(春日部駅前の像)
![](https://blogimg.goo.ne.jp/user_image/58/3a/b605e0e80a4e843315c81cb388b6df13.jpg)
(春日部宿2)
春日部駅を降りると、駅前はロータリーになっていて、
素敵な彫像が出迎えてくれる。
ロータリーの先へ進むと最初の信号右角に
「ぶらっとかすかべ」と名づけた観光案内所があり、
ここで街案内、日光道中案内を戴く。
信号を渡るとここにも彫像がある。
春日部市の説明では、
「自然の中で詩想を練り歩く若き詩人の姿」と言う。
(詩人の彫像)
![](https://blogimg.goo.ne.jp/user_image/13/5f/8f346e2b7de8c537a299fa26909aceb8.jpg)
日光街道は、次の信号を左折するのであるが、
直進して信号を渡ると、粕壁宿の案内板が目に付く。
この案内板がある場所が、粕壁宿の問屋場があった跡といわれる。
さらに直進すると、左手にしゃれた公衆便所がある。
白壁に「粕壁宿」とあり、浮世絵でこの先にある古利根川が描かれている。
直ぐ目の前に橋があり、大落古利根川をまたいでいる。
橋の横に光る銀色の鉄柱が伸びており、四つに交差した姿は、
巨大な四手網が川にセットされているように見える。
市の説明によると麦藁帽子をイメージしたアーチで、
光と風をテーマにした橋上公園であることが判った。
(浮世絵のある公衆トイレ)
![](https://blogimg.goo.ne.jp/user_image/11/c2/e7a52467f1685f6175c4311e12f8a288.jpg)
(粕壁宿の案内板)
![](https://blogimg.goo.ne.jp/user_image/73/ff/c05bb800ba7e8a2b218069bd56314454.jpg)
(古利根川橋と銀色のアーチ)
![](https://blogimg.goo.ne.jp/user_image/62/3b/506be5263abdd7436014f7069a24565a.jpg)
しかし、ここは日光街道から外れているので、
元の信号まで戻る。
信号を渡って右折すると(春日部駅からくれば左折すると)、
左手に古びた御堂がひっそり建っている。
山中千手観音堂である。
(山中千手観音堂は、江戸時代の俳諧師増田眠牛に由来します。
当時、眠牛は千手観音を背負ってこの地方を行脚していました。
そして、粕壁宿の米問屋伊勢平の家に止宿するようになり、
伊勢平が好意で建てた観音堂で生活し、
眠牛はこの地で一生を終えました。
眠牛を慕う人びとは、
観音堂に墓標を建て千手観音を祀って信仰しました。)とある。
観音堂の脇に眠牛のお墓がある。
(山中千手観音堂)
![](https://blogimg.goo.ne.jp/user_image/3b/3f/adcef395079714667eb64ffe5ccd415f.jpg)
(増田民牛のお墓)
![](https://blogimg.goo.ne.jp/user_image/4c/48/f7c919929d403db7e9e370e5fac08eb7.jpg)
(米や伊勢平の浮世絵)
![](https://blogimg.goo.ne.jp/user_image/16/d9/238428d4f42704d2c8ae2a380f2ec630.jpg)
(呉服「なべや」のショウウインドウにあった古い写真)
![](https://blogimg.goo.ne.jp/user_image/7b/30/7874eaee407049391f985d9c0d7b347b.jpg)
日光道中を先に進むと、伊勢平があり、呉服の「なべや」がある。
また右手には、宿場町を思わせる土蔵や旧家が目に付く。
次の信号に十字架の案内板があり、
直進 北春日部、左 さいたま、右 幸手を表示している。
この標識を右折すると古利根川にかかる新町橋がある。
橋を渡って最初の信号を左折すると、
八坂香取稲荷合社と隣に真言宗智山派 神林山仲蔵院が見えます。
八坂香取稲荷合社の「合社」は、普通「神社」というのに、
どうしてかと思ったら、八坂神社、香取神社、
稲荷神社を合祀しているので、「合社」と言うらしい。
お寺の神林山仲蔵院は、
古いお寺らしく見上げるような大木が見事であった。
(十字架の案内)
![](https://blogimg.goo.ne.jp/user_image/6e/98/25cd3ad34a0ec3b067b5d866a5c66a87.jpg)
(信号脇の旧家)
![](https://blogimg.goo.ne.jp/user_image/38/6e/6c39ea1ac05abace98bce4c64e73c004.jpg)
(宿場町を思わせる旧家)
![](https://blogimg.goo.ne.jp/user_image/67/d6/324412a46f0f171c57052c1ccb72b3ca.jpg)
(宿場町を思わせる旧家2)
![](https://blogimg.goo.ne.jp/user_image/07/04/f765b4a6af571a6f9d695991f1e5d73d.jpg)
(新町橋)
![](https://blogimg.goo.ne.jp/user_image/7a/c8/658e994d1b008f5377314a2f17954e94.jpg)
(橋を渡って最初の信号を左折)
![](https://blogimg.goo.ne.jp/user_image/76/ad/4c3f61d541cdf7d5bd5501aefa8b8d55.jpg)
(八坂香取稲荷合社)
![](https://blogimg.goo.ne.jp/user_image/1b/70/4b2e5df2b5123d3d45f45f0f1ca0a9a0.jpg)
