渋沢栄一は近代日本を導く男として名高い。
現在の一万円札の顔である。
北区JR京浜東北線王子駅の飛鳥山は、
渋沢栄一が61歳の時に本邸を構え、生涯を過ごした地です。
北区観光協会では「渋沢×北区 青天を衝け大河ドラマ館」の開館にあわせ、「JINSHAプロジェクト」を立ち上げました。
「JINSHA」とは、「仁者/じんしゃ=JINSHA」
渋沢栄一が好んで用いた言葉の一つ
「仁者無敵(仁なる者に敵はなし」をもとにしています。
(仁者は愛情をもって人と接するので、
これを憎む人がいない、という意味)。
10~20代の若者世代にも渋沢栄一に関心を持ってもらえるように
キャラクターは作成されており、
JR王子駅南口改札前および飛鳥山公園内に
フォトスポットとして活用できるよう、
壁面装飾がされています。
(東京都北区のキャラクター)
渋谷栄一の渋沢記念館(飛鳥山公園内)の入場券/入場料おとな300円。
(記念館入り口の柴沢栄一像)
(飛鳥山公園内の渋沢栄一像)
(渋沢栄一邸 別館ー清水組が応接間として寄贈した家屋)
(飛鳥山公園入口北辺の橋)
スタンプラリーの五か所を歩き終わって、
(渋沢栄一の印刷のハンカチ)
上のタオル風の渋沢栄一のハンカチを頂戴したが、
使い道は?・・・・
タンスの引き出しに眠ることになった。
渋沢栄一にちなんだ場所のスタンプラリーは、
これで終わりましたが、月曜日閉館の場所が有って、
結局5日費やすことになった。
総歩行数75000歩で、一日当たり15000歩であった。
渋沢栄一は天保11年(1840)生まれ、没年91歳は昭和6年(1931)で、
昭和まで生き永らえたとは意外でした。
天保から昭和まで、元号の変遷は11回あり、
死ぬまでの元号が覚えられませんね。
天皇一代一元号になったのは、明治からで、
渋沢栄一の生涯には、元号の変遷が多くあったのは、
天変地異の事件が起きるたびに元号を変えていた。
大地震、江戸の大火、内裏の炎上、桜田門外の変、
辛酉(しんゆう)革命、などで元号が変わっていた。
「辛酉革命とは、
辛酉(かのととり)の年には異変が起こるという一種の予言説 、
辛酉(かのととり)の年には異変が起こるという一種の予言説 、
この年には、元号を変えていた。」(ネットより)
ボクは昭和から平成~令和と元号は3回の変化しかありませんが・・・
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