あんまり機械に詳しい方ではないし、
むしろ仲良くしてもらえない(あくまで相手のせいにする)ので、
新しいのが出たから、って飛びつくこともなく。
実は最近、ケイタイの機種変をしましたが、
スマートフォンは初めから考えてなくて。
ところが、この間お稽古に行ったら、
師匠がスマートフォンに変えてました!
チューナーとかメトロノームをダウンロードできるし、
けっこう長時間録音もできるし、
これ一台あれば間に合っちゃうらしい。
なるほど。
そういうの知ってたら、もうちょっと考えたかも。
まぁ、もう遅いけど。
うーん…でもやっぱりケイタイは折りたためなきゃイヤかも。
むしろ仲良くしてもらえない(あくまで相手のせいにする)ので、
新しいのが出たから、って飛びつくこともなく。
実は最近、ケイタイの機種変をしましたが、
スマートフォンは初めから考えてなくて。
ところが、この間お稽古に行ったら、
師匠がスマートフォンに変えてました!
チューナーとかメトロノームをダウンロードできるし、
けっこう長時間録音もできるし、
これ一台あれば間に合っちゃうらしい。
なるほど。
そういうの知ってたら、もうちょっと考えたかも。
まぁ、もう遅いけど。
うーん…でもやっぱりケイタイは折りたためなきゃイヤかも。
民謡で「正調○○節」なんていうのがあって、
よく例に挙げられるのがコンクールもある「江差追分」だったりしますが、
“伝統は変容するものだ”というのが、
我等が教授の持論なもので、
私もすっかりそう思って過ごしていました。
つまり、これこそが絶対的だという形はないということ。
ちょっと意味合いが違うけど、
即興が本質である津軽の唄には「正調」はないわけだし。
そもそも民謡はもっと日々の暮らしに密着したもので、
普通の人たちが口ずさんで、自由に楽しむものだったので、
人によって多少の節回しが違ったところで
何ら問題ではないはずのもの。
それって、わらべうたも同じじゃないのかなぁ、と思った今日。
五線譜は便利だけど、日本音楽をやる上では、あくまで便宜上のもの。だと思う。
そういえば、
某グループが歌って有名になった「竹田の子守唄」も、
地元では全然違う節で唄われてたらしいです。
何が正解かなんて分からない。
私は最近、津軽ものにすごくこだわってるけど、
別にそれが正しい姿だと思ってるわけじゃなくて、
ただ好きだからそうしたいだけ。
よく例に挙げられるのがコンクールもある「江差追分」だったりしますが、
“伝統は変容するものだ”というのが、
我等が教授の持論なもので、
私もすっかりそう思って過ごしていました。
つまり、これこそが絶対的だという形はないということ。
ちょっと意味合いが違うけど、
即興が本質である津軽の唄には「正調」はないわけだし。
そもそも民謡はもっと日々の暮らしに密着したもので、
普通の人たちが口ずさんで、自由に楽しむものだったので、
人によって多少の節回しが違ったところで
何ら問題ではないはずのもの。
それって、わらべうたも同じじゃないのかなぁ、と思った今日。
五線譜は便利だけど、日本音楽をやる上では、あくまで便宜上のもの。だと思う。
そういえば、
某グループが歌って有名になった「竹田の子守唄」も、
地元では全然違う節で唄われてたらしいです。
何が正解かなんて分からない。
私は最近、津軽ものにすごくこだわってるけど、
別にそれが正しい姿だと思ってるわけじゃなくて、
ただ好きだからそうしたいだけ。