービスの活用処方 第3話「認定調査の項目」 ①

2017-08-20 03:15:03 | 上手な介護サービスの活用処方
 上手な介護サービスの活用処方 第3話「認定調査の項目」①

認定調査員からの質問により
受身的に認定調査を受けるのではなく
認定調査を受ける本人及び家族の介護者が主体者である


主体者であるからこそ認定調査の項目とその内容を知っておくことは大切
それは
介護を必要とする本人の状態を、認定調査員に正しく伝えることにつながる

認定調査は74項目あり
6回(①から⑥まで)に分け、調査項目の内容を紹介していく

まず認定調査票の構成は3つに分かれている
「概況調査」「基本調査」「特記事項」


概況調査;調査実施者(認定調査員)、調査対象者、現在受けているサービスの状況、置かれている環境(家族状況、住宅環境、傷病、既往歴等)

基本調査;調査項目は5群に分かれている
     第1群 身体機能・起居動作           13項目
     第2群 生活機能                12項目
     第3群 認知機能                 9項目
     第4群 精神・行動障害             15項目
     第5群 社会生活への適応             6項目
     その他 過去14日間にうけた特別な医療について 12項目
     ※該当する箇所をレ点で記載していく

特記事項;基本調査の選択根拠の確認、介護の手間と頻度の3つのポイントを聴き取りにより筆記する

特記事項に記載された内容は、介護認定審査会にとって、介護の手間や頻度がどのくらい要しているのか重要な情報源になる
     
※基本調査(第一次判定)は、介護の手間は「量」として検討されているため
認定審査会(第二次判定)は、実際に行われている介助や対応などの介護の手間がどの程度発生しているのか。
 つまり介護の手間を、「量」で表現するには介護の手間がイメージしずらいところがあり、言葉により介護の手間を記載することで具体化させることにある


認定調査員の聴き取り能力は、調査員によって差が生じ、第一次判定結果にも微妙な違いが生じる(人間のやることですから・・・)
それだけに認定調査員まかせではなく、本人及び家族の介護者から積極的に、介護の手間や頻度(介護の大変さ)を話していくことはとても大切
話された内容が、特記事項に記載される

コメント (2)
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

316;心の襞(こころのひだ)

2017-08-19 17:09:06 | 老いびとの聲
心の襞(こころのひだ)

不安は 乾いた灰色の空
介護は 先が見えぬ曇り硝子
あなたが生きていることで
生きる励みになり
辛さも悲しも切なさも喜びも感動も
心の襞となる
コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

315;上手な介護サービスの活用処方 第2話「認定調査の受け方」

2017-08-19 13:23:25 | 上手な介護サービスの活用処方
 上手な介護サービスの活用処方 第2話「認定調査の受け方」

「介護保険要介護認定・要支援認定申請書」を提出すると
市役所また町村役場の介護保険の担当者から
要介護認定調査の日時について電話がかかってくる。

「介護保険要介護認定・要支援認定申請書」を提出してから
だいたい1週間位で、要介護認定調査員が自宅に訪れる

初回の要介護認定調査は、原則市町村の職員が行う

認定調査員は、『要介護認定 認定調査員テキスト』を基に講習(研修)を受け
認定調査を実施する

認定調査員のなかには、老人介護や認知症老人に詳しい人もいれば、理解されていない人もいる
認定調査員テキストに沿って、認定調査が行われる

認定調査は、60分前後要する
本人面接となり 家族からも意見聴収される
(普段介護をされている方が同席されるとよいでしょう)

明治、大正、昭和ひとケタ生まれの老人は
市役所、町村役場は「お上」という意識を持っている
認定調査員の前では
本人は緊張し、頑張り
普段できなかったことが、できてみたり
わからなかった年齢を正確に答えたりなど
意外な一面を見せることがある。


本人は 普段「できていない」ことを「できる」と話したり
また「介助されている」のに「介助されていない」と答えたり
年齢相応の物忘れ程度しかないような印象で
認定調査を終えてしまっては、
本人の状態が正しく認定調査員に把握されないことになる


家族は、普段なされている介護の手間(介護の様子)を認定調査員に伝えていくことがとても大切になってくる

【例1】実際に立ち上り「歩く」ことができた
本人は「歩く」ことができれば、基本動作も介護上の問題はなく通過してしまう。
しかし、本人は歩けることで
、「認知症があり、夕方や夜間になると外に出て歩き出す。転倒し顔や手足に擦り傷をつくり、目が離せない」などと話すことで、介護の手間を伝えることができる
先程家族が話した内容は、他の調査項目に
「徘徊」「一人で外に出たがり目が離せない」「外出すると戻れない」
があり、その項目に関連づけて調査員は家族に尋ね返してくる。


