掖上鑵子塚古墳の興奮が冷めやらぬ中、元来た道を引き返す。今度は下り道になる。途中、案内板に従って、病院の裏手に道に入る。
満願寺というお寺の墓地の脇を通っていくが、徐々に登り道になってくる。右手に金毘羅神社の立派な石鳥居があり、道が二手に分かれるが、金毘羅神社には向かわず、左手の道を選択。
道は石段になっていて悪くはないのだが、かなりの傾斜があり、ほとんど登山の感覚。道の半ばから息が切れ始める。(この日は、何度も昇り降りが続いたからなあ。)
道すがら、孝安天皇社という孝安天皇を祀った小さな神社があった。
祭神は、当然、大倭帯日子国押人命、つまり孝安天皇になる。ただ、この神社の由来が全くわからない。祭神に菅原道真と渡会春彦(菅原道真が祀られている所にはこの人物の名前が必ずあるそうだ。)の名があるので、もともとは菅原道真を祀っていたのかもしれない。江戸時代の末期に、孝安天皇陵がこの地に定められたときに、孝安天皇社に転換したのかもしれない。
調べると「安政山陵図」には、孝安天皇社と思われる神社が描かれているので、この頃には、存在していたのは確実である。
ここから再び、孝安天皇陵への道に戻るのだが、この辺りから石段から石畳の道に変わる。ここからが、おそらく本来の参道なんだろう。ただ、あまり人が通らないのか苔むしており、足元がすべって登りにくいことはなはだしい。
そうやって苦労した先に、急に目の前が開け、孝安天皇陵の拝所が見えた。
孝安天皇陵である。低山の頂を江戸時代末期に修陵して、天皇陵にあてている。古くは室宮山古墳を孝安天皇陵としていたこともある。
ちなみに孝安天皇は、第6代目の天皇とされるが、「古事記」「日本書紀」には、系譜と宮のみ記載されており、欠史八代と言われる天皇の一人である。
ここからの景色は、非常に素晴らしいそうなのだが、かなり足に来ており、拝所の手前で引き返すことにした。
つづら折りの様な道を下り、今度は本来の参道を通っていく。参道の登り口に制札があった。
拝所とこんなに離れた場所にあるのも珍しい。
ここは、玉手の集落のはずれになる。集落の中を抜けて、JR和歌山線玉手駅へ。
なんと、プレハブの駅。しかも単線なんで片側にしかホームがない。当然、無人駅である。近くにある高校の通学のためにあるような駅である。
なので、ホームの前は、何もなく、高速道路の橋げたが視界に入るのみ。電車も一時間に一本なのでのんびりと電車が来るのを待ちましょう。
狭い日本そんなに急いでどこへ行くってな感じだね。
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