楽しんでこそ人生!ー「たった一度の人生 ほんとうに生かさなかったら人間生まれてきた甲斐がないじゃないか」山本有三

     ・日ごろ考えること
     ・日光奥州街道ひとり歩る記
     ・おくのほそ道を歩く

小石川後楽園ー2017年11月

2017年12月06日 04時02分31秒 | 東京の庭園
先月11/25(土)
カミさんの尾てい骨骨折も大分良くなって、
少し歩けるようになったので、
小石川後楽園まで出かけた。

地下鉄で水道橋駅を降り、小石川後楽園に向かって歩くと、
快晴の土曜日とあって、人通りが多く、気分も浮き立ってきた。
少し先の信号を右折すれば小石川後楽園の入り口であるが、
その手前にあるトヨタ自動車の東京本社ビルの先を右折した。
たしかこの先は小石川後楽園の白壁にぶつかる筈と思って。

(右手のトヨタ自動車ビル)


建物の隣の植え込みが、綺麗に整備されており、
小石川後楽園入り口への参道のようだ。

(隣の通路)

(隣の通路2)

(隣の通路3)


この先に見える白壁が小石川後楽園を取り巻く塀になって居る。

(小石川後楽園の白壁)


今来た通路を振り返ってみるとのっぽのビルと駐車場入り口が見える。
どうやら通ってきた通路は、駐車場の上にあるようで。
白壁に突き当り、その壁に沿って歩くと、目指す小石川後楽園入り口に出る。

(振り返って見たのっぽビルと駐車場入り口)

(小石川後楽園入り口)


看板に「小石川後楽園 深山紅葉を楽しむ」とある。
正門の左側にお馴染みの三つ葉葵の家紋が入った提灯がある。

(小石川後楽園入り口左側の葵の家紋)


水戸黄門漫遊記でこの家紋のついた印籠を掲げて、
助さんだったか格さんだったか、
「下がりおろう、この紋所が目に入らぬか」
とタンカを切る有名な家紋である。

入場料:一般   300円
    65歳以上150円
交 通:都営大江戸線「飯田橋」(C3出口)徒歩3分
    JR「水道橋」(西口)「飯田橋」(東口)徒歩8分
    東京メトロ東西線・有楽町線・南北線「飯田橋」(A1出口)徒歩8分
    東京メトロ丸の内線・南北線「後楽園」(1番出口)徒歩8分
    残念ながら駐車場はありません。

小石川後楽園の中に入って、まず目に入るのが人の多さと紅葉。

(小石川後楽園の人並みと紅葉と東京ドームの屋根)

(小廬山と紅葉)

(涵徳亭と紅葉)

(涵徳亭脇の灯篭と紅葉)

(西湖の堤と紅葉)


実際の西湖は広々とした湖の中に伸びる防波堤をイメージしていただくと解りやすい。
でも、ここは小石川後楽園、西湖をイメージして造った庭園であることを忘れてはならない。

(西湖の堤のミニチュア)

(鮮やかなイロハモミジ)

(京都の名をとった渡月橋)

(大堰川/おおいがわとモミジ)


この先は山になり、登って小廬山の上に行くのであるが、
カミさんの骨折が治りかけのリハビリを兼ねての散策であるので、
この先の山登りはまた次の機会に取って置くことにした。

(小廬山の山すそと紅葉)


昨年の小石川後楽園と比較してご覧下さい。
(晩秋の小石川後楽園
http://blog.goo.ne.jp/hidebach/e/c9479e537094402929588ebac6ead83c)

つづく




「都立浮間公園」の梅と「十度の宮」の河津桜

2017年02月17日 06時45分42秒 | 東京の庭園
(都立浮間公園)

都立浮間公園はJR埼京線の浮間舟渡駅の真ん前にある公園で、
駅名でも解るように、東京都北区浮間と板橋区舟渡の両側にまたがっている。

公園の中央にある池の中心線の右側が北区、左側が板橋区である。
もともとは荒川であったが、川が屈曲していて、絶えず氾濫を繰り返すので、
大正時代に埼玉県の朝霞あたりから放水路を造成して、荒川放水路と呼んでいたが、
今は一級河川荒川になっている。
もともとの荒川は新河岸川と名を変え、戸田の渡しまで湾曲していた新河岸川を、
ショートカットして曲線を切り取り、間に出来た池が浮間公園の池です。
新河岸川は、将軍が日光へ向かう御成り街道の岩淵宿にある、
岩淵水門から東京湾河口までを隅田川として流れる。

(青の点線部分がもともとあった荒川の流れ)

