楽しんでこそ人生!ー「たった一度の人生 ほんとうに生かさなかったら人間生まれてきた甲斐がないじゃないか」山本有三

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渋沢栄一(いたばし観光センター)ースタンプラリー(最終章)

2024年12月19日 04時19分24秒 | ひとり歩き旅
渋沢栄一は近代日本を導く男として名高い。
現在の一万円札の顔である。



北区JR京浜東北線王子駅の飛鳥山は、
渋沢栄一が61歳の時に本邸を構え、生涯を過ごした地です。
北区観光協会では「渋沢×北区 青天を衝け大河ドラマ館」の開館にあわせ、「JINSHAプロジェクト」を立ち上げました。
「JINSHA」とは、「仁者/じんしゃ=JINSHA」
渋沢栄一が好んで用いた言葉の一つ
「仁者無敵(仁なる者に敵はなし」をもとにしています。
(仁者は愛情をもって人と接するので、
これを憎む人がいない、という意味)。

10~20代の若者世代にも渋沢栄一に関心を持ってもらえるように
キャラクターは作成されており、
JR王子駅南口改札前および飛鳥山公園内に
フォトスポットとして活用できるよう、
壁面装飾がされています。

(東京都北区のキャラクター)

渋谷栄一の渋沢記念館(飛鳥山公園内)の入場券/入場料おとな300円。


(記念館入り口の柴沢栄一像)




(飛鳥山公園内の渋沢栄一像)

(渋沢栄一邸 別館ー清水組が応接間として寄贈した家屋)

(飛鳥山公園入口北辺の橋)


スタンプラリーの五か所を歩き終わって、

(渋沢栄一の印刷のハンカチ)


上のタオル風の渋沢栄一のハンカチを頂戴したが、

使い道は?・・・・

タンスの引き出しに眠ることになった。

渋沢栄一にちなんだ場所のスタンプラリーは、
これで終わりましたが、月曜日閉館の場所が有って、
結局5日費やすことになった。

総歩行数75000歩で、一日当たり15000歩であった。

渋沢栄一は天保11年(1840)生まれ、没年91歳は昭和6年(1931)で、
昭和まで生き永らえたとは意外でした。

天保から昭和まで、元号の変遷は11回あり、
死ぬまでの元号が覚えられませんね。

天皇一代一元号になったのは、明治からで、
渋沢栄一の生涯には、元号の変遷が多くあったのは、
天変地異の事件が起きるたびに元号を変えていた。
大地震、江戸の大火、内裏の炎上、桜田門外の変、
辛酉(しんゆう)革命、などで元号が変わっていた。

「辛酉革命とは、
辛酉(かのととり)の年には異変が起こるという一種の予言説 、
この年には、元号を変えていた。」(ネットより)

ボクは昭和から平成~令和と元号は3回の変化しかありませんが・・・


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