【例2】トイレで排尿ができる
本人は、トイレで排尿はできるが、洋式便器の前の方に坐っているため(後ろの方に深く坐るよう何回話しても出来ない)、便座や床はオシッコで汚れ、その都度トイレ掃除をしている。また下着やズボンをオシッコで濡れたままで、居間にいたりしていることもある」。
このように、家族から実際に要している介護の手間を認定調査員に伝えていくことが大切。


【例1】【例2】はひとつの事例であるが、食事にしても、むせるためキザミやトロミにしたりしていることなども介護の手間である。
また、認知症老人を抱えてる家族の悩みも大きいと思う。
毎日の介護で大変ではあるけれど

認定調査の前に
日々、認知症老人の行動で困っていること(頭をかかえていること)や日常生活に支障がでていることなどを
箇条書きにメモをしておくとよいでしょう。
そのメモを見ながら認定調査員に話すことで
話したいことが漏れてしまうことがなくなる。


人は 来訪者があることで
部屋を掃除したり着替えたりするが
そのようなことはしなくてよいのです


認定調査の場合は
認定調査員に
普段の生活の様子をありのままを知ってもらうことが大切
寝室、ベッド周りや居間も後片付けや掃除をせずそのまま
本人が何枚も重ね着したり、季節に合わない衣服であってもそのまま
恥じることはないのです


介護は手抜きが必要であり大切なことである










コメント (2)
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

314;ひと夏の体験もなく秋の風

2017-08-19 10:13:15 | 老いびとの聲
ひと夏の体験もなく秋の風

再び梅雨が訪れた8月の空
蝉の声は鳴きやみ
烏が鳴く
真夏は何処かへ消え去り
ひと夏の体験もなく
(経験ではなく)
朝夕 秋の風を感じる
コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

313;北條民雄“いのちの初夜”(ハンセン病文学)からみた介護論(2)

2017-08-19 05:02:09 | 文学からみた介護
北條民雄“いのちの初夜”(ハンセン病文学)からみた介護論
編集委員 大岡信 大谷藤郎 加賀乙彦 鶴見俊輔『ハンセン文学全集』1
(小説)皓星社:北條民雄「いのちの初夜」3~28頁

              (2)
 病棟に足を踏みいれると、顔からさっと血の引くのを覚えた。
「奇怪な貌(顔)」があり、
「泥のやうに色艶が全くなく、
ちょっとつつけば膿汁が飛び出すかと思はれる程
ぶくぶく張らんで」いた(9頁)。

看護師は尾田に、同病である佐柄木を紹介され、
この方がこれからあなたの附添人であると説明を受けた。
初対面の挨拶をして間もなく彼は佐柄木に連れられて初めて重病室に入った。
そのときの光景を見た彼は驚愕してしまった。

重病室の光景は
「鼻の潰れた男や口の歪んだ女や骸骨のやうに目玉のない男などが
眼先にちらついてならなかった。
・・・・・膿がしみ込んで黄色くなった繃帯やガーゼが散らばった中で
黙々と重病人を世話している佐柄木の姿」(11頁)に、
尾田は考え込んでしまう。
尾田をベッドに就かせた後も
佐柄木は、重病者の世話(介護)を続ける。

引用が長くなってしまうが彼がどのような介護を為しているのか、紹介していきたい。
佐柄木の為す介護姿に学ぶべき多くのことを感じたからである。

「佐柄木は忙しく室内を行ったり来たりして立働いた。
手足の不自由なものには繃帯を巻いてやり、
便をとってやり、
食事の世話すらもしてやるのであった

けれどもその様子を静かに眺めていると、
彼がそれ等を真剣にやって病人達をいたはっているのではないと察せられるふしが多かった。
それかと言ってつらく当っているとは勿論思へないのであるが、
何となく傲然としているやうに見受けられた。
崩れかかった重病者の股間に首を突込んで絆創膏を貼っているやうな時でも、
決して嫌な貌を見せない彼は、
嫌な貌になるのを忘れているらしいのであった