(神林山仲蔵院)
![](https://blogimg.goo.ne.jp/user_image/73/70/aa1f1118de596a3674a927641ef043a7.jpg)
少し進むと、右折道路があり、右かどに二体の石塔がある。
一つに、「史跡 小渕の一里塚跡」と書いてある。
もう一つには、庚申塔と刻まれているようだ。
一里塚らしきものは何も残っていない。
(小渕の一里塚跡の碑)
![](https://blogimg.goo.ne.jp/user_image/61/4b/df471ed530c9402174d3b9a4bcf45260.jpg)
(庚申塔)
![](https://blogimg.goo.ne.jp/user_image/37/1c/b59dbc25c9034a9c86c7ff7f35c6088f.jpg)
さらに進むと道路は二股になっており、
右手は旧家の白壁の塀が続き、
中央には、また二体の石塔が建っている。
左手の旧日光道中に面しているお店には、
春日部市が店舗のシャッターに描いた浮世絵、
「桐箪笥製造」の図が描かれている。
中央の二体の石碑、大きい方の前面には「青面金剛」、
左面には「北 日光道」と読める。
一方、小さい自然石の道しるべは、
宝永六年(1709)銘の春日部市最古のものという。
表面が欠けているが、右へは関宿道、左奥州道であったという。
(二股道路)
![](https://blogimg.goo.ne.jp/user_image/20/a8/1560a60747b1f3b98a5083892c1d1201.jpg)
(右手の白壁の旧家)
![](https://blogimg.goo.ne.jp/user_image/74/20/6aca471687f1485e2fe98c1d5c1f40ed.jpg)
(中央の二体の石碑)
![](https://blogimg.goo.ne.jp/user_image/1d/41/807ccfcc981059da0abf8bb080138980.jpg)
(左手の粕壁宿の桐箪笥製造の浮世絵)
![](https://blogimg.goo.ne.jp/user_image/5f/d0/0cc6346cf8461ad09abe0479acf33cd4.jpg)
(左日光道と見える石碑)
![](https://blogimg.goo.ne.jp/user_image/57/9c/3da13f572eee27f0623846c748ba1ff7.jpg)
道標にしたがって、左へ進むと国道四号線に合流する。
ここが日光街道(小渕)の信号である。
(国道四号線)
![](https://blogimg.goo.ne.jp/user_image/10/98/64961d95378cab3089fd211bfc6ba930.jpg)
![](https://blogimg.goo.ne.jp/user_image/58/3a/b605e0e80a4e843315c81cb388b6df13.jpg)
(春日部宿2)
春日部駅を降りると、駅前はロータリーになっていて、
素敵な彫像が出迎えてくれる。
ロータリーの先へ進むと最初の信号右角に
「ぶらっとかすかべ」と名づけた観光案内所があり、
ここで街案内、日光道中案内を戴く。
信号を渡るとここにも彫像がある。
春日部市の説明では、
「自然の中で詩想を練り歩く若き詩人の姿」と言う。
(詩人の彫像)
![](https://blogimg.goo.ne.jp/user_image/13/5f/8f346e2b7de8c537a299fa26909aceb8.jpg)
日光街道は、次の信号を左折するのであるが、
直進して信号を渡ると、粕壁宿の案内板が目に付く。
この案内板がある場所が、粕壁宿の問屋場があった跡といわれる。
さらに直進すると、左手にしゃれた公衆便所がある。
白壁に「粕壁宿」とあり、浮世絵でこの先にある古利根川が描かれている。
直ぐ目の前に橋があり、大落古利根川をまたいでいる。
橋の横に光る銀色の鉄柱が伸びており、四つに交差した姿は、
巨大な四手網が川にセットされているように見える。
市の説明によると麦藁帽子をイメージしたアーチで、
光と風をテーマにした橋上公園であることが判った。
(浮世絵のある公衆トイレ)
![](https://blogimg.goo.ne.jp/user_image/11/c2/e7a52467f1685f6175c4311e12f8a288.jpg)
(粕壁宿の案内板)
![](https://blogimg.goo.ne.jp/user_image/73/ff/c05bb800ba7e8a2b218069bd56314454.jpg)
(古利根川橋と銀色のアーチ)
![](https://blogimg.goo.ne.jp/user_image/62/3b/506be5263abdd7436014f7069a24565a.jpg)
しかし、ここは日光街道から外れているので、
元の信号まで戻る。
信号を渡って右折すると(春日部駅からくれば左折すると)、
左手に古びた御堂がひっそり建っている。
山中千手観音堂である。
(山中千手観音堂は、江戸時代の俳諧師増田眠牛に由来します。
当時、眠牛は千手観音を背負ってこの地方を行脚していました。
そして、粕壁宿の米問屋伊勢平の家に止宿するようになり、
伊勢平が好意で建てた観音堂で生活し、
眠牛はこの地で一生を終えました。
眠牛を慕う人びとは、
観音堂に墓標を建て千手観音を祀って信仰しました。)とある。
観音堂の脇に眠牛のお墓がある。
(山中千手観音堂)
![](https://blogimg.goo.ne.jp/user_image/3b/3f/adcef395079714667eb64ffe5ccd415f.jpg)
