(奥の細道【14】笠島2)
甲冑堂の二人の嫁のしるしを見て、
松尾芭蕉が、
「籐の中将 実方の塚はいずくのほどならんと、人にとへば、
「是より遙か右に見ゆる里を、みのわ・笠島と云ひ、道祖神の社、
かたみの薄(すすき)、今にあり」と教ふ。
この頃の五月雨(さみだれ)に道いとあしく、身つかれ侍れば、
よそながら眺めやりて過ぐるに、(以下省略)」
「是より遙か右に見ゆる里を、みのわ・笠島と云ひ、道祖神の社、
かたみの薄(すすき)、今にあり」と教ふ。
この頃の五月雨(さみだれ)に道いとあしく、身つかれ侍れば、
よそながら眺めやりて過ぐるに、(以下省略)」
と奥の細道で述べているように、
「籐の中将 実方の塚」は、道がぬかるんでいるので観ないで通り過ぎた。
しかしボクがこれから訪ねようとしているのは、
時期が秋だし、路がぬかるんでいる訳でも無いからだ。
もっともぬかるんで居ようと居まいと、タクシーだから気にならない。
東北本線名取駅で下車し、道祖神社とかたみの薄を見に行く。
道祖神社は、道路交差点を少し入った所ですぐに分かった。
(道祖神社の鳥居)
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ボクもたたり(?)が恐ろしくて、タクシーに乗ったままではなく、
タクシーを降りた。鬱蒼とした木に囲まれた場所で、
これなら往時はもっと寂しい場所であったろうと推測された。
(道祖神社の狛犬?)
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(道祖神社の山門)
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(道祖神社本殿)
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籐の中将 実方とは、平安時代の歌人藤原実方で、
正歴二年(991)右近衛中将、同五年には左近衛中将に任じられたので、
籐の中将と言われた。
書物によると、優秀であったが、大層横着な人で、これを見かねた主上が、
「歌枕(名所・旧跡の事)見て参れ」と陸奥守にして、奥州へ左遷した。
(実方橋)
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(実方の塚・西行歌碑)
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奥州へきて、あちこち歌枕を訪ね歩いて、ある時、
笠島の道祖神社の前を下馬して通らなければならないところ、
馬に乗ったまま通ると、馬が倒れて、実方は落馬して死んだ、と言う。
後に西行法師が訪ねてきて、実方の塚があり、
すすきなど生い茂っているのを見て、
・くちもせぬ その名ばかりを とどめ置きて
かれのの薄(すすき)かたみとぞ見る
かれのの薄(すすき)かたみとぞ見る
と詠んだところから、「かたみの薄」と言われる。
(かたみの薄)
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これを知っていた芭蕉は、歌人の実方の墓も興味はあるが、
西行法師にも心惹かれたに違いない。
芭蕉は、
・笠島は いづこさ月の ぬかり道(*)
俳句を詠んで居る。
(実方の墓)
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(「笠島は・・」の句碑・)
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(*)(実方の墓のある笠島は、どの辺りであろうか、
尋ねてみたいが、五月雨のためぬかった道で足を取られて、
行くこともできない、と言う意味?)
・何さがす 落ち葉の上を シジュウカラ hide-san
タクシーを降りられましたか。
「さては、祀られているのは、女性の神様だな」とばかりに、
馬にムチ打ち通り過ぎようとした途端、馬が倒れて落ち、
それが原因で亡くなったというお話は、
良く出来ていますね。
祟りとはいえ、通り過ぎただけなのに何も殺さなくても、と思ってしまいました・・・
東北地方全域を旅する人などいなかった昔に、ここまで歩いて来ている芭蕉は凄いですが、西行法師ももっと凄いですねえ。
このお話を読んで、当時の藤原氏一族の内部の権力闘争が天皇も巻き込んですさまじかったことを想起します。
話の最期も、要するに権力闘争に負けて壮絶な死を遂げたことのような気がします。
西行法師は、そういう政治の世界を見せる現実的な宮仕えがいやになったのでしょうね。
勝手な想像です。
この先の東北は、
平泉で藤原氏が管理していたのでしょうね。
だからかどうか解りませんが、芭蕉も平泉を最後にして、
その奥に行っていません。
歴史には殊のほか疎い方で、詳しくは解りませんが、
西行は、武家の生き様が、
嫌になったのではなかったかと・・・
ご指摘の通り、西行は武士がいやになったのでしょう。
私もこの時代に疎いのですが、確か西行は「北面の武士」で御所にお仕えした官位もある武士。
御所の様子も人知れず、ある程度知っていたような気がしました。
これも単に想像です。
失礼しました。
世をはかなんだのでは・・・
これも想像ですが・・・・