(洪水が多いので切り取って出来た池の地図)

(浮間公園の池、カモ、カモメなど野鳥が羽を休める)

(板橋側にある風車のある光景)

(池の手前にある紅白の梅)

(池の手前にある紅梅)

(池の手前にある白梅)

(風車)


浮間公園の中を抜けて、西へ向かうと通称「十度の宮」と呼ばれる「氷川神社」がある。
この神社の隣に生えている河津桜が今日の目当てだ。
北区の「日の基保育園」の桜は咲いたが、板橋区の氷川神社の隣の桜も咲いたであろう。
荒川に近いく風通しが良いので、保育園よりは気温が低いからどうなのだろう。
近づいて見ると桜は、まだ蕾が固く日当たりの良い所の一部は咲いていた。


(氷川神社の鳥居)

(神社の拝殿)

(その手前の十度の宮の祠)

(十度の宮の説明板)

(桜の蕾)

(桜の蕾2)

(日当たりに咲いた河津桜の一部)

(日当たりに咲いた河津桜その2)


桜の見ごろは、本日(2/17)予想される春一番が吹いた後が楽しみだ。


旧朝香宮邸(室内のアール・デコ編)―東京都庭園美術館

2017年01月02日 05時31分46秒 | 東京の庭園
あけましておめでとうございます。


(朝陽の富士)

昨年からの続き旧朝香宮邸の見学を続けたいと思います。

前回紹介したように、朝香宮様は明治天皇の娘婿で、
フランス留学中に自動車事故で入院治療を余儀なくされ、
この時、妻の允子妃(のぶこひ)もフランスへ行き看病をする。
怪我の治療後、フランスで開催されたパリ万博、
通称「アール・デコ博覧会」に夫婦揃って影響を受けた。
帰国後に、アール・デコ様式を取り入れたお邸建設の計画で、
建てられたお邸が、今回の旧朝香宮邸です。

いよいよ旧朝香宮邸に入る。
玄関を入ると翼を持つ女性像が観光客を出迎えます。

(お出迎えの翼を持つ女性像)

(ガラスでできた女性像はガラス面に盛り上がっている)

右手に受付があり、ここで入場券を見せて中に入る。
右手奥にウエルカム・ルームがあり、ビデオで各部屋の案内をしている。
座席は10人分くらいあって、手前に模型図がある。

(ウエルカムルーム)

(模型図1F)

(模型図2F)

部屋を出て右に突き当りはお手洗い、手前左手に映像ルームがあって、
映像でアール・デコの説明をしている。
アール・デコの説明をしばらく聞き終えて、玄関の方に戻る。

(映像ルームで香水塔の説明)


玄関から入った所が大広間になって居り、
右手中央に二階への階段があり、左手には大客間がある。
天井の照明の適度な明かりが、
気持ちを落ち着かせてくれる。

(大広間の天井の照明)

(右手の階段)

(左手の大客間のシャンデリア)


大客間のシャンデリアは、植物の葉を歯車状に表現し、
その上に花をあしらった円筒状の燭台を乗せ、
葉の歯車は片側のみ艶消しになっていると言う。

(大広間入り口のアール・デコ文様)


また、客間出入り口の上部にある文様がアール・デコの現代装飾美術である。

(セーブル製の香水塔)

大広間の手前には説明では次室となっているが、
控えの間と言った方が理解できそう。
ここにはフランスの国立セーブル製陶所で製作された、
アンリ・ラパンのデザインによる香水塔がある。
朝香宮時代には、上部の照明部に香水を施し、
その熱で香りを漂わせたと言う。

香水塔のある控室のさらに手前には、小客室があり、
ここには少人数のお客様を招き入れたのであろう、
落ち着いた淡いグリーンを基調として描かれた樹木と水のある風景が、
壁一面にあり、さながら森の中にいる印象を与えてくれる。

(樹木の壁画で囲まれる小客室)


大客間から奥にある大食堂へ移ると窓から広い芝生の庭を見渡すことが出来る。

(大食堂)

(大食堂から見た庭の芝生)

(室内のマントルピースと壁画)


暖炉のラジエーターカバー、階段、室内灯など金物の装飾が施されているが、
アール・デコ調のデザインとなっている。

(暖炉のラジエーターカバー1)

(暖炉のラジエーターカバー2)

(暖炉のラジエーターカバー3)

(暖炉のラジエーターカバー4)

(第一階段の模様1)

(第一階段の模様2)

(第一階段の模様3)

(第一階段と上の明かり)

(第一階段上の明かりの模様)


アール・デコの装飾を見ながら第一階段を二階に上がる。
ここはご家庭の個人の部屋が並んでいる。
階段を上り切った正面、大客間の上にあるのがご夫婦の寝室。
左が殿下の寝室、居間と書斎、右手が妃殿下の寝室、居間と姫宮の居間。
両殿下の寝室の鏡の前の置物が殿下には騎馬像が妃殿下の寝室の鏡には婦人像がある。
そして両寝室の庭側にベランダがある。

(二階のベランダ)

(書斎)

(殿下の寝室の窓際)

(殿下の寝室の鏡とマントルピース)

(妃殿下の寝室から見たお庭)

(妃殿下寝室の鏡とマントルピース)


妃殿下の寝室の隣に姫宮の寝室と居間があり、
二階の見学を終えて脇にある、第二階段を降り、
旧朝香宮邸ー東京都庭園美術館の見学を終えた。
冬の夕暮れは早い、外はもう薄暗くなって居た。

(姫宮の寝室)

(第二階段)


この一年が良い年になりますように、
        心からお祈り申し上げます。

   本年もどうぞよろしくお願い申し上げます。



旧朝香宮邸(室外の庭園編)―東京都庭園美術館

2016年12月24日 05時45分50秒 | 東京の庭園
(旧朝香宮邸ー東京都庭園美術館)

(東京都庭園美術館)

(東京都庭園美術館入り口)

(建物入り口までの通路1)

(建物入り口までの通路2)

(旧朝香宮邸)


旧朝香宮(あさかのみや)邸って、ボクには全然解らない。

今回、旧朝香宮邸を訪ねることによって分ったのは、

もともと久邇宮家(くにのみやけ)の第八王子として生まれた鳩彦(やすひこ)が、

父が伊勢神宮の祭主を務めていたことから、

伊勢の国朝香山から採った宮号・朝香宮を明治天皇から賜り、

後に明治天皇のご息女・允子(のぶこ)内親王と結婚する。

その後陸軍大学を卒業後、フランスに留学中に自動車事故に遭い、

長くフランスにて療養生活を余儀なくされる。

その間、妻允子の看病もあり、夫婦でフランスの文化に傾倒して行く。

フランスで行われたパリ万博(アール・デコ博)観覧し、

アール・デコ様式(*)に強い関心と理解を寄せるようになった。

(*)アール・デコ=Arts Décoratifの略で現代装飾美術・産業美術の事。

(アールデコ・博覧会のポスター(1925))


つまり、早い話が明治天皇の娘婿(義理の息子)だと言うこと。
自動車事故の療養でフランス滞在が長くなり、
奥様の允子妃殿下と共に、当時開かれたパリ万博のアール・デコに興味を持たれた。

どうしてここにアール・デコが出てくるかと言うと、
旧朝香宮邸には、このアール・デコ様式が、
至る所にちりばめられているからです。

アール・デコを念頭に
これから紹介する旧朝香宮邸をご覧いただきたいと思います。

主な部屋の内装設計には、フランス人装飾美術家アンリ・ラパンが起用されている。
また、昭和22年から29年までは吉田茂外相・首相公邸として使用され、
昭和30年から49年まで赤坂の迎賓館改装されるまで、
国賓・公賓のための迎賓館としての役目を果たした。

(旧朝香邸の外観・ベランダ側)

(旧朝香邸の正面玄関)


正面玄関の奥にガラスのレリーフがある。このレリーフは圧巻だ、胸を打つ。

このガラスのレリーフは、
フランス人ジュエリーデザイナー、ガラス工芸家ルネ・ラリックのデザインによる。

(正面入り口のガラスのレリーフ1)

(正面入り口のガラスのレリーフ2)

(正面入り口のガラスのレリーフ3)


ここでは室内に入らず、まず庭園を見ることにする。
まず目に入るのが左手に伸びる芝生の広場である。
入り口正面に置かれた彫刻ー男女が絡み合ったーが出迎えてくれる。
左手奥に伸びる芝生は春から夏にかけて緑に広がり、
その周りを深い木々が都会の喧騒を遮っている。
都営地下鉄 白金台駅から3分程度、JR目黒駅からも3分程度にある場所。

(男女の像)

(芝生の広場)


右手に向かうと茶室(光華)の案内がある。
そこには和風の茶室が並び夏でも涼しげなたたずまいだ。
案内に沿って進むと、ひなびた茶室の門があり入り口につながる。
茶室の正面はすり鉢状になって底の部分に池がある。
池の周りにはもみじの古木があり、
初夏には緑が、晩秋には紅葉が水面に映し出され美しいことが、
容易に想像される。
名残のもみじの落葉が回遊式泉水の周りに敷き詰められている。

(茶室/光華の案内)

(ひなびた茶室)

(茶室への入り口の門)

(池に降りる道)

(池の周りの道を散策する観光客)

(池と周りの古木のもみじと石灯篭)

(もみじの落ち葉と笹の葉)


池をめぐって歩き対岸へ出る。
ここから眺める景観も風情がある。
さらに進むと池にそそぐ滝に出会い、水は池に流れ落ちて行く。

(茶室の対岸から見た池1)

(茶室の対岸から見た池2)

(池にそそぐ滝)

(流れ落ちる水)


これで建物の外側は見学できた。
この後は建物の中を見学したい。

入る時は気がつかなかったクリスマスツリーが点灯されていた。
(クリスマスツリー)


(つづく)




清澄庭園―都立庭園へ行こう(その9)

2016年12月17日 05時13分38秒 | 東京の庭園
都立庭園は九つありますが、本日は 清澄庭園にきました。

一説には、この庭園は豪商 紀伊国屋文左衛門の屋敷跡と伝えられています。

(清住庭園1)

(清住庭園2)

(入場券売り場)


(享保年間には、下総の国関宿の城主・久世大和守の下屋敷となり、
明治十一年、三菱の創業者 岩崎弥太郎がこの邸地を買い取り、
社員の慰安や貴賓を招待する場所として、庭園造成を計画、
明治十三年には「深川親睦園」として開園。
その後も造園は進められ、隅田川の水を引いた大泉水を作り、
周囲には、全国から取り寄せた名石を配して、
明治を代表する「回遊式林泉庭園」として完成した。
大正十二年の関東大震災で大きな被害を受けた後、
現在の庭園部分を岩崎家より東京市が寄付を受け、
これを整備して昭和七年一般公開しました。)とある。(東京都)

(大泉水)


大泉水の向こう側にある、
この庭園で最も高く大きな築山、関東大震災以前は、
この築山の山頂近くには木を植えず、
サツキやその他ツツジ類の灌木を数列横に配して、
これらの花咲く状況が、
富士山にたなびく雲を表現したものと言われている。

(富士山)


富士山の右となりに池につき出る形で造られた数寄屋風の建物を、
涼亭(りょうてい)と言いますが、
この庭園を日本情緒豊かなものにしているのは、この涼亭によります。
この涼亭は、明治42年(1909)、
岩崎家が建てたもので、震災と戦火から免れ、
昭和60年全面改築され東京都選定歴史的建造物に指定されました。

(池に突き出る形の涼亭1)

(池に突き出る形の涼亭2)

(涼亭3)

この涼亭の後ろが春には花見が出来そうな芝生広場があり、
木陰に休息場所が設置されている。
その広場は今は桜の葉も紅葉してもみじ宴が出来そうだ。

この隅に芭蕉句碑があり、

・古池や蛙飛び込む水の音 はせを

と刻まれている。

(芭蕉句碑の広場)

(芭蕉句碑)


ここに芭蕉句碑があるのには、訳があります。
この清澄庭園の北側には小名木川があり、南側には仙台堀川が流れている。
仙台堀川の橋を渡った川べりに、
芭蕉が「奥の細道」に旅立った採荼庵(さいとあん)が有るからです。
今では、採荼庵とは名ばかりの、映画のセットよろしく、
縁側に腰を下ろした出立前の芭蕉翁、
正面から見たら庵の前に座っているように見えるが、
その背中にある障子は描かれた看板と言う方が正しい。
後ろ側には何も無い、草が生える空き地だ。

(映画セットの様な採荼庵)


(採荼庵についてはこちらを参照ください。)

芭蕉はこの採荼庵から清澄庭園の北側にある小名木川で舟に乗り、
隅田川に出て、千住大橋で船を降り、千住宿から奥州街道を進みました。

これで回遊式林泉庭園を一周したことになります。
清澄庭園の大泉水を渡る石組みを渡り、
石で出来た八つ橋を渡って、帰路に就きました。

(大磯渡り)

(石で出来た八つ橋)


この時期、都立庭園を五か所スタンプラリーをすると、
2017年の庭園カレンダーがプレゼントされるので、頂いて帰ってきました。

(2017年庭園カレンダー)


「都立庭園を訪ねる」はこれで全部、九庭園を回ったことになります。
目障りな紹介を飽きずにご覧いただきました皆様に御礼申し上げます。

ありがとうございました。





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