初めて見る尾田の眼に異常な姿として映っても、
佐柄木にとっては、恐らくは日常事の小さな波の上下であらう」。

尾田が感じた重病室は異様な光景であり、
彼の附添人である佐柄木は重病室のなかで息つく暇もなく介護をしている。
重病者の介護をしている佐柄木の後姿は、
同情や憐憫の情でしているのでもなく、
重病者につらく当たり愚痴をこぼしているわけでもなく、
黙々と立働いている。
そうした介護は「日常事の小さな波」の如く普通の行為として為されている。

いま、特別養護老人ホームは、要介護5の状態の入所者が多くなってきており、
介護保険型医療施設では気管切開や胃ろう増設などの患者が占め、
佐柄木のような介護がなされているのだろうか。

依然、筆者は東京板橋区にあるT老人病院に看護助手(介護員)として
3ヶ月研修に通っていたときのことである。
老いた男性患者が四肢(両手両足)が拘縮しベッドに一日中寝ていた。
オムツ交換時のことである。
話すことができないと思っていた看護師は、
多量の軟便失禁をした彼を叱り、
拘縮した両足を力まかせに開き小言を言いなが雑に臀部を拭きオムツを取り換えたのである

彼にしてみれば凄い痛みや屈辱的な「介護」を為されても無言の抵抗で介護者を睨んだままであった(実は彼は話ができるのである)。

「崩れかかった重病者の股間に首を突込んで絆創膏を貼っているような時でも」、
佐柄木は決して患者に当たらず嫌な顔もみせなかった。
手がかかるような多量の下痢便や軟便失禁をしたとき、
つい小言を吐き、「介護してあげている」介護に陥ってはいないか、
佐柄木の介護を通し自問自答(反省)してみる必要がある。
介護とは何か・・・・
コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

312;北條民雄“いのちの初夜”(ハンセン病文学)からみた介護論(1)

2017-08-18 10:00:08 | 文学からみた介護
北條民雄“いのちの初夜”(ハンセン病文学)からみた介護論
編集委員 大岡信 大谷藤郎 加賀乙彦 鶴見俊輔『ハンセン文学全集』1
(小説)皓星社:北條民雄「いのちの初夜」3~28頁

北條民雄『いのちの初夜』の文庫本を手にしたのは、
高校2年生のときであった
この本を教室で読んでいたとき
『いのちの初夜』という書名を女の子に見られ
好奇な目で嘲笑された苦い体験があった
このとき、私自身なぜ北條民雄が『いのちの初夜』というタイトルにしたか
理解できないでいた。
暫くこの文庫本は、書棚に眠っていた。
老人介護の世界に入り
ふと『いのちの初夜』を思い出し手にしたのは
29年前、36歳のときであった。

(1)
 癩病(らいびょう)はハンセン病とも言われている。
癩病はどんな症状であるのか、
『いのちの初夜』(15頁)に分かりやすく書かれている。
「どれもこれも癩(くづ)れかかった人々ばかりで」
というように表現されているように、
皮膚、筋肉が癩れ(崩れ)膿汁がしみだしている状態にある。
半年前に癩病であることを医師から宣告を受けた尾田高雄は、
ぽくぽくと歩きながら病院(隔離収容施設)へ向かう。
その途上で彼は
「一体俺は死にたいのだらうか、
生きたいのだらうか、
俺に死ぬ気が本当にあるのだらうか、
ないだらうか」
と自ら質(ただ)して見るのだが、
決心がつかないまま(4頁)、

病院の正門をくぐってしまう。
診察を受けた後、
看護師の風呂場に連れて行かれ、そこでは「消毒しますから・・・」
と言われ、
脱衣室とは口にも言えず、
「脱衣籠もなく、唯、片隅に薄汚い蓙(ござ)が一枚敷かれてあるきりで」(8頁)、
尾田は激しい怒りと悲しみを覚えた。
消毒液が入った浴槽から出た後、
棒縞の着物を着せられ
「なんといふ見すぼらしく滑稽な姿」
に苦笑している間もなく、
所持していたお金は病院内だけしか通用しない金券に交換されてしまった。
「親爪をもぎとられた蟹のように」なった自分の惨めさであり、
そこは監獄のような地獄のような世界であった
コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

