(旧日光街道本通りの標柱右側面)
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(浅草橋)
旧日光街道の標柱の右側面には、次のように書かれた文字がある。
(徳川家康公江戸開府に際し御伝馬役支配であった馬込勘解由が名主として
この地に住し以後大伝馬町と称された。)
左側面には、
(江戸名所図絵や広重の錦絵に画かれて著名なこの地は将軍御成道として繁華な本街道であり木綿問屋が軒を連ねて殷賑を極めた。)とあり、
この大伝馬本通りを進むと、交叉点に出る。
都営地下鉄の「馬喰横山駅」入り口がある。
(歩いてきた通りの名、大伝馬本町通りの標識)
(都営地下鉄馬喰横山駅)
(横山町四丁目の住居表示)
(横山町問屋街)
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この先は「横山町問屋街」の看板が建っており、
木綿街ならぬ衣料品の卸問屋が軒を連ねている。
住居表示には「日本橋横山町4」とあり、
卸問屋街が立ち並ぶ、お店の前にはマネキンが、
真新しい衣料を着て立っているが、
ウインドウには(小売いたしません)と、
どのお店も張り紙がしてある。
付いている値段標を見る限り、
そこらのスーパーマーケットで売っている値段と変わりなさそうである。
(衣料品の問屋店先から見る問屋街)
話は変わるが、家に帰って今日は「馬喰横山駅」前を通って歩いたら、
衣料品の問屋街だったよと話すと、
以前、ブランドのバーゲンセールに良く行った場所だと、
カミサンが話してくれた。
何処何処に美味しいカレー屋さんがあって、
何処のコーヒーショップは美味しくて安いという話であったが、
ボクにはチンプンカンプンであった。
この衣料品卸問屋街を進むと、浅草橋の信号に出る。
(浅草橋交差点)
(浅草橋の信号)
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(浅草橋)
旧日光街道の標柱の右側面には、次のように書かれた文字がある。
(徳川家康公江戸開府に際し御伝馬役支配であった馬込勘解由が名主として
この地に住し以後大伝馬町と称された。)
左側面には、
(江戸名所図絵や広重の錦絵に画かれて著名なこの地は将軍御成道として繁華な本街道であり木綿問屋が軒を連ねて殷賑を極めた。)とあり、
この大伝馬本通りを進むと、交叉点に出る。
都営地下鉄の「馬喰横山駅」入り口がある。
(歩いてきた通りの名、大伝馬本町通りの標識)
(都営地下鉄馬喰横山駅)
(横山町四丁目の住居表示)
(横山町問屋街)
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この先は「横山町問屋街」の看板が建っており、
木綿街ならぬ衣料品の卸問屋が軒を連ねている。
住居表示には「日本橋横山町4」とあり、
卸問屋街が立ち並ぶ、お店の前にはマネキンが、
真新しい衣料を着て立っているが、
ウインドウには(小売いたしません)と、
どのお店も張り紙がしてある。
付いている値段標を見る限り、
そこらのスーパーマーケットで売っている値段と変わりなさそうである。
(衣料品の問屋店先から見る問屋街)
話は変わるが、家に帰って今日は「馬喰横山駅」前を通って歩いたら、
衣料品の問屋街だったよと話すと、
以前、ブランドのバーゲンセールに良く行った場所だと、
カミサンが話してくれた。
何処何処に美味しいカレー屋さんがあって、
何処のコーヒーショップは美味しくて安いという話であったが、
ボクにはチンプンカンプンであった。
この衣料品卸問屋街を進むと、浅草橋の信号に出る。
(浅草橋交差点)
(浅草橋の信号)
何もないところからの道が多いからでしょうね。
山道が注目されるようになつてきました。
蝦夷地と言われた江戸時代
北海道の道の原点は
海路 水路 山道と言えるでしょうね。
沿って浅草駅の方へ向かうんですかな。
浅草橋はJR総武線に良く乗っていたから何度か途中下車したけど
人形の問屋さんの有る方しか知りませんね。
本町と書いて関東では「ほんちょう」と読むのが多いですよね板橋もそうでしたかな。
関西では「ほんまち」と読むのが多いような気がしますね。
問屋街が懐かしいです。
もう大分変わっているでしょうが・・・
銀座のお店に勤めていたときによく店の商品を買い物に行きました。
自業自得ですがあるべきものがなくなると不便ですよ~。
この頃は付く愚く思います。
自由に動き回れないのですから。
いつも ありがとうございます♪(*'-^)-☆
海に沿っているから東海道、山の中を行くから中山道、
その他を甲州道中、日光道中、奥州道中と呼ばせたようですね。
覗きながら歩いたので時間が掛かりました。
事故の事は、今時保険に入っていない人も居ないでしょうから、保険屋さんがいろいろなケースを処理しているでしょうから、
お任せするのが良い解決策でしょうね。
相手の方がご近所の顔見知りだと、
ややこしくなりますね。