楽しんでこそ人生!ー「たった一度の人生 ほんとうに生かさなかったら人間生まれてきた甲斐がないじゃないか」山本有三

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庚申信仰のいわれ

2018年02月07日 13時25分00秒 | つれづれなるままに考えること
(庚申塔)


庚申塔について、お話をしたいと思います。
庚申とは干支の組み合わせで、甲乙丙丁戊己庚・・・の十干と、
子丑寅辰己午未申・・・の十二支の組み合わせで、
昔は年月日を干支で現わしていた。
阪神球場の甲子園は甲子(きのえね)の年に当たる大正十三年に完成したので、
甲子園と呼ばれる。

話がそれてしまったが、
庚申信仰は道教の教えで、
平安時代には貴族階級の間で信仰されたが、
江戸時代になって庶民の間でにまで広がり、
庚申(かのえさる、こうしん)の日には、
人の体内に居る三尸(さんし)の虫が、
夜中に本人が眠っている間に体内から抜け出して、
その人の悪行を天帝に告げ口をする。
天帝はその告げ口により、人の寿命を短くすることが信じられていた。

それならば、夜寝ないでいれば、三尸の虫が体内から抜け出さない、
と言うことで、
平安時代には詩歌管弦で夜を明かしたが、
江戸時代になり、庚申の日には庶民の間では、
飲食物を持ち寄り、どんちゃん騒ぎをして夜を明かした。

この信仰が神仏に結びつき、庚申塔を建て、その周りに集まり夜明かしをした。
庚申塔に刻まれた像は仏教のお寺では青面金剛像(しょうめんこんごうぞう)、
神道の神社では猿田彦神像が刻まれている。

村はずれや宿場の端にこの庚申塔が建てられたが、
明治になって庚申信仰は迷信であるとされ放置された。
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7 コメント

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庚申塔について (masamikeitas)
2018-02-08 08:28:14
hide-sanさん、おはようございます。

>庚申塔について、お話をしたいと思います。

庚申塔について、何も知りませんでしたので勉強になりました。
こちらにも猿田彦神社という名前の神社を見かけます。
返信する
こんにちは (ytakei4)
2018-02-08 17:24:36
今でも友引、仏滅、大安ありますね。
迷信ですよね?
返信する
おせっかい (もののはじめのiina)
2018-02-09 09:48:48
お節介焼きな三尸(さんし)の虫です。
                  庚申塔は、彼方此方に残っていますね。


ところで、【集うその想い】と送ったつもりが「都度ウソの思い」に誤変換されました。
これは、パンダ装束を着た象が、「パンダだゾウ」とアピールすることに、つくづく(パンダと嘘をつく都度、虚しく思う・・・)らしいです。
http://blog.goo.ne.jp/iinna/e/90ffc355f3b3f5d95dfb78db2e7b2154

誤変換に用いる画像は、アップ済の笑撃の画像を使うことにしています。

返信する
こんばんは (ytakei4)
2018-02-09 19:52:57
自動ブレーキではありません。
足で踏むブレーキです。
返信する
masamikeitasさん、ytakei4、iinaさん、コメントありがとうございます (hide-san)
2018-02-09 20:02:03
masamikeitasさん、ytakei4、iinaさん、コメントありがとうございます。

庚申塔については、また、後程説明したいと思います。
返信する
甲子園球場 (ウォーク更家)
2018-02-10 07:48:52
いつもながらhide-sanさんのブログは勉強になります。

しかし、明治になって放置された庚申塔が、未だあちこちに残っているということは、江戸時代には、かなり庶民に根付いた信仰だったんですね。

阪神球場が、甲子(きのえね)の大正13年完成なので、甲子園球場になったといのは、つい誰かに話したくなりました。
返信する
ウォーク更家さんコメントありがとうございます。 (hide-san)
2018-02-10 11:09:31
>甲子園球場になったといのは、つい誰かに話したくなりました

これは庚申塔を調べて居るときに知りました。
どうぞ自慢してください。
阪神甲子園球場と言うのが本当でしょうかね・・・・。
返信する

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