休日はデジカメ持ってぶらぶらと📷

アメフト観戦記や読書日記を綴っていましたが、最近は古墳(コフ)ニストとして覚醒中!横穴式石室をもつ古墳にハマっています。

河内の古墳 ① ~松岳山古墳~

2016-03-13 23:41:26 | 史跡を歩く
 国道25号線で南へ大和川を渡ってから、左折すると丘陵地に入る。しばらく行くと国分神社と松岳山古墳への行き先を示す案内板が見える。案内板にしたがって左折すると国分神社に着く。国分神社に入ると左手に松岳山古墳への登り口がある。あんまり人が入らない雰囲気でちょっとした探検気分である。(入る前には社務所に届け出ないといけないみたい。)

 

 山の中をどんどん入っていく。樹がうっそうと茂っているので山を登っているのか、古墳を登っているのかよくわからない。とにかく登っていく。

 

 雑木林の中に史跡松岳山古墳という石碑が建っており、どうやらここが古墳の前方部と後円部とが繋がっているくびれ部分であるようだ。

 

 ここからが、道が右に折れ、後円部の頂上に登ることになる。

 

 後円部の上に行くと突然視界が開かれる。そして、いきなり組合式石棺と謎の立石が目に入ってくる。ここが松丘山古墳の墳頂になる。足元には、板石が多数散らばっている。これは、石棺を覆う石室を作るために使われた者なのかな。
 松丘山古墳については、古市古墳群の形成に先行する四世紀の前半に築造された古墳である。大和川の水運から見ると、河内、大和へ大和川を使う場合には必ず目に着く場所に造られている。これは、松丘山古墳に埋葬された人物が、大和川の水運と大きく関係のあった人物であったのかもしれない。

 

 松岳山古墳は、全長130m、後円部径72m、後円部の高さ16m、前方部幅32m、前方部の高さ6.5mとなっている。また、後円部は三段築造、前方部は二段築造となっている。確かに実際に古墳の上に立ってみるとかなり前方部が低いことが実感できる。

 

 石棺の前後にある立石については、何のためにあるのかよくわかっていない。石室の前壁と後壁ではないかというのを何かで読んだ気がするのだが、他の本で見たことがないのであんまり受け入れられていない考えなのかもしれない。ただ、奈良の佐紀陵山古墳にも、同様の立石があるらしい。ちなみに石棺の隙間から石棺の中がみえない覗いてみたのだが、残念ながら僕が行ったときは水が溜まっていてよくわからなかった。

 

 この組合式石棺が、この後の長持型石棺に繋がっていくことになるらしい。

 それから、後円部に登っていく道の途中に「船氏墳墓跡」という字が書かれた石碑が建っている。日本で一番古い船王後の墓誌がこの地で見つかったという伝承がある。

 

 じゃあ、この松岳山古墳が船氏と関係があるのかと言うとそうではないと思う。船氏というぐらいだから水運と関係があるのかもしれないが、おそらく船氏の祖先が日本に来たのはもう少し後のことでしょう。

 松岳山古墳の周囲には、いくつかの古墳があり、松岳山古墳群を構成していたが、茶臼塚古墳を残してほとんど消滅したとのこと。残念ながら、茶臼塚古墳も確認はできなかった。
 

 

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