311;変わらぬもの

2017-08-18 00:00:08 | 老いびとの聲
変わらぬもの

多くの人たちは
渋滞にもめげず
故郷をめざす

故郷は遠くに在りて想う
人間の心は変わっても
故郷の風景は変わらぬ
その故郷には
父母は亡く (´;ω;`)ウッ…
墓の傍らに
秋桜が咲いていた

コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

310;心配ごと

2017-08-17 16:21:23 | 老いびとの聲
心配ごと 

雨続きの天候不順で
米の生育が心配

朝夕雨続きのため
一人息子の排せつが心配

gennkiは外でウンション)

コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

309;疎まれても生きる

2017-08-17 10:57:20 | 老いの光影
疎まれても生きる

私がいまかかわらせて頂いている老人の最高齢は108歳 安達サタさん
次いで長寿な人は95歳の男性 小畑實さん(要介護2)。
60歳定年までは家畜の飼育を行い、その功労が認められ農林大臣賞を受賞
定年後は地域の民生委員や区長など地域社会においても貢献されてきた
90歳前後に認知症が発症
一時財布がない (長男嫁が)財布を盗った」などと被害妄想が出現するも
認知症の専門医に受診し服薬により物盗られ妄想は消失した
認知症症状は小康状態となるも 尿がでなくなり膀胱留置カテーテルとなった
カテーテルが足に引っかかり転倒し、腰椎圧迫骨折となり入院
退院後、週3回の小規模デイサービスを利用開始 


在宅訪問だけではなかなか見えにくいところがある
デイサービスに通い始め、昼食時の様子をみたとき
小畑實さんが抱えている問題が見えてきた
食に飢えている老人は
家族愛に飢え 家族から疎まていることがわかる
三食をきちんと食べておらず 栄養不足 水分不足から
熱を測ると37.0℃台の微熱、高熱は常にあった
お茶などの水分を摂り、95歳ながらも他の老人と同じ量を食べると元気になる
長男夫婦からは「その死を望まれながらも、なお生き続ける」實さん。
老いてからも 食べる営みは生きることに繋がっていることを
デイサービスのなかで実感した。
自宅で余り食べておらず栄養不足な老人は
週3回デイサービスの昼食を摂っても
微熱や青白い顔をし、足の運びも悪く、改善することは難しい。
週6回デイで昼食を摂るようになると
微熱は消失し顔色も良くなる、歩きも良くなり、体重も増えてきた。
家で疎まれている實さんも
週6回にすれば改善することが予想される
95歳が毎日デイサービスに通う体力はあるか
というよりは
老人の場合は 1食でも良いから きちんと食事を摂ることで
頭や体に栄養が行き渡り、体力が回復し元気になる。


55;丹羽文雄著『厭(いや)がらせの年齢』 《一部再掲》

86歳の老女、うめは、娘夫婦に先立たれ、
孫娘にあたる仙子夫婦と独身の瑠璃子(るりこ)、
幸子夫婦の間をたらいまわしされている。
孫娘たちから、その死を望まれながらも、なお生き続ける老女。
昭和22年頃の日本の状況は、敗戦直後で食糧難にあり、
そこへ惚(ぼ)けた(認知症)86歳の老女を抱え込むことになった孫娘夫婦にしてみれば大変なことであった。
86歳という年齢は、当時の日本の平均寿命からいっても、
とうに死んでもおかしくない年齢であった
(現在に換算すると100歳を超えていることになる。当時の平均寿命は50歳代)。
ここまで生き続けているうめの生命力、
周りの肉親すべてから死を望まれ疎ま(うと)れていながら、
なお生き続ける。
生きるとは、老いとは何か、
また人間のエゴの醜さ(みにく)も鋭く問い詰められたような短編小説である。


55;人間 なぜ生きなければならないのか / 丹羽文雄著『厭(いや)がらせの年齢』 全文参照して頂ければ幸いである
コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

308;村役場から誕生日プレゼントが届いた・・・・

2017-08-17 00:00:08 | 老い楽の詩
村役場から誕生日プレゼントが届いた・・・・

昨日仕事から帰り
自宅のポストを開けたら
村役場から封筒が届いていた
開封すると
緑色の介護保険被保険者証が入ってあった
(交付年月日は平成27年7月31日)
介護保険料は年金から天引きされる
天引き開始になるまでは
本人預金通帳から引き落としする申請書類も同封されていた

65歳の線を越えても
私で在ることは 変わりはない
いま為している介護相談、ケアプラン作成の生業を
やれるところまで続けていく
物忘れが目立ち 歩くこともままならなくなったときは
介護サービスを利用することとしよう
嫌われない老人に努力していこうと思う
いまから・・・・
コメント (2)
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする