座る隙も無いほどに宴会で賑わっている、花見の桜はソメイヨシノである。
満開の桜ー染井吉野は、
染井村の植木職人ヨシノさんが接木をして作ったので、
ソメイヨシノと名づけられたと、ボクは聞いている。(実際はどうか疑わしい)
このソメイヨシノはオオシマ桜とエドヒガン桜を交配して出来たという。
成長が早く、花が少しピンクかかっていて美しい。
ソメイヨシノが出来る以前は歌に詠まれた桜は、全て山桜であったそうな。
本居宣長が詠んだ有名な歌、
・敷島の 大和心を 人問わば 朝日ににおう 山桜かな
にあるように山桜であった。
ソメイヨシノ発祥の染井村は、今の豊島区駒込にあった、
植木職人が多い村であったそうだが、
今地名として残っているのは、この染井霊園だけのように感じる。
JR巣鴨駅前にある、いわゆる「おばあちゃんの原宿」で有名な、
巣鴨商店街の入口とは道路を挟んで反対側の一本裏手にその霊園はある。
霊園は、ソメイヨシノを創作した場所だけに、
ソメイヨシノがあっちこっちに植えられていて、
今や桜の下ではお墓であるにもかかわらず、
宴会の真っ盛りであった。
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(染井霊園へ行く地図の表示板)
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(染井霊園入り口)
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(満開の桜)
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(満開の桜1)
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(満開の桜2)
この染井霊園は、また、有名人のお墓があることでも知られている。
知恵子抄で有名な高村光太郎、
今の東京藝術大学創設者 岡倉天心のお墓
長谷川辰之助ことペンネーム
「くたばってしめい」と自虐的につけた二葉亭四迷のお墓、
藤堂家11代藩主 藤堂 高猷(とうどう たかゆき)の墓、etc.
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(高村光太郎の墓)
妻の智恵子を詠った詩が有名。ボクは「路(みち)」の詩が好きですね。
(ボクの前に道は無く、ボクの後に路は出来る)そんな詩だったようにおもう。
本業は彫刻家で十和田湖の婦人像は素晴らしい。
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(岡倉天心の墓)
日本美術学校(今の東京藝術大学)の設立に大きく貢献した人。
日本美術院の創立者として有名である。
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(長谷川辰之助こと二葉亭四迷の墓)
小説「浮雲」で有名。ペンネーム二葉亭四迷は自虐的な名前で
(くたばってしまえ)という意味らしい。
ボクはこの小説を読んでいない。
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(藤堂高猷の墓)
藤堂高猷は藤堂高虎後11代藩主であるが、
藤堂家は浅井家ー豊臣家ー徳川家と主君を変えた初代の家訓に習ったのか、
明治維新前夜幕府軍から官軍に寝返った。
忠義が重んじられた武士社会の中にあって、
すばやい身の振り方は、
家臣を路頭に迷わせないための手立てであろうか。
満開の桜ー染井吉野は、
染井村の植木職人ヨシノさんが接木をして作ったので、
ソメイヨシノと名づけられたと、ボクは聞いている。(実際はどうか疑わしい)
このソメイヨシノはオオシマ桜とエドヒガン桜を交配して出来たという。
成長が早く、花が少しピンクかかっていて美しい。
ソメイヨシノが出来る以前は歌に詠まれた桜は、全て山桜であったそうな。
本居宣長が詠んだ有名な歌、
・敷島の 大和心を 人問わば 朝日ににおう 山桜かな
にあるように山桜であった。
ソメイヨシノ発祥の染井村は、今の豊島区駒込にあった、
植木職人が多い村であったそうだが、
今地名として残っているのは、この染井霊園だけのように感じる。
JR巣鴨駅前にある、いわゆる「おばあちゃんの原宿」で有名な、
巣鴨商店街の入口とは道路を挟んで反対側の一本裏手にその霊園はある。
霊園は、ソメイヨシノを創作した場所だけに、
ソメイヨシノがあっちこっちに植えられていて、
今や桜の下ではお墓であるにもかかわらず、
宴会の真っ盛りであった。
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(染井霊園へ行く地図の表示板)
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(染井霊園入り口)
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(満開の桜)
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(満開の桜1)
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(満開の桜2)
この染井霊園は、また、有名人のお墓があることでも知られている。
知恵子抄で有名な高村光太郎、
今の東京藝術大学創設者 岡倉天心のお墓
長谷川辰之助ことペンネーム
「くたばってしめい」と自虐的につけた二葉亭四迷のお墓、
藤堂家11代藩主 藤堂 高猷(とうどう たかゆき)の墓、etc.
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(高村光太郎の墓)
妻の智恵子を詠った詩が有名。ボクは「路(みち)」の詩が好きですね。
(ボクの前に道は無く、ボクの後に路は出来る)そんな詩だったようにおもう。
本業は彫刻家で十和田湖の婦人像は素晴らしい。
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(岡倉天心の墓)
日本美術学校(今の東京藝術大学)の設立に大きく貢献した人。
日本美術院の創立者として有名である。
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(長谷川辰之助こと二葉亭四迷の墓)
小説「浮雲」で有名。ペンネーム二葉亭四迷は自虐的な名前で
(くたばってしまえ)という意味らしい。
ボクはこの小説を読んでいない。
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(藤堂高猷の墓)
藤堂高猷は藤堂高虎後11代藩主であるが、
藤堂家は浅井家ー豊臣家ー徳川家と主君を変えた初代の家訓に習ったのか、
明治維新前夜幕府軍から官軍に寝返った。
忠義が重んじられた武士社会の中にあって、
すばやい身の振り方は、
家臣を路頭に迷わせないための手立てであろうか。