(増田民牛のお墓)
![](https://blogimg.goo.ne.jp/user_image/4c/48/f7c919929d403db7e9e370e5fac08eb7.jpg)
(米や伊勢平の浮世絵)
![](https://blogimg.goo.ne.jp/user_image/16/d9/238428d4f42704d2c8ae2a380f2ec630.jpg)
(呉服「なべや」のショウウインドウにあった古い写真)
![](https://blogimg.goo.ne.jp/user_image/7b/30/7874eaee407049391f985d9c0d7b347b.jpg)
日光道中を先に進むと、伊勢平があり、呉服の「なべや」がある。
また右手には、宿場町を思わせる土蔵や旧家が目に付く。
次の信号に十字架の案内板があり、
直進 北春日部、左 さいたま、右 幸手を表示している。
この標識を右折すると古利根川にかかる新町橋がある。
橋を渡って最初の信号を左折すると、
八坂香取稲荷合社と隣に真言宗智山派 神林山仲蔵院が見えます。
八坂香取稲荷合社の「合社」は、普通「神社」というのに、
どうしてかと思ったら、八坂神社、香取神社、
稲荷神社を合祀しているので、「合社」と言うらしい。
お寺の神林山仲蔵院は、
古いお寺らしく見上げるような大木が見事であった。
(十字架の案内)
![](https://blogimg.goo.ne.jp/user_image/6e/98/25cd3ad34a0ec3b067b5d866a5c66a87.jpg)
(信号脇の旧家)
![](https://blogimg.goo.ne.jp/user_image/38/6e/6c39ea1ac05abace98bce4c64e73c004.jpg)
(宿場町を思わせる旧家)
![](https://blogimg.goo.ne.jp/user_image/67/d6/324412a46f0f171c57052c1ccb72b3ca.jpg)
(宿場町を思わせる旧家2)
![](https://blogimg.goo.ne.jp/user_image/07/04/f765b4a6af571a6f9d695991f1e5d73d.jpg)
(新町橋)
![](https://blogimg.goo.ne.jp/user_image/7a/c8/658e994d1b008f5377314a2f17954e94.jpg)
(橋を渡って最初の信号を左折)
![](https://blogimg.goo.ne.jp/user_image/76/ad/4c3f61d541cdf7d5bd5501aefa8b8d55.jpg)
(八坂香取稲荷合社)
![](https://blogimg.goo.ne.jp/user_image/1b/70/4b2e5df2b5123d3d45f45f0f1ca0a9a0.jpg)
(神林山仲蔵院)
![](https://blogimg.goo.ne.jp/user_image/73/70/aa1f1118de596a3674a927641ef043a7.jpg)
少し進むと、右折道路があり、右かどに二体の石塔がある。
一つに、「史跡 小渕の一里塚跡」と書いてある。
もう一つには、庚申塔と刻まれているようだ。
一里塚らしきものは何も残っていない。
(小渕の一里塚跡の碑)
![](https://blogimg.goo.ne.jp/user_image/61/4b/df471ed530c9402174d3b9a4bcf45260.jpg)
(庚申塔)
![](https://blogimg.goo.ne.jp/user_image/37/1c/b59dbc25c9034a9c86c7ff7f35c6088f.jpg)
さらに進むと道路は二股になっており、
右手は旧家の白壁の塀が続き、
中央には、また二体の石塔が建っている。
左手の旧日光道中に面しているお店には、
春日部市が店舗のシャッターに描いた浮世絵、
「桐箪笥製造」の図が描かれている。
中央の二体の石碑、大きい方の前面には「青面金剛」、
左面には「北 日光道」と読める。
一方、小さい自然石の道しるべは、
宝永六年(1709)銘の春日部市最古のものという。
表面が欠けているが、右へは関宿道、左奥州道であったという。
(二股道路)
![](https://blogimg.goo.ne.jp/user_image/20/a8/1560a60747b1f3b98a5083892c1d1201.jpg)
(右手の白壁の旧家)
![](https://blogimg.goo.ne.jp/user_image/74/20/6aca471687f1485e2fe98c1d5c1f40ed.jpg)
(中央の二体の石碑)
![](https://blogimg.goo.ne.jp/user_image/1d/41/807ccfcc981059da0abf8bb080138980.jpg)
(左手の粕壁宿の桐箪笥製造の浮世絵)
![](https://blogimg.goo.ne.jp/user_image/5f/d0/0cc6346cf8461ad09abe0479acf33cd4.jpg)
(左日光道と見える石碑)
![](https://blogimg.goo.ne.jp/user_image/57/9c/3da13f572eee27f0623846c748ba1ff7.jpg)
道標にしたがって、左へ進むと国道四号線に合流する。
ここが日光街道(小渕)の信号である。
(国道四号線)
![](https://blogimg.goo.ne.jp/user_image/10/98/64961d95378cab3089fd211bfc6ba930.jpg)