HIBARIピアノ教室レッスン日記♪

ピアノのレッスン日記、その他ヒバリ先生が見聞きした音楽関係・芸術関係etcの日記。

目を閉じよ。そしたらお前は見えるだろう

2016年02月14日 | 音楽のツボ
これは、サミュエル・バトラー(19世紀イギリスの詩人・作家、1835~1902)の言葉であります。
今日の「題名のない音楽会」・辻井伸行さんのピアノ演奏を見ていて、この格言を思い出しました。

ご存じのように、辻井伸行さんは盲目のピアニストです。
楽譜はもちろんのこと、鍵盤も自分の手も 何にも見ないで弾いているわけです。
何も見ないで弾く・・・ 一体どんな気分なんでしょうか。

天才ピアニストで、しかも見ないで弾くことに慣れている辻井さんならまだしも、私たち一般人がそんなことをしたら、不安だらけで演奏どころじゃないんじゃない?と思いますか?
ところが、そんなことはないんですよ。

私は時々、目を閉じてピアノを弾いてみることがあります。
するとどうでしょう。
目を閉じたその瞬間から、右手、左手、そして両手が受け持って奏でている旋律やリズム、ベース・・・
それらがたちまち、あっと驚くほどくっきりと浮き上がって聞こえてきます!
まるで魔法の世界に入ったように、自分の弾いている音が立体感を持って聞こえてくるんです。
バッハやスカルラッティなど、バロックの多旋律曲など目を閉じて弾くと、ほんっとに至福の音楽になるんですよ!


上手に弾いていれば上手に聞こえますが、反面、自分の弱点がモロに際立って、どこがいけないかもはっきりわかります。
生徒のみなさんなら、目を閉じて弾いてみたら「あっ、先生に注意されていた所がよくわかった」と気付けると思います。

そう、「目を閉じよ。そしたらお前は見えるだろう(わかるだろう)」なんです。
もちろんこの格言には、ほかの深い意味も含まれていて 「目」は比喩的に用いられてる面もあるんですが、今日は単純に、実際の「目」としての解釈のみにとどめます。

目というのは、人間の体の中でもとても強い器官なので、ほかの耳とか触感とかに先んじて、まず情報を取得してしまいます。
ある事物に対峙した時には、まず目からの情報がどっと入ってくるので、うっかりすると その他の音とか香りとか皮膚感覚とかを意識しないまま、目で見ただけでわかった気になってしまいがちです。
そのものの重要な情報を見逃してしまうことも ままあるのです。
それに対して、辻井伸行さんやスティービー・ワンダーのように「目からの情報」がない人は、強い「目」からの巨大な情報が入ってこない分、ほかの器官・・・特に耳からの情報に たっぷり神経を注ぐことができています。
その分、音楽の美しさ・幸せ感を我々一般人の数倍も鋭く感じていることは間違いありません。
音楽家としては、ある意味とても幸せと言えませんか?

あなたも、試しに目を閉じて弾いてみてごらんなさい。
私の言ってることが実感できると思います。

いいこと教えてあげるけど、歯を磨くとき・・・とくに鏡にも写らない奥の歯を磨くときとか、首の後ろで細いネックレスチェーンの留め金を留めるときとかに 目を閉じてごらん。
ちゃんと「見える」んだよ! 
「目を閉じよ。そしたらお前はみえるだろう」
これほんと!

題名のない音楽会・辻井伸行さん

2016年02月14日 | TV・映画・ステージなど
本日の「題名のない音楽会」では 若きピアニスト・辻井伸行さんが ベートーヴェンの「皇帝」を演奏しました。(30分の番組なのでダイジェスト演奏ですが・・・)

辻井さんは少年の頃から数々のコンクールで入賞し、ピアニストとして活動していましたが、2009年にアメリカのファン・クライバーン国際ピアノコンクールで、日本人では初めての優勝を果たしてからは、ますます活躍の場を広げています。

辻井さんの演奏を見て(聴いて)いると、本当にピアノが好きなんだなあ、と心から思えます。
今日の演奏はコンチェルトですから、オーケーストラとの共演です。
大人数、大迫力のオーケストラの存在を背後に(左に)たっぷりと感じながら、すごくハッピーな気分で音楽に没頭している。そんな感じ。
弾いてるのがうれしくてたまらないし、自分が音を出していないときも、オーケストラの演奏を体中で感じて そこに身をゆだねている。

一瞬、カメラアングルの関係で 第一ヴァイオリンの人たちと辻井さんが 同じショットの中に入ってるのを斜め上方から捉えたシーンがありましたが、まるで彼自身も第一ヴァイオリンのメンバーの一人であるかのように、ヴァイオリン奏者の人たちのボーイングと 全く同じ動きで体を揺らしながら リズムに乗っていた!
皆さんご存知のように、彼は盲目なんですから、目で見て動きを合わせてるわけじゃない。
それなのに、ヴァイオリン奏者たちとピッタリと揃った動きをしてるのです。
「ほかの人と一緒に、音楽を共有する」ことの喜びが、体全体にあふれていた 辻井さんのショットでした。

彼が盲目だからということで 余計な同情をされたり、奇異な目で見られたり、また 余分な美談風のことがくっついて必要以上に注目されたり、ということもないとはいえないでしょう。
けれども、彼がピアノが大好きで、全身全霊でピアノ音楽に打ち込んでいて、世界的にもかなりの評価を得ているということは事実です。

まだ若い彼が、これからもずっと、今の輝くような笑顔、音楽への純粋な気持ちを持ち続けて、幸せに活躍を続けてくれますようにと心から願っています。